第14話:遺児




 その日降り立ったオアシスには、見知らぬ木の実がたくさん実っていた。


「あのね、炒って蜜でかためるととっても美味しいの!」


 熱のこもった訴えはレティのもの。

 少し身体つきもふっくらしてきて、ぐっと服とネックレスが似合うようになった。

 相変わらず微妙な距離感を保って接していたものの、木の実を発見した瞬間から爛々と目が輝き始める。


「ほわぁぁ。ピリカも食べてみたいです!」


 熱はピリカにも伝染した。

 屈託のない眼差しを裏切るわけにいかない。


「お腹を壊さないものなら構わないけど……」

「平気。とっても美味しいから」


 とにかく美味しいらしい。


「じゃあやってみようか」


 嬉しさからか、レティは頬を上気させる。

 初めて見る表情だった。


「ピリカちゃん、いっぱい作ろう」

「はい! お手伝いしますね!」

「くれぐれも遠くへは行かないように。僕はテントの設営をしてるから」

「行ってきます!」


 降り立ったのは大きな湖のほとり。

 揺らめく水面は透き通り、浄化装置も正常に稼働しているようだった。

 暗くなるまでまだ余裕がある。最近毎日長距離を飛行しっぱなしだったので、早めにピリカに休息を取らせたかった。

 ここ数日、初めて見る植物やその果実などが増えたと感じる。

 僕とピリカにとっての初めては、レティにとっては慣れ親しんだ故郷の風景。

 だからか、何かを見つけるたびにレティは嬉しそうに目を細める。

 確実に目的地に近づいているのだ。

 しかし懐かしさが心を蝕み、レティの腕の傷は酷くなる一方だった。

 腕だけで目を抉ったりしないだけマシだと思うべきなのだろうが、やはり血の滲んだ包帯を変えるのは辛かった。

 やりたくなくてもやってしまう。

 自傷は完全に無意識下での行為だ。

 咎めれば余計に気を病んで悪化しかねない。

 やめろと言っても逆効果だ。

 やめさせる方法はたった一つだけ。

 心休まる故郷に、無事送り届ける。

 それ以外にない。


「レティさん、あっちにもたくさんありますよ!」


 近場で収穫に励んでいたはずの二人の声で設営の手をとめた。


「待ってピリカ! 奥は危ないよ!」


 木の実を求めてどこまでも突き進もうとしている。

 夢中になりすぎて僕の指示をすっかり忘れているらしい。


「でも旦那さま、あっちに!」

「ダメだって」

「でももっと取りたいんですぅー!」

「だから」

「とーりーまーすぅー!」


 あ、久しぶりに強情モードに入った。

 これは絶対に引かないヤツだ。


「はいはいわかったから。僕もついてく」


 仕方なく組みかけのテントを残して、僕は二人の付き添人となる。

 結果、三人では食べきれないほどの木の実の蜜固めが出来上がったのだった。



 *****



 さて、どうしようか。

 とても消費しきれない量のお菓子が出来上がってしまった。

 レティもピリカもご機嫌だけど、果たしていたむまでに食べきれるだろうか。

 なんてある意味不安な夜を明かし、僕たちは次なる葉地ロトスへと移動する。


「どう? 良さそうなところはある?」

「うーん、と。敵影もありませんが、葉地ロトスも全然ないんです……」


 ピリカはぐるりと周囲を見まわして首を傾げた。


「こんなに見晴らしの良いところは滅多にないと思う」


 レティも同様の意見だった。


「困ったなぁ」


 僕にとっての真っ白な視界が見晴らしがいいとは。


「もう少し飛んでみようか。ピリカ、いけそう?」

「任せてください! 半日も飛べばどこかに絶対葉地ロトスがあるはずですから」


 有人廃都の多い上層には近づきたくない。

 が、浮上も考えるべきかもしれない。

 蜜固めをぽりぽり食べながらさらに半日。

 夕刻に差し掛かる直前にようやく葉地ロトスの群生地帯へと突入した。

 一安心であるものの、コロニーはなく、また、正常なオアシスもほとんどなかった。

 そろそろどこかに降りたい。が、よさそうな場所がない。と悩んでいると。


「ピリカちゃん、あそこ」


 レティがゴンドラから身を乗り出し、下方を指さした。


「無人廃都、ですか?」


 ピリカもレティに倣って首を伸ばす。


「緑も多いし、崩れも少ない。きれいなお水もありそう」

「旦那さま」


 ピリカが振り返り、僕へ了承を求める。

 周囲のオアシスは浄化機能がやられていて、まともな水も食料も得られそうにない。ならば。


「行こう」

「あれ?」


 身を乗り出したままのレティが不思議そうに呟いた。


「どうしたの?」

「豚がいっぱいいる……」

「珍しいね、無人になってるのに家畜が生き延びてるなんて」


 レティは小さく頷く。


「行きますよー!」


 明るい掛け声とともに僕たちはさらに高度を落とし、無人廃都を目指した。



「足元悪いから気をつけて」


