第4章 王都の二人暮らしと彼らの気持ち

第29話 人畜無害の極み

 翌朝の目覚めは快調だった。

 ちなみにあのあとおっさんはみっともなく「こいつは追放者だ!」とかわめきたてていたが、「髪色はともかく、魔力のない彼がどうやって瞳の色なんて操作できる?」というフローリアの父の問いに沈黙して帰っていった。

 実際、おっさんがそれを喧伝したところで、成り上がりを邪魔された腹いせの虚言としか受け取られないだろう。

 一応、他の誰かに言ったら一族郎党とその友人まで皆殺しにするとは言っておいた。信用されるかもわからないリスクを背負って、自分の命を危険に晒すような意気地はあのおっさんにはないだろう。

 仮にすべてがおっさんの思い通りになったとしても、それはそれで王国に挑むいい機会でしかない。

 

「ふあぁ……」


 俺はウォズライン邸の俺の部屋の無駄に豪華なベッドから体を起こして大きなあくびをした。

 

「――は?」


 ベッドから這い出そうとした俺は、ベッド横に目を向けたところで固まった。あくびで開いた口はとじられることなく、あっけにとられて半開きのままになる。

 

「……いや、お前……誰?」


 ベッドの左手、床の上に見知らぬ女が頭を垂れて膝をついていた。両手は祈るように握られている。

 ――待て。待て待て。なんで、なんで気づかなかった?

 

「あ、起きた? ごめんね、勝手に入って」


 俺やステラ、フローリアと同じくらいの歳に見える女は、柔和に微笑んで謝罪の言葉を口にした。


「いや、それより……なんで入ってこれた」


 俺が近づく人の気配に気づかなかった? そんな馬鹿な。しかもなんで俺はこの期に及んで呑気に自己紹介と経緯の説明を要求してるんだ。臨戦態勢を取って然るべき状況じゃないのか。気が抜けすぎてる。

 だがなんというか……妙に危機感が働かないというか、植物でも相手にしているかのような心の穏やかさがある。なんなんだ、この妙な存在感……。

 

「……さてはお前、幽霊だな?」


 俺の名推理に、謎の女は首を傾げた。

 

「違うよー。ちゃんと生きてるし、死んでもちゃんと天国行くもん」

「じゃあなんで俺はお前が近づいてくるのに気づけなかったんだ?」

「えー? それは……なんでだろうね?」


 床に膝をついたまま腕を組んで真面目に考え込む女。

 まあ寝る前に出るならまだしも、朝のあいさつをよこしてくる幽霊というのもあんまり風情がないし、ここはとりあえず人間として扱っておこう。

 

「とりあえず、敵ではないんだな?」

「もちろん。私はすべての人の味方だよ。強い人も弱い人も、いい人も悪い人も」


 間の抜けた感じで腹立つ回答……だが、そもそも「おまえは敵か?」となんていう俺の質問も相当な間抜けだ。調子が狂う。本当に何者なんだ、こいつ。

 

「たまたま部屋の前を通りかかったら怪我してる人の気配を感じて……つい早期快癒を願ってお祈りしちゃった」


 澄んだ瞳の屈託のない笑顔。冗談でも皮肉でもいい訳でも嘘でもない――ひと目見ただけでそう感じさせるような表情で女は言った。

 

「まあ鍵をかけてなかったこっちが悪いな」

 

 ステラが「万一のときすぐ入れるように今日は鍵かけちゃ駄目だからね!」とか言い出したせいだ。「一晩中そばで見てる」という主張を折るために、多少は妥協せざるを得なかったのである。

 と、自分の軽率さを呪っていたところでドアがノックされた。

 

「ベルガさん、もう起きてらっしゃいますか?」


 フローリアの声だった。

 

「ああ、今さっき起きた」

「入ってもよろしいですか?」

「好きにしろ」


 俺がそう答えると、フローリアが静かにドアを開けて入ってきた。こういう細かい所の所作だけはお嬢様然として優雅なのが余計に腹立つな。

 

「おはようござ……って、なんでメリッサがここにいるんですか」


 あいさつの途中で先客に気づいたフローリアが眉根を寄せる。

 

「あ、フローリア。ごめん、ごめん。トイレの帰りにこの部屋の前通ったら……」

「……ああ、野良聖女センサーですか」


 フローリアは辟易したようにため息をついて首を横に振った。俺は首を傾げてフローリアに説明を要求した。

 

「野良聖女センサー?」

「ええ。この子、困ってる人とか傷ついてる人を見つけるのが異常にうまいんです。街を歩いててもふらっと路地裏に入っていって、家のない人に食べ物あげたりとかするんですよ。それで私が名付けました」

