File.2 血吸い蔵

プロローグ――夏の魔物

「なあ、氷波。なんでこいつがいるんだ」

 夏晴れの熱気が籠ったアパートの一室に、扇風機の低音が響く。近所のリサイクルショップで入手したのだが、良く言えばレトロ調の扇風機は些か駆動音がうるさかった。

「それはこっちのセリフですよ。まど姉さん」

 玄関に佇む真登佳に、ソファーに座ってくつろぐ少女がスマートフォンを弄りながら応える。

「だからその〝まど姉さん〟てのは止めてくれ」

「えー、いいじゃないですか。まど姉さん。マドレーヌみたいで可愛いし!」

「こいつ、喧嘩売ってるのか」

 真登佳の表情が曇り、目の端が痙攣を始めたため、氷波は慌てて仲裁に入る。

「まあまあ、落ち着いて」

「そうですよ。そんなにカッカしてたら皺が増えちゃいますよ」

「どうやら一発痛い目を見ないと気が済まないようだな」

「きゃあ! 氷波さん、助けて!」

 その少女――千敷舞美ちしきまみがデスクチェアに座る氷波の影に身を隠す。

「氷波、そこをどけ。どかないならお前をロリコン認定する」

「ま、真登佳っ! 流石に小学生相手に暴力はどうかと……。それに舞美も、挑発的な態度は止めなさい」

「うぅ、氷波さんがそう言うなら」

 舞美は渋々といった様子で真登佳に謝罪した。

「――で、お前はなんでここにいるんだ。小学生らしく友達と市民プールにでも行ってこいよ。あ、ごめん。おまえ泳げないんだっけ」

「泳ぎ方は知ってます! ただその、実戦は違うと言いますか……」

「さすが豆知識。知識だけは一人前だもんなあ」

「マミです! チシキマミ! 豆とか止めてください!」

 確かに舞美は多くの雑学を知っている。というのも暇さえあればスマートフォンからインターネット百科事典にアクセスし、記事を読み漁っているのだ。「人類の叡知の結晶が目の前に転がっているというのに、それを読んでるだけで変人扱いされるんですよ」とは彼女の言葉だが、以前、氷波が画面を覗いたときはメキシコのプロレスラーのページだったので、さもありなんといったところだ。

「私はプールに行くより、氷波さんの怪談が聴きたいんですよ!」

「ああ? ウェブサイトがあるんだから家で読んでりゃいいだろうが」

「氷波さんの甘い声を堪能できる怪談読み聞かせには敵いませんよ」

「なんだと」

 真登佳の鋭い視線が氷波に刺さる。

「氷波、甘やかしすぎだ。てか、やっぱりロリコンか、お前。そうなんだろ。なあ」

 全身から障気を発する怨霊のようなそれが、指をボキボキと鳴らしながら氷波に迫る。

「お願いされちゃったら無下に断れないでしょ。あ、良かったら真登佳も聞いていくかい、怪談」

 そう言いつつ防御体勢をとった氷波だったが、彼の予想に反し、真登佳は引き下がるとソファーに腰を下ろした。

「ん、どうした。読み聞かせ。してくれるんじゃないのか」

「――え、えっと。じゃあ、せっかくだから届いたばかりのやつにしようかな」

 まさか、お気に召されるとは思っていなかった氷波は、ぎこちなくマウスを操作し、メール画面を開く。

「やった! 新作を氷波さんの声で聞ける!」

 真登佳の横にぴょんと腰かけた舞美は、氷波にきらきらとした視線を送る。

 氷波は咳払いをしてから、怪談の朗読を始めた。

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