血吸い蔵
――そういえば。何年か前の夏だ。曳谷村で子供が亡くなる事件があったと、両親が話題にしていたことがあった。しかし、子供が死んだ事件などニュースで頻繁に目にするし、馴染みはあるが遠い地での出来事である。すぐに忘れてしまったはずだ。
「五年か六年おきにな、夏頃になると、あの蔵で子供が死ぬんじゃ。皆同じように、内側から鍵がかかっとる蔵のなかで、身体に刃物が突き刺さって、な。
到底、事故とは思えんし、自殺はもっと考えられん。
さらにおかしいんが、血が大量に出とるはずなのに、子供のまわりにはこれっぽちも血が残っとらんかった。誰かが拭き取ったとしか考えられんわけだ。
けれども蔵には何人も出入りできん状況でな。そんななか村人の誰かが言ったんじゃ。あの蔵は血吸い蔵だ。あの蔵が子供を殺して、血を吸ったに違いない」
祖父の声が、曇天に吸い込まれて消えた。雪を踏む音がやけに大きく聞こえる。
「もちろん、そんなふざけた話を真に受けるやつなどおらんかった。ちゅうのも、犯人の目星がついとったからのう。あの神社、
これといった問題も無く暮らしとったところに例の事件じゃ。普段は人の滅多に訪れん神社じゃけえ、場所が場所だけに、当然、その鋏上巫女が犯人と思われた。
しかしのう、巫女が犯人だという証拠が全く見つからんかった。いくら怪しくても証拠がなけりゃ警察もどうもできん。結局、警察は事故と見なしおった。
それが二十年以上前の話じゃ。それから五、六年ごとに、同じ時期に同じ状況で子供が死んどるんが見つかっとる。三年前ので四人目じゃ」
不穏な空気の漂うなか、両側を鈍色の山肌に挟まれた道を進む。
やがて右側に雪かきの跡が見られる細い道が現れた。斜面を上る形で、その獣道のような筋は林の中へと続いていた。上った先は平地になっているのだろうが、下からでは何も見えない。
遠くからは微かに木を打つような音が聞こえる。神社まではもう少し歩くはずだ。一体、あの獣道の先には何があるのだろうか。
祖父に続いてぞろぞろと歩いていると、左側に木造の小屋が見えた。剥き出しの壁板は黒ずみ、今にも崩れそうな見た目のぼろ小屋だが、どうやら人が住んでいるらしい。雪かきのスコップが軒下に立て掛けられている。
「そこの片柳の爺さんも、ほんに可哀想や。蔵で最初に死んだ子供っちゅうんが、片柳さんとこの娘さんでのう。まだ小学校に上がったばかりじゃった。事件のすぐ後だったけえ、家が全焼してしまって、あの小屋だけが残った。そんで、奥さんが出ていったあとも、ひとりであの小屋に住み続けとる。まるで娘が帰ってくるのを待っとるようじゃ」
小屋の中は暗いのか、窓から中の様子は窺えない。あまりじろじろ見て、片柳老人に気付かれても困る。
視線を前方に戻すと、右手に立つ木々の天辺に、白い幟がちらりと見えた。もうすぐ神社だ。
少し進むと、幅の広い石段が右の斜面に現れた。石段の始まりの左右には電柱よりも少し高いくらいの幟が立っており、長方形の白地に「奉納鋏上神社」と太い筆で黒々と書かれている。さらに「氏子中」と綴られていることから、かつて村人が神社に納めたものだと分かった。もう何十年も使い続けているのだろう、布地に張りがなく、簡単に破れてしまいそうだ。
ふと気がつくと、先程まで降っていた雪は完全に止んでいた。しかし、空は依然として暗いままだ。
「――なんも無きゃあいいが」
祖父が石段に足をかけた。五十段を超えるであろう石段を三人で上って行く。
ある程度除雪はされているが、新たに降った雪が積もっており足場は悪い。石段の奥行きも狭く、所々ひび割れ、崩れている箇所すら見受けられる。転ばぬよう足元に注意しながら慎重に歩を進め、やがて石段の頂上へと辿り着いた。
石段の終わりにも下と同様に幟が立っているのだが、なぜか左側にしかない。右側にも幟を立てるための金属製のポールはあるが、肝心の幟が見当たらない。元から数が足りないのか、風でちぎれ飛ぶかしたのだろう。
石段から奥に向かって石畳が延び、鳥居をくぐって拝殿へと続いている。拝殿の右手側はちょっとした広場のようになっており、その中央には大小の薪がくべられ、大ぶりな炎を上げているのが見えた。正月飾りを燃やす、お焚き上げだろうか。
「蔵の戸が半分開いとる!」
祖父の視線の先。拝殿から焚き火を挟んだところに建つ、白い漆喰壁の小屋。これが例の血吸い蔵か。屋根に積もっていたであろう数週間分の分厚い雪は側面に滑り落ち、黒光りした瓦が見えている。
祖父は小走りで蔵の方へ駆けて行く。私と父もその後に続く。
石畳から拝殿、さらに右手の焚き火の場所までは、人が余裕を持ってすれ違えるくらいの幅で除雪されているが、蔵への道筋は無く、周囲は雪が積もったままの状態だ。
蔵へと至るその雪面に、点々と、一筋の小さな足跡が残されていた。足跡は今立っている雪かきされた部分から蔵の正面へと斜めに続いている。距離にして六メートル程度か。
足跡が付いてから時間が経っているのだろう。新たな雪が足跡の上に積もり、その輪郭をぼやけさせている。
「おーい! 里美ちゃーん! いるんやったら出ておいで!」
祖父の呼び掛けに返事は無かった。
蔵の引き戸は三分の一程開いている。しかし、中の様子はほとんど見えない。
「こいつはおかしい」
そう言うと祖父は、里美の足跡の右側を大きく迂回して蔵へと近づいて行った。私と父もそれに倣って進む。
戸に手をかけると、祖父は一息に開け放った。
冷たい空気に混じり、なんとも言えない生々しい臭気が鼻をつく。
蔵の奥で俯せに倒れた少女。その背中には草刈り用の鎌が突き刺さっていた。背中は血で染まっているが、不思議なことに、周囲の床には血が一滴も落ちてない。
「大丈夫か!」
どたどたと少女に駆け寄る祖父。ぎしぎしと床板が軋む。
雪によって濡れた祖父の靴の跡が床についたのを見て気が付いたが、少女の靴の跡は最初から無かった。床の木材が水を吸収したのだろう。
奥の壁の中程には明かり取りの小窓が付いているが、曇天のため蔵の中は薄暗い。
祖父は少女の横にしゃがみこみ、横を向いた顔に手を伸ばそうとし、すぐに脱力した。
「――駄目だ。死んどる」
鎌は刃の部分が柄とほぼ直線で、くの字に歪んだ包丁のようにも見える。その刀身の半分以上が、少女の背中に埋もれていた。
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