「普通に聖女センサーでいいのにね。なんで野良とかつけるの?」


 メリッサと呼ばれた女が頬を膨らませた。フローリアが呆れるように肩をすくめた。

 

「あなたはいちいち振る舞いが雑なんです。とても聖女なんて柄ではありません」

「でも私友だちも多いし、みんな慕ってくれてるよ」

「それはあなたの人畜無害フェロモンのせいです」


 ……なんかまた変な造語が出てきたぞ。

 

「そんなの出してないもん」

「出してます。でなければ野生動物の何倍も警戒心の強いベルガさんの部屋に忍び込めるわけありませんから」

「……今度のはなんだ? フェロモン?」


 俺が割って入ると、フローリアが小さくうなずいた。

 

「そうです。私も悪人ですから人目は気にして生きてますが、この子の前ではどうにも警戒心がうまく働かないんです。それは私に限らずすべての人がそう。この子と関わっても悪いことはない、と本能が知らせてくるみたいな……。だから私は人畜無害フェロモンと呼んでいるんです。あ、別に魔術とかではないですよ」

「ああ、心当たりがある」


 そうだ。理屈じゃない。本当になんとなくこいつは無害だと無根拠な確信があるような感じだった。……うん、ある意味恐ろしいやつだな。

 

「で、実際本当に無害なんですよ。信じがたいことですが、純度100パーセントの善人です。ずっと化けの皮を剥いでやろうと機を窺っていたのですが駄目でした。善人でなければ世界最高の役者でしょうね」

「なるほど」


 善人というのは嫌いな部類だが、確かにこいつはちょっと違う気がする。

 多分普通の善人というのは、どんなにできた人間でも1パーセントくらいは利己的な打算があるものだ。それが表面の善意との対比で余計に醜く見えるから、俺は善人という人種が嫌いなのだ。

 本当かどうか俺にはわからないが、少なくとも「純度100パーセントの善人」というのもあり得ると思える程度には、俺は目の前のメリッサに毒気を抜かれていた。

 

「なんか付き合い長そうだが仲いいのか?」


 俺が尋ねるとフローリアは驚いたようにまばたきを繰り返していた。

 

「メリッサ、自己紹介してなかったんですか?」

「うん。そういう流れにならなかったし」


 ゆるい返答に呆れるように息をつき、フローリアは俺の方を向いて苦笑した。

 

「メリッサはアリサの姉です。つまり、私の幼なじみということです」


 ああ、そういうことか。例の宿のところの長女で王立魔術学院に行ってるとかなんとかっていうのがこいつだったんだな。


「ん? ベルガさん、アリサを知ってるの?」

「……この前話したでしょう」

「そうだっけ? まあいいや」


 あっけらかんと笑ってとぼけてみせると、メリッサは自然にな仕草で俺に手を差し出してきた。


「改めてメリッサです。よろしくね」

「……よろしく」


 やや戸惑いつつ握手を受け入れたあと、俺は安易に握手に応じた自分自身にも戸惑った。……本当に妙なやつだ。

 

「あ、それでベルガさんにお話があるんですが」

「なんだ?」

「それより学院いく支度しないと遅刻しちゃうよ?」


 俺が聞き返したところでメリッサが割り込んだ。フローリアは腕を組んで考え込むように低く唸った。

 

「……最近いろいろ忙しくてサボり気味ですし、もうよくないですか? ベルガさんも晴れて次期当主となりましたしもう学院に固執する理由もないんですよね」

「えー、行こうよー。私には理由あるもん」

「理由? 私が行く理由?」

「うん、私はフローリアと学院行きたいって理由」


 からかうでもなく、大真面目にそんなことを言うメリッサ。

 フローリアは臭い物言いに吐き気をもよおしたように顔をしかめるが、ため息をつくと表情を緩め苦笑した。

 

「……というわけなので、すみませんがお話は後ほど」

「ああ、さっさと行ってこい」


 ――フローリアの幼なじみ。

 フローリアの性格を知ていれば、そんなものいるわけがないと一笑に付したくなる。しかしメリッサと会ってみて納得がいった。

 メリッサは水や空気みたいなものなのだ。無条件に、ただそこに存在することを許される人間。誰にも害をなさず、いないよりはいた方が少しだけ快適。だからフローリアとしてもあえて拒絶する理由がないんだろう。

 なんといっても、俺がその存在を本能的に許容するくらいだからな……。

 よく考えてみれば、苦笑とはいえフローリアが素の状態で邪悪じゃない笑いを浮かべているところを見たのは初めてか。

 メリッサ――フローリアにとってはかなり貴重な存在だな。

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