第18話 『竜卓十六鱗家』

 もう30分近く経つが、ステラが戻ってこない。

 ……立ち読みに夢中になってるんならいいんだが。

 別に待たされるのはそれほど苦痛ではない。ただ、魔術を使えるようにする手段を探すための時間が削られすぎるのも避けたいところではある。

 本を俺たちでも借りられるのであれば、とりあえず1冊選び貸出手続きを済ませて一旦ここを出る、という形の方がいいだろう。

 というわけで俺は51番の書架へ向かった。

 肉体派の俺にはどちらかといえば縁遠い、本の匂いに鼻をむずむずさせながら書架と書架の間をすり抜けていく。

 断っておくが、場の空気に合わせて足音を殺しているのは、利用している人間への配慮なんかではない。狩りのとき獲物に気取られないよう、静かな場所では静かに行動することが体に染み付いているせいだ。

 

「……って、あれ?」


 51番の書架の前に来てみたが、ステラの姿はなかった。隣の書架の方にも顔を出してみてもステラどころか人影1つ見当たらない。

 

「おや、こちらにいらっしゃいましたか」


 代わりに背後からかけられた最近おなじみの声に振り向くと、悪い顔で笑うフローリアの姿がそこにあった。

 ……なんかものすごく嫌な予感がする。

 

「俺を探してたのか?」

「ええ、あなたはステラさんをお探しで?」


 ステラの名前が出てきたことでますます嫌な予感が濃くなる。

 

「ああ、お前は何か知ってそうだな」

「鋭い勘をお持ちですね。ご明察です」

「トイレに行くのを見たってだけなら、さっさと言った方が身のためだぞ」

「そうではなかったら?」

「くたばる覚悟だけ決めておけ」


 俺は鋭くにらんであからさまに殺気を放つ。フローリアは苦笑いして肩をすくめた。

 

「よからぬことを企んでることは認めますが、ステラさんに危害は加えていませんし、加えるつもりもありません。原則としては。むしろ丁重すぎるほど丁重に扱っていますよ」

「じゃあステラはどこにいる?」


 俺が問うと、フローリアが右腕を上げて指さした。その先にあるのは51番の書庫……だが、おそらく指しているのはもっと先。つまり方角でいうところの北東。

 そしてこの街の北東にあるものといえば――。

 

「――王都へ向かう荷馬車の中です」

「……説明してもらおうか」


 少し緊張感を持ってうなずくフローリア。

 

「今日で週末も終わり、私は王都の学院に戻らなくてはなりません。ですが、私にはどうしてもあなたに王都に来て頂き、婚姻を結ぶ必要がある。だから強硬手段をとらせてせていただいたのです」

「……そういえば利害とか契約とか言ってたな。要は俺がお前と結婚することで、何かお前に得があるってことだよな?」


 確か昨日こいつは、俺との結婚は「利害についての理性的な判断に基づく契約の締結」だと言っていた。俺と結婚することでになんらかのメリットがある。フローリアはそのために、こんなことまでして俺に結婚を要求している。

 ステラは、フローリアがお姫様的な憧れの実現のために結婚を求めていると思っていたようだが、俺相手ににそんなことあるわけがない。


「その通りです。あくまでドライでビジネスライクな利害関係。決して利害から離れた個人的な願望などはございませんので」


 言いながら真っすぐ俺を見据えてくる。

 

「決してございませんので!」


 そして駄目を押すように視線で威圧してきた。昨日ステラにからかわれたのをまだ根に持ってるんだろうか。俺がそんな勘違いするわけないし、そんな念押しは不要なんだがな。

 

「それで? お前の要求はなんだ。交渉とか抜かすからには、ぶん殴られて終わりにならない程度にはいい条件を用意してるってことだよな?」

「ええ、あなたにとっても悪い話ではないはずです」

「言ってみろ」


 おれが促すと、フローリアは周囲を見回して1つ瞬きをした。

 

「ここは一応図書館ですし、王都行きの馬車の中で話しませんか?」

「まだ乗るとは言ってない」

「でも、見捨てられないでしょう?」


 フローリアは、むしろ優しげにすら見える顔つきでそう言った。

 ……本当に食えない女だ。

 まあ髪色も目の色も変えてるし、王都に入っただけで身に危険が迫るようなことはないだろう。いずれは王都に乗り込むつもりでいるわけだし、下見だと思えば王都まで出向くのもそう無駄でもない。

 

