第15話:キャメロット・ウィドウ




 ティフォルからの評価は「お前意外とやるのな」だった。

 慟哭が響き渡る中、僕は渡された魚をひたすら三枚おろしにしていた。

 コロニー内にはいくつか池があり、魚が優雅に泳いでいる。

 彼曰く、必要最低限の量を釣って捌いているのだそうだ。


「魚は手軽に手に入るし、食べるのも好きだしね。そりゃこのくらい出来るようになるって」

「ふぅん。俺は豚肉派」

「美味しいけどさ、僕のコロニーではお祝いの時しか食べられない貴重品だったから、たまのご馳走って感覚かな。絞め方自体は知ってる」


 喋りながら、小さな子たちのために骨を除いた白身魚に衣をまぶして揚げ焼きにする。

 この廃都は食料などの製造機能が生きていて、調味料や油、加工食品などが潤沢に手に入るらしい。

 働きぶりによっては分けてやらないこともない、とのことなので腕によりをかけようと思っている。

 塔の袂に設けられた料理場。

 僕はきつね色になった魚をひっくり返し、ティフォルは根菜を刻む。

 四人の弟たちはピリカとレティと一緒に目と鼻の先で木の実やネクターを摘んでいた。楽しそうな声が慟哭と重なって耳に届いて、複雑な気持ちになる。


「……疲れてきたな」

「え?」


 ぼそりと呟かれた言葉に視線をティフォルに戻した。


「母さんの話。かなり声が掠れて小さくなってきたなぁって」


 確かに、高声が枯れてきている。


「アルマさん、だっけ」

「ん。お前のとこは、ええとピリカとレティ? 合ってる?」

「大正解」


 こんがりと揚がった魚を皿へ。

 根菜は酢漬けにするらしく、ガラス瓶にぎちぎちに詰められている最中だった。


「明日の朝に挨拶してやってほしい。今日はもう無理。泣いている時は会話にならない」

「わかった」


 しばしの沈黙を経て「なぁ」と呼ばれる。


「なに」

「お前いくつ」

「十七」

「ふぅん。チビだからもっと下かと思った」

「うるさいな。そういう君は?」

「多分十七くらい。誕生日わかんねぇし、多分としか言えない」


 空笑いをし、ティフォルはイモを練り、薄く伸ばして焼いたものを魚に添えた。

 どうやら、彼らの主食らしい。


「俺と同じくらいの旅人はお前が初めてだ。俺らのとこに来るヤツは決まって年季の入ったおっさんばっか」

「ここ、かなりの辺境地だしね。まず航路から外すってところにあるもん」

「もう三回くらい言われたそれ」


 にやり、と含みのある笑みが僕に向けられた。


「意外と同年代でも色々違うのな。勉強になるわ」

「それはよろしゅうございましたね、僕より背が高くてガタイが良くて」

「気にしてんの?」


 満面の含み笑いにイラっとした。


「だーまーれー」

「お兄ちゃーん!」


 どうしてくれようかと思案しているとカゴを満杯にした御一行が駆けてくる。


「んー? どしたー」

「おかしもらった!」


 最年少であろう弟は、木の実の蜜固めが入った瓶をティフォルに見せた。


「よかったな。ちゃんとお礼は言ったか?」

「ええと、ありがとうございます!」

「いや、俺にじゃなくて」


 肩を持たれて方向転換させられた弟は「ほれ。ありがとうございました」と促される。


「ありがとうございました!」


 元気な感謝の言葉が夕暮に木霊した。


「どういたしまして、です!」

「……お腹壊さないでね」

「よし。甘いもんはごはんのあとだからな」

「はぁい。お腹へった!」


 ぐしゃぐしゃと頭を撫でられてご機嫌だ。


「旦那さま……」


 物欲しそうな顔で僕を見上げるピリカ。

 自分もよしよしして欲しいらしい。


「いっぱいありがとう。ピリカのお蔭で美味しいごはんが食べられるよ」


