第16話 裏の裏にはひょんな顔

「結婚して差し上げます」


 夕日が沈み街が濃紺につつまれたころ、おしとやかなノックとともに部屋に襲来した腹黒ーリアことフローリアは、開口一番、優雅な笑みで求婚してきた。

 

「はあ?」


 俺はフローリアの正気を疑った。

 

「は……?」


 ステラは驚いていた。


「……はあ!?」


 訂正。ステラは俺の2倍くらい驚いていた。


「はああっ!?」


 再訂正。ステラは俺の3倍くらい驚いていた。

 ……これが「は?」の三段活用というやつか。

 最後の叫びに至っては殺人衝撃波か何かを出すときの掛け声の域だったと思う。その証拠に俺の鼓膜が仮死状態である。

 

「聞こえませんでしたか? 私が、ベルガさんと結婚して差し上げると言ったのです」

 

 俺が謎の上から目線の物言いにイラッとしていると、ステラは目をぐるぐるさせながら顔を俺とフローリアを交互に見比べる。

 

「や、やっぱり結婚するの!?」

「だからお前は落ち着け」

「わわわわわわたわしはおつちいてるわひょっ!」

「落ち着いてるなら『わ』の連発と『たわし』と『おつちく』と『ひょ』の意味を合理的に説明してみろ」

「…………」


 ステラがぐるぐるおめめはそのままに黙り込む。

 

「……じ、実はね、これが最近の流行りなのひょ」

「他の部分はどうした」

「ごめんなさいめちゃくちゃ動揺してます」


 一瞬で腰を45度に折って謝罪していた。

 何をそんなに動揺する必要があるというんだろうか。俺はまだ一言たりとも結婚するなんて言ってない上に、前向きな姿勢すら見せてないのに。

 俺は首をひねって、フローリアを見ながらドアを指し示した。

 

「というわけだ。ステラが心臓発作で死ぬ前に帰ってくれ」

「ふふ、妹思いのお兄さんなんですね」


 ニコニコと笑いながら言うフローリア。一体腹の底ではどんな顔をしてやがることか。下手すると兄妹っていうのが嘘だと感づいてる可能性すらありそうだ。


「今のはただの建前だ。俺はお前が嫌いだからな。天地がひっくり返っても結婚なんてしないし、さっさと帰ってほしい。ただそれだけだ」

「ふ、ふふふ……」


 その笑い声のトーンは先程までとはまったくの別物に変わっていた。


「結婚が好きあう者同士のものだと思ってるなんて、随分とロマンチストでいらっしゃるんですね」

「……は?」


 フローリアはニヤニヤと笑っていた。ニコニコではなく、ニヤニヤと。

 

「それが本性か」

「そうですね。言いふらされたとしてもあなたたちと私では信用度が違いすぎますし、猫をかぶりながら交渉するのも疲れるので」

「交渉?」


 フローリアは鷹揚にうなずいた。

 

「ええ、これは交渉です。ただの交渉。行為など無関係の、利害についての理性的な判断に基づく契約の締結。だから……その、わ、私は、決して……」


 なぜか唐突に言いよどんでわずかに頬を赤くする。

 

「……決して、あなたと、けっ、結婚したいなどとは……思っていないので、誤解のなきよう」


 強気に言いながらなぜか視線をそらすフローリア。

 

「へー、ほー」

 

 そしてなぜかステラは威圧的にそんな相づちを打ちながら立ち上がってフローリアを見下ろした。正確に言うと、見下そうとしてあごを頑張って上げていた。つまりステラの方が背が低い。

 

「じゃあ、ベルガは『颯爽と白馬に乗って現れて自分を救い出してくれる王子様』じゃないってことでいいの?」

「……もしかして、アリサですか?」


 フローリアは苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。

 

「だったら何?」

「あんな子供の言うことを信じるんですか? まだまだお姫様と王子様のラブロマンスに憧れる年頃ですよ、あの子は」

「あなたは憧れてないの?」

「憧れるわけがありません」

「本当に?」

「本当に」


 妙に胡散臭い笑顔でうなずくフローリア。今はまた、もともと見せていた領主の娘然とした澄ました顔に戻っている。まるで何かを隠すように。

 

「私は今日のベルガ、かっこよかったと思うけどなー」


 ステラが悪い笑顔を浮かべて言う。


「暴漢に捕まった領主の令嬢。首を絞められ遠のいていく意識の中、『ぐへへ、お前の純潔は俺のものだ』と下卑た笑みを浮かべる暴漢。そこに白馬に乗って颯爽と現れるベルガ」

「いや、俺先にいたからな」

「『その薄汚い手を離せ! 外道め!』。涼しげに笑い、しかしその瞳に烈火のごとき怒りを湛えながら白銀の剣を抜くベルガ。『できれば殺したくない』と、ベルガは慈悲を見せつつも、その切っ先を暴漢にかざして鋭くにらむ」

