井上真登佳による解釈

 八月初旬の昼下がり。クーラーによって冷え切った喫茶店の片隅で、氷波は真登佳を待っていた。

 結局、件の怪談の真相が分からなかったため、真登佳から答えを聞き出し、ついでに《怪異の淵》に載せる記事のネタにしてしまおうという魂胆だ。

 手持ち無沙汰を紛らわせるために、どんどん減っていくお冷の、三回目のおかわりをもらったとき、彼女はやってきた。約束した午後二時の五分前である。

「わざわざ待ち合わせなんて、一体何の用なんだ。しかも喫茶店って。まさかデートの誘いじゃないだろうな」

 デートという単語に内心どきりとしつつ、悟られないよう、あくまで論理的に応える。

「ほら、まだ家のエアコンが直ってないから。涼しくないと来てくれないでしょ」

 真登佳はどちらかというと体育会系だ。本業がミステリ作家のため、虚弱に思われがちだが、彼女の場合は心霊スポット探訪といったフィールドワークも多く、体力は人並み以上にある。だからというわけではないのかもしれないが、代謝が良いらしく、かなりの暑がりであった。その割には暑苦しいレザージャケットに愛着があるようなので、彼女の感覚はよく分からない。

「さっそく本題だけど。このあいだの匿名メール、覚えてる?」

「いいや、人形が動く話なんてとっくに忘れたよ」

「なんだ、覚えてるじゃない」

「さすがに細かいところまでは覚えてないぞ」

 氷波はバッグからタブレットPCを取り出し、テーブルの上に置いた。画面を操作し、例のメールを表示する。

「用意してるとは。お前、分刻みのスケジュールをたてて、気持ち悪がられるタイプだろ」

「デキる社会人と言って欲しいね。で、この怪談が怪談じゃないとしたら、誰がどうやって怪奇現象を起こしたのか、真相を教えて欲しいんだけど」

「面倒くさいなあ。そんなことでいちいち呼ぶなよ。何回か読んだらすぐに気付けるだろ、こんな子供騙しのトリック」

 ジトっとした目で氷波を見るが、氷波も負けじと機嫌を取る作戦に出る。

「ほら、ここの喫茶店はパンケーキが有名じゃない。いくらでも奢るからさ。頼むよ」

「本当か! ならしょうがない。教えてやるか」

 一瞬で態度を変えた真登佳は、目を輝かせながらウエイトレスを呼び止め、パンケーキを三つ注文した。甘い物好きという弱点につけ込むのは、真登佳の知り合い全員が使う常套手段である。

 しばらくするとコーヒーの香りに甘い匂いが混ざり始め、さっきのウエイトレスがトレーにパンケーキを載せテーブルまでやってきた。三枚重ねのパンケーキの上にはアイスクリームと色とりどりのフルーツが乗り、生クリームとチョコソースで綺麗にデコレーションされている。

 さすがに一皿は自分の分だろうという氷波の予想を裏切り、真登佳は三皿とも自分のほうに寄せて食べ始めた。かと思うと、ものの十分も経たないうちにぺろりと平らげてしまった。

 それから、匿名メールにざっと目を通すと、

「よし。それじゃあこの話がどうして怪談じゃないのか、説明してやるか。といっても、あくまで私の解釈に過ぎないからそのつもりで聞いてくれ」

 好物の甘いものを摂取したからか、普段より機嫌が良さそうだ。

 真登佳はテーブルの紙ナプキンを一枚取ると、ボールペンで何やら書き始めた。

「この話を怪談たらしめてる要素は二つだ。一つ目は、いわば密室状態であった部屋に人形が侵入していること。二つ目は、深夜に人形が独りでに動いていたこと。これが怪奇現象じゃなかったと証明出来ればいいわけだ」

 紙ナプキンに二つの怪奇現象が箇条書きされる。

「まず一つ目の謎。投稿者が人形を見つけてから三日目の六月十七日、水曜日の話だ。玄関ドアには鍵がかけられ、人形が侵入可能と証明された郵便受けはガムテープで塞がれていた。もちろんベランダの窓も完全に閉じられている。そんな部屋にどういう訳か、コンビニのゴミ箱に捨てたはずの人形が侵入していた。しかも、そいつが深夜に動いているところを発見している」

