第3章 腹黒令嬢に導かれ

第17話 添い寝と図書館

 フローリアが帰ったあとの晩は結局、俺が床、ステラがベッドで眠ることにした。

 無駄に弾力のあるベッドが気持ち悪かったので俺がそう提案すると、ステラはなぜか安堵したような落胆したような不思議な顔で受け入れた。

 2人で使えばいいと言ったときの微妙な態度からすると、安堵は一緒に寝なくて済んだことへのものだろう。確かに2人で同じベッドに入るのは暑苦しいしな。

 落胆はなんだかよくわからない。落胆というよりは俺を床で寝させることを気に病んでるのかもしれない。

 

「…………」

 

 ゆえに、翌朝の俺は硬い床の上で左肩を下に横になっていたのだが、不本意にも意識が覚醒したのはまだ日が出て間もないくらいの時間だった。

 不意に視線を感じたのだ。少し離れた見下ろす視線。当然ステラだ。別に寝首をかこうというつもりではないだろうし、気にせずもう一眠りすることにしよう。

 

「…………っ」


 と思ったのだが、身のこなしに慎重に注意を払っているらしいステラの静かな気配は、なぜか少しずつ俺に近づいてきていた。

 何をするつもりなのか。さすがに少し気になりつつも、目は開けずに半分眠ったような状態を維持する。

 やがて視線は上からではなく、水平方向から注がれるものに変わっていた。というか精一杯殺しているんだろう鼻息が、目の前から聞こえてきていた。

 ゆっくりと目を開け、怪訝に眉を寄せる。

 

「……何やってんだ?」


 文字通り目と鼻の先に、ステラの小さく整った顔があった。

 

「――ひゃっ!?」


 そんな声と共に素早く大きな寝返りを打ったステラは、右肩を壁に盛大にぶつけた。その反動で体が逆回転し、再び俺の眼前にステラの赤い顔が現れる。

 

「……何やってんだ?」


 ステラは必死で視線を天井の方へ向けながら苦笑いする。

 

「ほ、本当……何やってるのかしら」

「もしかして遠慮してたわけじゃなくて、本当に床で寝たかったのか?」

「そ、そうそう。絨毯の寝心地が忘れられなくなっちゃって、つい」

「そこ絨毯ないけど」


 俺はその辺りについて特に頓着しなかったので、あえて絨毯の上に寝たりはしていない。絨毯は俺の足元方に敷かれている。

 

「あ、それは、そのー……」

「それは?」


 視線をあっちにやったりこっちにやったりして何かを考え込んでいる様子だったが、やがてあきらめたようにうつむいた。


「……寝起きの頭じゃ言い訳が思いつかない」

「言い訳? なんか隠したい本音があると?」

「うっ」


 いいボディーブローを浴びせられたみたいな低いうめき声を出すステラ。

 しかしすぐに観念したように小さく息をついた。

 

「あの……ベルガの寝顔を、近くで見てみたくて……」


 ステラは自分の胸の前で両の人差し指をつんつんと突き合わせながら言う。


「寝顔? それが言い訳するほど後ろめたいことか? そんなもん好きに見ればいいだろ」


 俺が呆れ気味に言うと、ステラはようやく目を合わせて目を瞬かせた。


「え、見ていいの? 恥ずかしくない?」

「なんで寝顔見られるのが恥ずかしいんだ」

「だ、だってよだれとか垂れてたらって思うと……」

「よだれなんて汗とか涙と変わらないだろ、自然に分泌されるもんだし」

「男の子ならそんなものかしら」


 まあ女子ならそうはいかないのかもしれないが。まあ別に男が気にしてもいいだろうし、逆に女の方が無頓着でもなんの問題もないとは思う。

 

「じゃあ好きなだけ見てくれ。俺はもう少し寝る」

「う、うん……じゃあお言葉に甘えて」


 うなずくステラを見届けて再びまぶたを下ろす。視線というか、もはや圧とでも言うべきものを感じるが、意図さえわかっていれば意識の外に追い出してしまうことはできる。

 ものの数十秒でまどろみの中に沈んだ俺が、完全に眠りにつこうとしたそのときだった。

 

「――む、無理! やっぱ恥ずかしいこれ!」


 なぜかステラの方が羞恥に悶えていた。

 

「なんなんだよ、一体」

「だ、だってこんな至近距離で添い寝なんて、その……あれみたいで」

「あれって?」


 聞き返すと、ステラは真顔で5秒ほど固まった。

 

「……兄妹?」


 いや、なんでそれで恥ずかしくなるんだ。そもそも兄妹設定の言い出しっぺはステラの方なのに。

 

「…………」


 しかし当のステラは、なぜか陰鬱な表情で視線を落としていた。

 

「うぅ、最悪……。本当、自己嫌悪で死にそう……」

「さっきから何がなんだかさっぱりわかんないぞ」

「いや、自分で言って虚しくなるとか本当に私ってバカだなぁって」


 よくわからないけど、俺と兄妹であることが恥ずかしくて、そんな設定を口にしてしまった自分を嫌悪してるってことなのか? 

