第28話 そこに這いつくばれクズども
「だっ、だだだだだだだ大丈夫なの!?」
動揺する観客の反応に気をよくしつつ闘技場の控室に戻った俺は、激しく動揺するステラの出迎えを受けた。残像が見えるほど上下に振動しながら、体の状態を確かめるように俺の周りをぐるぐる周る。
「うざい……」
なんかもうちょっとした妖怪レベルである。フローリアはそんな俺たちを、珍獣でも見物するようにニタニタ笑いながらながめていた。
「ぜ、全身血だらけじゃない!」
「拭けばいいだけだろ」
「血を拭いても傷はふさがらないでしょ!?」
「なめときゃ治る」
「どこをなめればいいの!?」
俺は真顔で固まった。
フローリアは吹き出していた。そして悪い顔になる。
「そうですね。やはりここは――」
「ストップ」
俺はフローリアの肩に手をおいて制止した。フローリアはますます意地悪く口の端を吊り上げて俺の方を向いた。
「まだ何も言ってませんが」
「お前がそんな顔してるときは、たとえ人命救助中でも止める」
「一理どころか真理がありますね」
フローリアは肩をすくめてからしたり顔でうなずいた。
一方ステラは、視線を俺たちの間で忙しなく行ったり来たりさせていた。
「わ、私はどうすればいいの? 全身傷だらけだし体中なめればいいの!?」
……こっちも止めないといけなかったか。
「それはもう変態か妖怪のどっちかだ」
「それで治るならいいわよ!」
いいのか。妖怪はともかく、変態呼ばわりにはもう少し抵抗した方がいいんじゃないかと思うんだが。
「いやよくないだろ……」
「いいの!」
「自分はもう少し大切にしておけ」
「だって変わらないでしょ、別に! 変態も妖怪も魔お――」
「ストップ」
本日2度目の肩たたきストップである。
……魔王を変態と妖怪と同列に扱うのは、先代以前の魔王が泣いちゃうからやめて差し上げろ。
それ以前に、この腹黒さの権化のような女の前で弱みになり得るようなことをほいほい口にしようとするのは本当に勘弁してほしい。
ただでさえこの指輪の契約、もとい呪いをどうにかしなくてはいけないのだ。これ以上交渉カードは与えたくない。
ステラは失態未遂に気づき咳払いをしてから気を取り直す。
「じゃ、じゃあ私はどうすればいいの? 何もできることないの?」
そう言って、切実さに満ちた瞳で上目遣いに見つめてくる。
「ありますよ」
そう言ったフローリアの顔は至って真剣……に見えるが口元が笑いを堪えるようにぴくぴく震えていた。
……止めた方がいいんだろうなぁ。
「な、何!? 私何すればいいの!?」
食いつかんばかりにフローリアに詰め寄るステラ。フローリアの鼻が、小さく笑うように息を吐きだしていた。
「応急手当の定番、人工呼吸です」
「……え? 人工呼吸は……必要なくない? 息してるし」
ステラは怪訝そうに首を傾げた。
思ってたより冷静な反応で安心した。これでいきなり押し倒されて肺を風船代わりにして遊ばれたらたまったものじゃない。
安堵する俺をよそに、フローリアはもはや気味の悪い笑みを隠そうともせずにステラの耳元に顔を寄せていた。
「…………!」
何事かささやかれたステラが目を見開く。フローリアはさらに何か、明らかによからぬことをステラに吹き込んでいく。
「合法的に……!」
何がだ。何が合法なんだ。合法的に何をしようというのか。
恐々とする俺が半眼で見つめる中、ステラは覚悟を決めたようにごくりと唾を飲み込み、緊張した面持ちで1歩俺に近づいた。
「も、もしかしたら本当は意識失ってるのに夢遊病的に歩き回ってるせいで意識があるように見えてるだけかもしれないし一応人工呼吸してみた方がいいと思うからその場で仰向けになってくれる?」
早口で一気に言いきるステラ。
俺は半眼だった目を糸くらいまで細めて、硬い表情のステラを10秒くらい黙って見つめた。
「……その口実、本当に通用すると思ったか?」
俺はかけらも感情を含まない声と顔で言った。
そして俺とステラは無言で見つめ合う。次第にステラの顔が無表情のまま紅潮し始める。額のてっぺんまで完全に熟しきると、ステラは顔を覆ってしゃがみこんだ。
「――バカぁ!」
……それは俺とフローリアと自分の誰に向けて言ったんだ?