 柔らかい金糸を触って、おでこに口づけを落とす。

 ピリカは「んふふ」と笑って僕の頬にお返しをしてくれた。


「レティも、ありがとうね」


 ふわりと、微かに口角が上がり頷かれる。


「公衆の面前でいちゃついてんじゃねぇよ。飯にするぞ飯!」

「痛い!」


 頭を結構な勢いではたかれた。

 ピリカの手前反撃に転じるわけにもいかないので「はいはい」と全力で不機嫌な返事をする。

 気がつけば響き渡っていた慟哭は止み、廃都は静寂に包まれていた。

 僕たちは二番目の弟を待って、夕食を摂る。

 こんなに大人数で賑やかな食事は、本当に久しぶりだった。



 *****



 厠は階段を降りて右の突き当り。

 僕は抱き合って眠る二人を起こさないよう部屋を抜け、階段を降りた。

 意外と掃除されて綺麗だった厠で用を足し、さあもうひと眠りと階段に足をかけたところでそれが耳に届く。


「……歌?」


 誰かがどこかで歌っているのだ。

 伸びやかなテノール。

 こんな夜更けに誰だろう。

 いや、この廃都で声変わりしているのは僕とあいつだけなので誰なのかは分かり切っているのだけれど。

 歌詞までは聞き取れないが、割と音程が取れていて上手い部類に入ると思う。

 伸びやかでゆったりとした旋律に誘われるように、僕は塔を出て声の主を探した。

 外気はひんやりとしていて、声が余計に響くように感じる。

 ぐるりと周辺を見渡せば、右手側に建つ石造りの櫓に明かりが灯っていた。

 驚かせてやろうと抜き足差し足で螺旋階段を上り、円柱のてっぺんに据えられた見張部屋に足を踏み入れる。

 瓶が散乱する部屋の窓辺に寄りかかる背中は、間違いなくティフォルのものだった。


 振り返りもせず、旋律は続く。

 子を慈しむ、母の歌。

 しかし子は巣立ち、母は頼りを待つばかりの生活を送る。

 ティフォルが歌うのはそんな歌だ。

 一曲歌い終わったタイミングで僕は拍手をした。


「うわっ。いたのかよ」

「むしろどうして気づかないの」


 跳ねるように振り返ったティフォルは、目を丸くして本気で驚いていた。

 手には琥珀色の液体の揺れるコップが握られている。

 よくよく見れば頬は上気し、ろれつも若干怪しい。


「お前も飲む?」


 足元の瓶を掲げてティフォルはにやりと笑った。


「遠慮しとく。戒律に触れるから」

「ふぅん。優等生が」

「でも、そっちのは欲しいかな」


 散乱する瓶に混じって、皿に炒った木の実のおつまみが盛られていた。


「どうぞご自由に」


 足で空瓶をどけて、隣に来いと指示される。

 僕は逆らう理由もなかったので左隣に移動し、塩味のおつまみを口に放り込んだ。


「監視?」

「ん。夜にも密猟者は来るらしいしな。来たことないけど。一応だよ、一応」

「お酒飲んでる時点でダメだと思うけどね」

「飲まずにやってられっかよ」


 琥珀色を一気にあおる。

 完全に出来上がっているようだった。

 食料製造機能が生きているのは知っていたが、まさかお酒まで潤沢に手に入るとは。


「なぁ」

「ナンデショウカ」


 コップに琥珀色が追加される。


「お前のコロニーってどんなとこ?」

「どんなって、至って普通のコロニーだよ」

「その普通を俺は知らないんだよ」


 僅かに怒りを孕んだ声色。

 そうか、彼は。


「うーん。どんなって改めて考えると難しいなぁ。北側にネクターの甘い香りがする森があって、その周辺に畑が広がってる。ラズベリーなんかの木イチゴ系が他所よりよく採れるかな。人口はそんなに多くないけど、いつもどこかで産声が上がってて、学校もひと学年二クラスあったよ。密猟者は滅多に来ないけど、旅人が休息に立ち寄ったり永住の地に選んでくれたり、賑やかなところ」