 なんか随分と手酷い罵倒を間接的に受けている気がする。

 

「私もちょっと寝直すわ……」


 ステラはそう言いながらグロッキー状態で立ち上がり、ベッドに倒れ込んだ。

 わからないことはこんがらがって山積みにされているが、足りない経験と知識で考えてもしょうがないので俺も夢の世界へと向かうことにした。

 

 

 その日の昼過ぎ、俺とステラは街にある図書館を訪れていた。

 魔導書の閲覧ができたりしないか確認するためだ。

 

「ステラはどういう魔術を使えるようになりたいんだ?」

「え、そうね……」


 入り口そばにあるカウンターの方へ向かいながら、ステラは首をひねる。

 

「怪我とか病気を治せるような魔術かなぁ」

「聖女かよ」


 思わず間髪入れずツッコミを入れてしまった。ステラは驚いたように目をパチクリさせたあと、腕を組んで低く唸った。


「あー……まあ、確かに魔王らしくはないわね……」

「大体なんでそんな立派な魔術が要るんだ。実は不治の病に侵された妹でもいたりするのか?」

「違うわよ。ただ……その、ベルガがひどい怪我とかしたときに力になれるかなって思っただけ」


 ……俺が? 俺がなんでひどい怪我をすることになるっていうんだ? 俺が誰かにコテンパンにされるとでも?


「俺はそんなヘマしない。余計なお世話だ」


 そう吐き捨てると、ステラは一瞬目を見開いてからしゅんとうなだれた。

 

「……そ、そうよね。ごめんなさい」


 言ってステラは眉尻を下げて下唇を軽く噛む。泣きそうと言うほどではないが、少し目が潤んでいるようにも見えた。その顔を見られまいとしてか、1歩だけ俺より前に出た。

 

「…………」

 

 ……さすがの俺にもわかる。今の言い方はなかった。

 俺の人生の中では比較的長い時間を共にしたおかげで、ステラのことは少しだけわかるようになってきた。

 ステラは魔王の家系に似合わず律儀で素直なやつだ。今のも決して俺を甘く見てるとかそういうのじゃなくて、本当に純粋に俺の役に立つ方法をステラらしいやり方で考えた結果の結論なんだろう。

 それを俺は安いプライドに従って条件反射的に足蹴にしてしまったわけだ。そう言われてステラが具体的にどう思ったかまではわからないが、俺なら腹が立つ。

 

「すまん。ちょっと言い過ぎた」


 ばつの悪い思いをしつつ、ぶっきらぼうになりながらも俺は謝罪した。

 ステラは背後で爆発でもあったかのような勢いで振り返った。

 

「え、今なんて……?」

「すまん、と言ったんだ」


 立ち止まり、まばたきを繰り返しながら俺を見上げる。その、「あのベルガが私の気持ちを察して謝った、だと……?」みたいな顔はやめろ。

 しばらくの妙な沈黙を挟んだあと、ステラは水を浴びた犬のように首を振る。

 

「う、ううん! そんな謝られるようなことじゃないから! 私ももうちょっと考えてから言えばよかったと思うし、そもそもちゃんと魔王らしくするって言ったのも私なわけだし……!」

「それならいいんだが」


 弁明するステラの表情はやけに明るかった。機嫌を直してくれたようで、とりあえずは一安心といったところか。

 それからステラは立ち止まったまま俺から目をそらし人差し指で頬をかく。そして少し朱に染まった頬ではにかんだ。

 

「えへへ……ありがとね」

「……なんでお前が礼を言う」

「ううん、なんでも! 気にしなくていいから」


 と言うと踵を返して再びカウンターの方へ歩き出した。

 この笑顔の理由は、俺には皆目見当もつかなかった。

 そのままカウンターまで行き、そこにいた司書らしき女に声をかける。

 

「ここで魔導書の閲覧はできるか? そんな大層なものじゃなくていいんだが」

「魔導書の閲覧には事前の登録が必要になります。身分証明や前科の有無など、危険思想を持っていないことを確認できた方にのみ許可証が発行されます。最短でも1週間はかかりますね」

「ふーん……。で、ちなみに魔導書自体はどこに保管されてるんだ?」

「はい? 地下ですが……」

「そうか。どうもありがとう」


 それだけ言ってその場を離れようとした俺の腕をステラがつかむ。

 

「……どこに行くの?」

「ほんの少し地獄に近づく……ってところだな」

「それは地下に行くのと盗みっていう悪事を働くことのどっちの比喩?」


 非難がましい目でじっと俺の目を見据えてくるステラ。


「ダブルミーニングというやつだ」

「駄目!」

「なんで」

「下手に目立って危険を冒す必要ない」


 俺は容姿を変えられるし、ステラも顔を隠しておけば言うほどのリスクにはならないと思うんだが。でも本人が嫌だと言うならしょうがない。

 

「じゃあそれは最後の手段な」

「うん……まあそういうことなら」


 微妙に納得しきれてないような顔で、ステラが渋々とうなずく。

 

「それならもうここに用はないな」

「あ、待って」

「どうした?」

「ちょっとだけ見てきてもいい?」

「本をか?」

「ええ、ちょっとだけだから」

「別にいいけど」


 意外……というほどでもないか。生真面目だし、どちらかといえば本は似合う方だろう。

 ステラはなぜかやけにそわそわしながら、司書の方に近づいていく。そして顔を司書の耳元に寄せて、何事かをささやく。司書は静かにうなずいた。

 

「ロマンス小説は51番の書架です」

「しーっ、しーっ!」


 答えた司書の至って普通のトーンに、ステラが慌てたように人差し指を立てる。

 

「なんだ、お前もあの腹黒女の同類か?」

「そ、そういうわけじゃ……ないわけでもないけど……」


 そう言えば昨日もフローリアが思わず乗っかるような妄想を釣り餌にしてたな。もともと関心があったからこそできた芸当というわけか。


「馬鹿にする気はない。俺はここで待ってるから行ってくるといい」


 肩をすくめる俺に、ステラは複雑そうな表情で小さくうなずいて、早足で51番の書架があるだろう方向へと向かった。

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