いや、フローリアと自分に向けて言ったんじゃなかったらいろいろ困るんだが。
「……うふふ、うふふふふ。純情な子を弄ぶのって楽しいですね」
フローリアが同意を求めるように、きらきらと爽やかに笑いかけてくる。
俺は苦笑いで応えるしかなかった。
屋敷に戻った俺はステラに無理やり包帯を巻かれた上で、ベッドに押し込められた。
ステラはずっとベッドの傍らで微動だにせず俺を見守って……というか、監視している。起き上がろうとすれば傍らに鎮座するステラ像が起動し、俺を全力でベッドに押し付けにかかるという寸法だ。
ちなみにフローリアはそれを悪趣味な微笑みと共にながめている。
そうして俺が自由を懸けて戦いを繰り広げていたとき、不意に部屋のドアがノックされた。
応えるとドアが開き、3人の客人が入ってくる。
「お邪魔する」
そう言ったのはフローリアの父親だった。父親の押す車椅子には顔色のよくないゼルバートが座っていた。
「なんだ? 後遺症でも残ったか?」
「……いや、まだ体がふらつくから大事を取ってるだけだ」
ゼルバートが吐き捨てるように言ったあと、父親のあとから例のおっさんが入ってくる。
「なんだ? そろいもそろってなんの用だ」
俺が軽くにらむと、父親が難しい顔をしてうなずいた。
「まずは祝辞を。決闘での勝利、おめでとう」
「どうも」
特に皮肉めいた響きは感じなかった。実力主義とはいえ、実の息子がぽっと出の婿養子にこてんぱんにされたわけだから恨み節の1つくらいはあるかと思ったんだが。
「これで君は正式に、私の跡取りになった。だから一応、可能な範囲で構わないので君の素性について聞いておきたい」
「おいおい、この家は完全に実力主義だって聞いたぜ。いや、正確に言えば決闘の結果主義か? なあ、ゼルバート」
「くっ……」
ゼルバートは顔を真っ赤にして歯ぎしりする。
ゼルバートは闘技場においてのみの最強を誇ってきた。俺の皮肉に反論の余地はない。なかなか悪くない表情をしてくれる。
「あまりいじめないでやってくれ。これでも家の名を上げるため、真実がばれないよう神経をすり減らしながら戦ってきたのだ」
「俺の知ったことじゃない」
「そうだな。それと、実力主義の看板に偽りはない。君がどのような人間であれ、いや、仮に人間でなかったとしても、人間として振る舞える限りは拒まない。だから素性について話さなかったからといって君の継承権をどうこうしたりはしない」
低くよく通る声ではっきりと言う。潔いのはいいことだ。
「別に俺はこの家のことなんてどうでもいい。むしろ素性を話して追い出してもらえるなら喜んでそうするが」
「それはない。君にあそこまで見事に粉砕されてしまった以上、ゼルバートがこの家を背負うことはもう絶対にできないからな」
ゼルバートが握った拳を自分の太ももに叩きつけた。
「ふふ、いい気味ですね」
フローリアが心底楽しそうに笑い声を漏らしながら言った。
「フローリア……貴様ッ!」
ゼルバートは叫んで車椅子から立ち上がる。しかしベッド脇のフローリアに詰め寄ろうと1歩踏み出したところでバランスを崩して倒れ込んだ。
「くそ、くそぉ……!」
フローリアはそんなゼルバートに歩み寄っていき、背筋を伸ばして大嫌いな兄をにらむように見下ろした。
「お兄様、昔お兄様が私に言ったことを覚えていますか?」
「……なんのことだ」
這いつくばったまま憮然として言うゼルバート。
「私の好きな絵本を馬鹿にしてこう言いました。『勘違いするなよ。ドレスがこの姫を美しくしたんじゃない。美しい姫が、着るべき衣装に袖を通しただけ。選ばれたから特別になったんじゃない。特別だったから選ばれたんだ。お前は身の程を自覚して隅っこで小さく丸まってろ』」
