惣菜パック

 すべて引越し手続きを終え、住民票を移したり、こちらの小学校への真人の転入手続きも終えて、ひと段落した私は、自分の仕事を探しに職安へ行った。とにかく働く場所を見つけなくては、貯金も段々目減りしていくばかりだ。


 田舎町の求人には、オフィスワークなどないに等しく、私は【急募】という文字に目を引かれた近所のスーパーマーケットの惣菜部門へ応募してみることにした。


 面接では、眼鏡をかけた大柄な男性店長が、私の職歴を聞いたり、立ち仕事や力仕事は大丈夫か、お盆や年末年始の休みもないが平気か、と一通り確認したあと、すぐ採用となった。


 はじめて出勤した日、総菜部門のチーフの山形さんという五十代後半の女性が、スーパーの奥の惣菜を調理している厨房フロアを案内してくれた。


 まず手を除菌して、マスクと帽子と手袋をつける。衛生管理は徹底しなければならない。その日は一日、春雨サラダや白和えなどの惣菜を、プラスチックのタッパーにつめる作業をした。パックのふたを閉じて、惣菜の名前や値段、グラム数が印字されたラベルを、機械を使って発行し、次々と惣菜パックへ貼って行く。


 先輩パートの中川さんと一緒に、出来上がった惣菜を、台車に乗せて、棚に陳列しに行くということもやった。お客さんの人波の邪魔にならないようにしながら、惣菜棚へと惣菜パックを並べていった。


 惣菜フロアのパートはほとんどがこの近所の主婦のようで、みんなたくましくきびきびと立ち働いていた。


 帰り際、山形チーフが「お疲れ様」と言ってくれて、


「お惣菜、賞味期限近いものは廃棄になっちゃうから、よかったら少し持って行って」


 と、汗まみれの顔でにこっと笑った。私がお礼を言いつつ、どれにしようか迷っていると、


「タラの芽の天ぷらは美味しいよ、この季節のものだけだからね。あと、メギスのすり身揚げはどうだい? ここは漁港が近いから、いつも店頭で売れ残った生のすり身を、ごぼうと一緒に揚げているのさ。家で温めなおして食べな」


 と教えてくれた。ありがたく、その2種類の惣菜をもらって、父と真人の待つ家へと帰った。


 家で、タラの芽の天ぷらと、すり身揚げを、オーブントースターで温めなおして、父の用意してくれた夕食と一緒に並べた。


 父は、タラの芽を見て、相好を崩す。


「山菜は大好物や。タラの芽以外にも、フキノトウや、ワラビも、揚げると旬の味がして旨い。久しぶりに裏の山に行って採ってくるのもいいなあ」


 真人は、タラの芽の天ぷらと、すり身揚げの匂いを、ひくひくと交互に嗅いで、食べるか食べまいか思案しているようだ。


「真人、タラの芽ちゃ、旨いもんやぞ、食べてみい」

「えー、苦くないの」

「苦くない。一口だけでも、食べてみんか」


 父に促されて、真人がタラの芽を箸でつまみ上げ、口に入れた。咀嚼しながら、目をまるくする。


「そんなに、苦くないね。……おいしい、かも」


 私も、つられてタラの芽に箸を伸ばし、口の中へと放り込む。じわっと、春の山の恵みの味が、口の中にほんの少しのえぐみとともにジューシーに広がって、そのほこほこした味わいが癖になってしまいそうだ。


 真人は、メギスのすり身揚げにも箸をつけ、「あ、僕これ好き」といいながら、次々に食べた。食の細い真人も、こちらでの魚ばかり並ぶ食生活にじょじょに慣れてきたようで、私も胸をなでおろす。


 すり身揚げは、ささがきごぼうの固くさくさくした食感と、柔らかく味わい深いメギスのすり身が一体となって、口の中にふわりと香ばしい旨みが広がる。一日働いてきて、お腹が減っている身としては、いくらでも食べられそうだ。


 春の山の味、春の海の味。この小さな村では、早春の里山里海の恵みを、いつでもこうして季節とともに食べられるのだ。


 都会では、お金をふんだんにかけることが贅沢だったり、ステイタスだったりしたけれど、本当の贅沢って、こうして、旬の美味しいものを、採ってすぐに食べられることなのかもしれないな、と私は深く息をつく。


 お腹いっぱーい、と、真人が畳に寝転がる。少しふくらんだ息子の腹が、トレーナーの裾とズボンの間から、見えている。


「千香子も飲むか。……仕事決まって、良かったな。おめでとう」


 父の骨張った指が、徳利を持ち上げる。そのまま、私の持つ猪口に、ぬる燗を注いでくれた。廊下で、古時計が、午後八時の時を打つ。小さな家の中に、静かな時間が流れていく。

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