「どうして人形が動いていたかはともかく、部屋に人形を入れることが出来る人物は一人しかいないんじゃないかな」

「どうしてそう思う」

「だって、その密室を破るには玄関ドアの鍵を開ける必要があるでしょ。アパートなんだから秘密の抜け穴なんて存在しないだろうし。そうなってくると、合鍵を持っていた投稿者の母親しか考えられないよ」

「お前、その母親はオーストラリア旅行の最中だぞ。日本に帰ってくるのは動く人形を見た翌々日、六月十九日の朝だ」

「でも、嘘をついてる可能性だってあるでしょ。もしくは予定が変わって早く帰ってきたとか」

「だったら、月曜日に外廊下に置かれていた人形はどう説明する? 投稿者は月曜の夜に母親とテレビ電話で通話している。この時点で母親がオーストラリアに居たことは確かなんだ。それとも、誰か知り合いに頼んで娘のアパートに人形を置いてもらったのか? 何のために?」

「うーん。……あ、ほら、母親は過保護だったらしいじゃないか。だから、人形で娘を怖がらせて実家に戻ってくるよう仕向けたかったとか」

「例え母親がそう考えたとしてもだ。なぜ、わざわざ旅行中に実行する必要があるんだ」

「そりゃあ、アリバイ工作に決まってるでしょ。犯人が母親だと勘付かれたら、驚きも半減するだろうし」

「そもそもだ。そんな回りくどいことをしなくても、娘への仕送りをやめればいい話じゃないか。それで娘は実家に帰らざるを得なくなる」

「確かに……」

 娘を実家に呼び戻すための作戦にしては少々大掛かりすぎる。それに、仕送り停止という直接的な方法がある以上、人形を仕掛ける意味はない。

「犯人が母親じゃないとなると、犯人はどうやって部屋に人形を入れたのさ。部屋の鍵が無ければ不可能だと思うんだけど」

「人形が独りでに動くという前提で考えると、この謎はすんなり解ける。犯人は何らかの方法で人形を動かすことができる、というのは水曜日の夜に投稿者が目撃しているから間違いない」

「まあ、それは確定か。分かった。いいよ、人形は動くってことで」

「そしたら話は単純だ。便

「えっ」

 人形が複数体存在したとは全く考えていなかった氷波は面食らった。確かに、人形は量産品だという記述がある。犯人が人形を複数体用意することは可能だろう。

「郵便受けから人形を部屋の中に入れられることは、この青崎ってやつが証明済みだ」

 真登佳は該当部分を指で示した。

「それじゃあ、肝心の人形の動かし方は? まさか糸で引っ張ったとか言わないよね」

「糸なんか部屋に仕掛けられるわけがないだろう。すぐバレちまうよ。犯人は、きっと磁石を使ったんだろう」

「磁石?」

使。古い木造住宅だと、一階の天井裏が、直接、二階の床下になっている場合が多い。断熱材を剥がせば床の厚さなんて数センチだ。このアパートの床が薄いことは大家さんも話しているしな」

「ということは、犯人は……」

「投稿者の部屋の真下に住む、青崎だろうな。電気工学科だし、部屋にあったスパナに電線を巻いて強力な電磁石を作ることも可能だろう。それに、やつは投稿者の部屋に一度入っている。引っ越しのときに家電の配線をしにな。だから家具の配置も知っていて、人形をどこに動かせば良いのかも判断可能ってわけだ」

「でも、磁石を使ったなんて、どうして言えるのさ」

「水曜の深夜――正確には日をまたいだ木曜になるが、人形を沼倉に預けた後、自分の部屋に戻った投稿者は、床に黒い砂が落ちているのを発見しているだろ」

「そうか、砂鉄か。人形の中に仕込んでおいたわけだ。……でも、おかしくない? 人形から砂鉄がこぼれたのだとすると、人形を部屋に侵入させた火曜日の時点でも床に砂鉄が散らばっていないと辻褄が合わないじゃないか」