「……ふん、お前なんかに言ったことをいちいち覚えてられるか」
ゼルバートは言いながらなんとか体を起こし、その場に座り込んだ。
「じゃあ今から言うことは死ぬまで胸に刻んでおいてください」
そう言ったフローリアの放つ殺気は、部屋にいた誰もが息を呑むほどだった。
「勘違いしないでくださいね。あなた自身が強かったのではない。弱いあなたが、分不相応な武器を手にしただけ。武器を手に入れてもあなた自身は弱いまま。あなたが弱かったから負けたんです」
そしてフローリアは腰をかがめるとゼルバートの胸ぐらをつかんだ。
「――身の程を自覚してそこで這いつくばってろ」
吐き捨てたフローリアは、そのままゼルバートを突き飛ばした。
ゼルバートは床に倒れ込み、唖然として動けなくなった。
「……ふう、すっきりしました」
フローリアは体を起こし、晴れやかな笑顔でそう言いながら俺たちの方に戻ってくる。その間にフローリアの父親がゼルバートを助け起こしていた。
そしてため息をつくと俺に視線をやった。
「見苦しいものをお見せしたね」
「いや、最高に愉快なものを見せてもらった」
苦笑いする父親に、俺は続けて言い放った。
「俺はお前らに俺の素性を明かす気はない。だが、そこのおっさんには少し話がある」
「何? ベルヘルト殿にか?」
「ああ、ちょっとあんたら2人には席を外してもらいたい」
「それは……まあ構わないが」
釈然としないという風だが、父親はうなずいて車椅子のゼルバートとともに部屋を出た。そして部屋の外の気配はそのまま遠ざかっていく。
「な、なんだ……私になんの用だ」
遺されたおっさんは恐怖に頬を引きつらせながら俺を見つめ返していた。
「お前は何者なんだ。なんだあのめちゃくちゃな強さは。なんであんなわけのわからない動きが……あんなわけのわからない力が……」
俺はこらえていた笑いをようやく解放してやった。
「はは、はははは! 大サービスだ! お前には特別に俺の正体を教えてやろう」
「正体? どういうことだ」
恐怖に困惑が混じり、さらにおっさんの顔がひどいことになる。
「俺はな……ああ、いや、こうしてやった方が早いな」
俺は白い髪と青い瞳を、それぞれもとそうであった色に戻すよう念じた。
「な、なんだ……なんだこれは…………いや、ちょっと待て。まさか! ど、どういうことだ!? お前、お前は……! なんでお前がここにっ!?」
「久しぶり。あらためて名乗るのは無粋かな?」
黒い瞳で真っすぐにらみ、黒い髪を揺らしながらおっさんに近づいていく。
おっさんは後ずさりしようとするが、動揺で膝が笑いその場にへたりこんだ。
「そんな……そんな馬鹿な! どうして、どうして!!」
「どうして、とは間抜けなことだな。ゼルバートと一緒で物覚えが悪いのか?」
「な、なんだと? 何が言いたい」
俺は顔の前で拳を握り、それを床に座り込むおっさんの顔の前にゆっくりと突き出してやった。
「魔力のない物は魔導兵士には勝てない。高笑いしながらそんな世迷い言を得意げに語る愚昧がいたから、教えてやっただけじゃないか。実際に最強クラスの魔導武器使いをぶっ倒して、な」
「なっ、な……で、では私は、私が……手にするはずだった地位と、名誉を失ったのは……あのときお前を認めなかったせいだと……」
おっさんは蒼白になった顔と焦点の合わない目を虚空に向け、人形のように力なくその場に倒れ込んだ。
「あまり陳腐な言葉は使いたくないんだが……まあ今日くらいはいいだろう」
俺はおっさんの少し出っぱった腹に足を乗せ、口角を最大限吊り上げて笑ってやった。
「――ざまあみやがれ」
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