「いいだろう。馬車が棺桶にならないようせいぜい気をつけるんだな」



 馬車に揺られ始めると、すぐにフローリアは話を始めた。


「ボルグロッド王国には、『竜卓十六鱗家りゅうたくじゅうろくりんか』という、16の有力な貴族を定める仕組みがあります」


 その内容はだいたい以下の通りだ。

 『竜卓十六鱗家』は固定されているものでなく、5年に1度の選定によって数ある貴族の中から決まるものである。選定法は単純で、王国への貢献度、もしくは潜在的な貢献度によって決まる。

 迂遠な言い方をしたが、原則としては強力な武力を国に捧げる家が選ばれるということだ。武力とはすなわち魔導武器の適性や魔力量の多寡によるもので、それは家系に大きく左右される。ゆえにほとんどその顔ぶれは変わらない。

 そんな中で、フローリアの生家であるウォズライン家はつい5年前、念願かなって「十六家」入りを果たしたのだという。その最大の理由は、次期当主であるフローリアの兄である。

 『竜卓十六鱗家』そのものにも席次がある。王宮内には、「十六家」が国王に忠言する際に集まり合議を行うための場所がある。そこに鎮座する竜の彫刻を施された円卓には、1位を頂点として時計回りで座ることになっている。

 席次を決めるのは家の代表者によるトーナメント方式の決闘だ。前回「十六家」入りを果たしたばかりのウォズライン家は次回のトーナメントが初参戦になる。フローリアの兄はそこで一気に1位まで狙えるほどの実力を持っているというのだ。

 

「私からの要求というのは、私と結婚した上でその兄をギタギタにして、私を当主の妻という地位に押し上げてほしいというものです」


 フローリアはかぶっていた猫を世界の果てまで投げ飛ばし、嫌悪と憎悪に表情を歪めながらそんなことを言った。

 なんでもウォズライン家は反血統主義と徹底的な実力主義を掲げているという。その背景には「十六家」に入り、その上位に食い込むという野望がある。だから次期当主は性別も年齢関係なく、完全に決闘における実力のみで決定する。

 つまり血のつながっていない人間、例えば養子や婿養子ですら当主になり得るということだ。ちなみにその姿勢と新興貴族としての立場は、「十六家」を構成する伝統の名家からは大変な不興を買っており、両者の関係はかなり険悪だという。

 力があり、経緯はどうあれ家の人間でありさえすれば、誰でも当主になれる。それはすなわち俺がフローリアと結婚し、ウォズライン家の一員になれば、俺にすら当主になる権利が生まれるということなのである。

 

「私もあなたも、今よりもずっと高い地位を手に入れることができる。悪くない話ではないかと思いますが、いかがでしょう」

「まあ、確かに反血統主義と、他の貴族連中に目の敵にされてるっていうのは俺としても共感できるポイントではある」

「では……」


 期待に満ちた表情で身を乗り出すフローリア。俺ははっきりと首を横に振る。


「いいや、残念だが俺はどんな形であれ貴族なんて反吐の出る連中の仲間になるつもりはない。俺はお前らを叩き潰す者だ」

「ウォズライン家は貴族であって貴族ではない。そういう立ち位置です。その一員として、血統主義、魔力量至上主義の他の貴族どもを叩き潰すのは、それほどあなたの主義に反しないのではありませんか?」

「明らかに反する。お前もお前の家も俺の敵だ。貴族っていうのは在り方の問題じゃない。名前や肩書き、それに必然的に伴う力がまさしく貴族の本質だ。『竜卓十六鱗家』なんていう胡散臭い地位と権力を捨ててから出直してこい」

「…………」


 フローリアは唇を噛んで黙り込んだ。数秒そのままでいたあと、覚悟を決めたように大きくうなずいた。

 

「イエスというまでステラさんの居場所は教えません」

「吐きたくなるようにしてやるだけだ」

「私に危害を加えれば、ステラさんの命はありません」

「こっちで勝手に探す」

「生きている間に再会できることを祈っております」


 フローリアはほんのわずかにも表情を変えず、目も逸らさなかった。


「ちっ……」


 本当に腹黒いやつだ。いやまあ、善人とか聖人よりはよっぽどましなんだが、自分にそのたちの悪さが向けられるとなると話は別だ。

 

「王都の屋敷で歓待を受けてからもう一度考えてみてはいかがでしょう」


 口角を上げ、しかしまったく笑っていない目で俺を見つめる。

 下手に抵抗しなければステラの安全は保証されるだろう。とりあえずはこいつの口車に乗るしかない、か……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る