「そんなこと言ってないし剣も持ってない」

「『くくく、楯突けばこのお姫様の命はないぜ』。卑劣にも脅しをかける暴漢。しかしベルガは屈しない。目にも留まらぬ速さで暴漢の背後に回り、飛び上がると空中で一回転! その勢いのまま脳天に蹴りの一撃!」

「おい、剣どこいった」

「そのまま体を素早くひねり、神速の追撃をこめかみにお見舞い! なすすべもなく倒れ伏した暴漢の上に華麗に着地すると、暴漢の腕から解放され床に膝をついていた令嬢に、優しい笑顔で手を差し伸べて一言――」

「――お怪我はありませんか、お姫様」


 ステラの空想に割り込んでそんなセリフの続きを紡いだのは他でもない、かの腹黒大帝フローリア嬢であった。

 真顔の俺と勝ち誇るステラの見つめる先には、虚空に焦点を合わせて半開きの口で恍惚とするだらしない顔があった。

 

「――はっ!?」

 

 我に返ったフローリアは俺とステラを見て目を見開いた。そして顔の回りに漂っていた憧れキラキラオーラを吹き飛ばすように、勢いよく首を振った。

 

「い、いや、今のは――!」


 額から汗を一筋垂らして苦しい作り笑いを浮かべる。


「な、なんというか、その……ただ、幼稚な人間がしそうな妄想を先回りして言ってやることで、あなたをバカにしようと思っただけですひょ?」


 フローリアが凍りついた。目を見開いた状態で、まるで時間が止まってしまったかのようにカチコチに凍りついていた。


「んんー? 『ひょ』ぉー?」


 ステラの聞き返し方にはこれでもかというほど嫌味が詰め込まれていた。

 

「もしかして本当に流行ってるのか、『ひょ』」

「いやー? そんなことないと思うけどー?」


 今にも小躍りを始めそうな調子で首をリズムよく左右に傾げるステラ。

 フローリアは怒りと羞恥のためか顔を真っ赤にしながら、床を1度強く踏み鳴らした。

 

「そうですよ! 流行ってるんです!」

「うふふ、うふふふふ、領主の娘さんがそうおっしゃるならそうなのかもしれませんけど、田舎者の私にはとても信じられませんことひょ?」


 とことん攻めるステラである。何がステラをこんなに駆り立てるんだろう。下手すると俺よりよっぽどこのお嬢様に敵愾心を抱いてるような気がする。

 フローリアはギリギリと歯を食いしばりながら地団駄を踏む。

 

「――話を戻します!」

「あ、逃げた」

「ふ、ふん! 好きに捉えていただいて結構です! 私は目的があってここに来たのであって、あなたと押し問答をするために来たわけではありませんので!」


 勝ち誇るステラは口元の弧を一層大きくした。ステラが執拗にフローリアを口撃する理由も、フローリアが乙女チックな妄想癖を意固地になって否定する理由も、俺にはさっぱりわからなかった。

 

「いいですか、ベルガさん!」

「あ、はい」


 ぼーっとしていたので、つい気の抜けた感じの声が出てしまう。

 

「まずは私の本気度をお示しします」


 そう言ったフローリアはおもむろに懐から何かを取り出した。俺の座るベッドの横に置かれたそれは、分厚い札束だった。

 

「まず交渉のテーブルに着いていただければ、それだけでこちらを差し上げます」

「いらん」

「そうでしょう。この私が優越感を抜きに身を切る……はい?」


 得意げに繰り返しうなずいていたフローリアが眉を上げて固まる。

 

「いらん」

「ふふ、意外と強欲なのですね」

 

 フローリアが不敵に笑いながらパチンと指を鳴らすと、突然ドアが開けられ黒服の大男が革張りの四角いかばんを持って入ってきた。

 男は鞄を開けて、中にぎっしり詰められた札束の数々を俺の眼前に晒す。

 

「これでどうです?」

「いやだから、いらんって」

「そ、それはどういう意味ですか……? 足りないということではなく?」


 ここに来てようやく本気で困惑を露わにするフローリア。

 

「そのままの意味だが。別に金はいらない」

「え、では何が欲しいのですか?」

「欲しいもの? そうだな……」


 別に欲しいものなんてないんだよな。あったら今頃この街や王都から遠慮なく奪い尽くしてるし。だからこのいけ好かないお嬢様にねだってまで欲しいものななんて、あるはずもない。まあでも、強いて言えば――。

 

「王国の滅亡」


 俺が大真面目に言うと、フローリアは無表情で黙り込んだ。

 やがて不意に大きく1つうなずくと、眉をピクピクさせながら微笑んだ。

 

「そうやって小馬鹿にしてまで頑なに交渉を拒絶なさるのですね。いいでしょう。それならばこちらにも考えがございます」


 そう言ってその場で踵を返す。

 

「この私を袖にしたこと、必ず後悔していただきますので悪しからず」


 そんな捨て台詞を残し、フローリアは黒服を連れて部屋を出ていった。

 まったくフローリアの思考プロセスについていけなかった俺は、思わず肩をすくめながらステラの方を見た。

 ステラは満面の笑みで親指を立てていた。

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