愛寵種フューシャは? 母さんみたいな色の」

「アルマさんみたいに明るい色が複雑に混じり合っている人は初めて見た。髪色は大体ピリカみたいに一色か、二、三色までかな。そもそも故郷のコロニーって小柄な愛寵種フューシャが多いからさ。レティみたいな長身の子も旅人として数回見た程度。アルマさんはレティよりさらに珍しいんだと思う」


 癖のない虹色の長髪。

 あまりに鮮やかな彩りと青白い顔貌は見るものを惹きつけ、魅了する。

 しかし慟哭する姿にはある種の恐ろしさも感じた。

 適当な例えが見つからないが、とにかく普通じゃなかったのだ。


「珍しいねぇ。ピンとこないな」

「僕が知らないだけで、どこかの地域ではありふれているかもしれないけどね」


 木の実をつまむ。


「知らない、か。お前大して旅慣れてるわけじゃないのな。つがいもチビだし」

「まだ半年。僕のコロニーでは、第一子の人間以外はみんな旅をして終の住処を探すんだよ」

「で、まだ見つかってないわけだ」

「まあね。もう少し、ピリカが成熟個体になるまでは葉地ロトスを巡るつもり」


 ティフォルは水でも飲むかのように琥珀色を飲み干した。


「お前はいいな。どこへでも行けて」


 自らを嗤うように、世界を嫌うように、ため息のような嘲笑が唇から漏れる。


「俺は母さんを護らなきゃいけないから、どこへも行けない」

「ここを出て近くのコロニーに移住する、って考えはないの? いくら辺境地でも危険だよ」

「……俺達には父親がいない。血の繋がった母親もいない。母さんは近辺の葉地ロトスで密猟者に捨て置かれた赤子を拾って育ててる」

「聞いた」


 ティフォルは再び並々と注がれた琥珀色を揺らす。

 口角を吊り上げて、虚しそうに。


「密猟者が欲しいのは愛寵種フューシャだけで、人間は無価値だ。だから赤子は大抵殺された父親の近くに放置されて衰弱死する」


 コロニー外での出産は危険を極める。

 だから、臨月になるとつがいはコロニーに身を寄せる。

 理由はティフォルが語ったとおりだ。


「母さんだって好きでここに留まってるわけじゃない。父さんの墓があるから離れられないんだ。まだ雛に毛が生えたくらいの頃に密猟者に襲われて、なんとか退けてこの廃都に逃げ込んだ。でも父さんは深い傷を負っていて、間もなく落命した」

「アルマさんから聞いたの」

「うんや。十七年も一緒に暮らしてればそれくらい察するわ。馬鹿じゃあるまいし」


 はははっ、と乾いた笑い声が櫓に反響する。

 僕はとても笑えなかった。


「俺にも行きたいところや見たいものは山ほどある。でもな、母さんを置いて行けるわけないだろ? 見捨てるなんて簡単にできるわけないだろ? 俺を救って育ててくれた恩人を」


 愛憎の入り乱れた表情が、彼の複雑な心情を物語っていた。

 ティフォルは母を愛しているのだ。

 愛ゆえに、自らを縛り上げている。


「弟たちだってまだ幼い。俺が世話してやらないとメシも食べられない。人間だけじゃ葉地ロトスを渡れない。……人生ってのは難儀だな」


 呟くような、吐き捨てるような、感情の吐露。

 同情されたくて話しているのではない嘆きに、僕はただ耳を傾ける。

 現状を打破する手立ては存在しない。

 僕には彼らを救えない。

 きっと、彼だって救ってほしくて話しているのではない。


「俺はティフォルにならずに死んだほうが楽だったのかもな」


 コップを空にして、ティフォルはその場に崩れ落ちた。

 ブツブツと何か喋って、糸が切れたように眠りにつく。

 僕は代わりに一晩、櫓の外を眺めていた。



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