「人形を侵入させた火曜日と、深夜にベッド下から這い出させた水曜日で、一つ違うところがある」

「動かした距離とか、時間帯とか?」

 真登佳は首を横に振る。

「うーん。何かが原因で人形のパーツが緩くなっていたってことだから……」

 まあそうなんだが、と前置きをし、溜め息をつく。

「水曜日の深夜、投稿者の部屋に人形を見に行った沼倉が原因だよ。オカルトマニアのこいつが人形を発見して何もしないと思うか。さっきまで動いていたかもしれない人形だ。触って、いじって、こねくりまわすぐらいは当然するだろう。そんなことをしたら人形の中の砂鉄がこぼれたって何の不思議もないさ」

「そうかもしれないけど……」

 にわかには信じ難いが、一応、筋は通っている。

「青崎がこんなドッキリを仕掛けた動機としては、そうだな……。投稿者に対する粘着質の恋心ってところか。親密になるきっかけ作り、吊り橋効果を狙っての犯行かもしれないな。なんせ、人形の侵入経路である郵便受けの口を塞ぐようアドバイスして、不可能性を強調しているくらいだし」

 真登佳は自身の説に、うんうんと頷き納得しているようだが、氷波はまだ腑に落ちていない。

「……本当に彼が犯人なのかな。他の人も、似たような方法で実行できたんじゃないかな」

「お、反論があるなら聞かせてもらおうじゃないか」

「例えばユミちゃんなら、犯行に使ったとされる磁石をラジコンに置き換えれば説明がつく。宿泊学習っていうアリバイもそれほど強固じゃないでしょ。宿泊施設を抜け出す隙はあるだろうし、もし宿泊場所がアパートから離れていてもタクシーとかで移動可能だと思うんだ」

「お前なあ。深夜の静まり返った部屋で人形からモーター音がしたら、さすがに気付くだろ。あと、子供が大人の監視を振り切るのがどれだけ不可能に近いか分かってるのか」

 痛いところを突かれたが、それならと対象を切り替える

「沼倉だって同じだよ。隣の部屋なんだからベランダを通じて行き来できるように仕掛けをしていたかもしれないし、大胆に壁に穴を開けていたかもしれない。人形を仕込む機会や合鍵を盗む機会だってあったかもしれない」

「はいはい、分かった分かった。確かにそうかもしれないな」

 真登佳は呆れた表情で氷波を見る。

「最初に言ったが、私が話したのは解釈の一つに過ぎない。飽くまでも怪奇現象じゃなかったと証明できれば私は満足なんだよ。犯人が沼倉でもユミでも母親でも、誰でもいいんだ。記述を拾って行った結果、たまたま、青崎に辿り着いたってだけのことだよ」

 真登佳は怪奇現象を箇条書きした紙ナプキンをくしゃっと丸め、テーブルの隅の灰皿に放り込んだ。

「だったら、動く人形は投稿者が見た幻覚ということにしたほうが早いじゃないか」

 自分の推理を受け流されたことに対する、ただの負け惜しみだった。

「人ってのは、そう簡単に幻覚を見られないよ。クスリでもやっていれば別だろうが。でもまあ、ミステリ作家のさがかもしれないな。提示された要素を再構成して、別の解を作りたくなるのは。他人から見て、それがこじつけだろうとな」

 ともかく、と真登佳は溜め息交じりに続ける。

「この怪談は人間によって演出された《偽怪》だったんだよ。少なくとも、私の中ではな」

 無理やり総括されてしまったが、氷波にも、そこまで意地になるつもりはないので、この話はこれでおしまいだ。

 絶対に怪奇現象を認めない怖がりさんの安眠が守られるのなら、それで良いではないか。

 会計を済ませて外に出ると、容赦のない午後の日差しが肌に刺さった。

「さて、お前の部屋に寄って、怪談っぽい話を仕入れてから帰るとするか」

 喫茶店から十分ほどの距離にある氷波のアパートへ向け、真登佳はすたすたと歩きだした。

「怪談っぽい、じゃなくて怪談だってば」

 彼女によって怪談という風物詩を失いかねない日本の夏に憂いを抱きながら、氷波は後を追う。

 鮮やかに晴れ渡る空には、入道雲が映えている。じりじりと焦げ付く陽光と、騒がしい蝉の声が、真夏の到来を告げていた。


                                   <了>

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