 ゴンドラを着陸させたのは、緑で覆われた噴水広場。

 清らかな水は吹き出しているが、蔦があちこちに這い回り、まるでがんじがらめに拘束されているようだった。

 周囲の石畳や、住宅だったであろう石造りの建物も、逞しい蔦や苔やヤドリギに蝕まれ自然に還りつつあった。

 悪くない廃れ方だ。


「あわよくば豚を生け捕りに……」


 欲望を垂れ流しながピリカをゴンドラから降ろす。


「あんまり食べ過ぎるとお腹がぽんぽんになっちゃいますよ?」

「あはは、それは嫌だなぁ」


 軽やかに着地した奥さんからお小言をいただいてしまった。

 口を尖らせるピリカの後ろでレティも石畳を踏む。


「ピリカ、レティ、どこから探索しようか」


 左手に見える塔を仰いで問う。

 ここの塔も無数の腕が天へと祈るようにな造形をしていた。

 無人にしてはかなり立派な数だ。

 人が住んでいてもおかしくないくらいに。


「ネクターの木があったのは塔のすぐ近くでした」

「豚がいたのも、塔に近い場所」

「よし。なら決まりだ」


 僕は腰のナイフを触ってから、二人を引き連れ移動を開始した。

 噴水広場から繋がる石畳を突き進み、細い水路に沿ってずんずん進む。

 あちこちで蔦が這い回っているのに進路を阻むことはなかった。

 普通なら植物で遮られているはずなのに、おかしい。

 疑問を抱えたまま廃屋の間を抜けて、決定的な違和感が生じる。


「蔦が切られてる。しかも新しい」


 どこかに密猟者が潜んでいるのかもしれない。

 緊張に喉が鳴った。

 いつでもナイフを抜けるよう身構えて小道の終わりまで辿り着く。


「……へ?」


 視界が開けて、現れた風景に驚愕した。

 目の前に現れたのは野菜の植わった小規模な畑だったのだ。

 畦は整然と耕され、野菜は種類ごとに元気よく育っていた。


「誰かが、住んでる?」


 誰が好き好んで無人廃都に?

 もしや密猟者のアジトなのだろうか。

 ここを根城にして周辺を荒らし尽くしているとか。

 ありえない話ではない。

 ならば僕たちは今敵地の真っ只中に飛び込んでしまったことになる。

 胃が焼け爛れるような焦燥が僕を襲った。

 まずい。

 後方は廃屋。前方はネクターの林。

 これ以上近づくのは危険すぎる。


「ピリカ、いったーー」

「は? なに、お前ら。野菜泥棒?」


 一旦撤退しよう。そう言いかけて喉が凍りついた。

 廃屋のドアが開き、自分と歳がそう違わないであろう人間が出てきたのだ。

 咄嗟にナイフを抜いてピリカとレティを背に庇う。


「いやいや物騒だな。その様子だとつがいみたいだけど、お前のコロニーは一夫多妻制なわけ? 珍しいな」


 人間は気怠そうに頭を搔いた。

 赤髪を束ね、切れ長の目はくすんだ緑色。

 細身だが筋肉質な体躯を包む麻の上下は大分くたびれていた。

 堀が深く理知的な面持ちだが、油断してはならない。


「密猟者か」

「いやいや、違うし。物騒なもん下ろせって。俺はお前の味方じゃないけど敵でもないんだよ。勘違いするな」

「どうしてこんなところにいる」

「ナイフ向けて聞いてくるような礼儀知らずに答える義理はない。お前が名乗るのが先だろ?」


 飄々とした笑みに唇を噛む。


「こ、この方はピリカの旦那さまです!」


 張り詰めた空気の中、背後のピリカが急に僕と人間の間に割って入った。

 僕を護るように両手を広げて、相手を睨みつける。


「ピリカたちはレティさんをコロニーに送り届けるために旅をしています!」

「へぇ。で、旦那さまの名前は?」

「カナン様です! だ、だだ旦那さまには指一本触れさせませんから!」

「ふぅん。お前カナンっていうんだ」

「ピリカ……ありがとね」


 叱るに叱れなかった。

 緊張を完全に折られてナイフを戻す。


「俺はティフォルだ。ここで母さんと弟たちと暮らしてる」


 勇気を振り絞ってくれたピリカが僕の腰に抱きついてきた。


「信じていいか?」

「殺すならもっとうまくやってるだろ。遠くから狙うとか、不意打ちするとか、数で攻めるとか。俺今正真正銘丸腰だからな」


 確かに武器を持っている様子はない。

 密猟者ならもと狡猾に立ち回るだろう。

 ピリカの頭を撫でると「あの人は怖くない感じがします」と囁かれた。


「で? 腹が減ってるんで野菜とネクターちょろまかしに来た御一行様で正解?」

「追加で寝床も探してる」

「貸してやろうか? 豪勢なのは無理だけど」


 ティフォルは後方の塔を親指で指した。


「頼めるのなら」

「ついてこい」


 くるりと背を向けたティフォルの後を追う。

 林を突っ切って、荒れた石畳を踏み、塔の根本へ。

 塔への入り口近くでは、彼の言葉通り幼い子どもたち数人がボールを蹴って遊んでいる最中だった。


「ティフォル、お客さん?」

「ああ。二年ぶりにな」

「わぁ、真っ白の髪の毛!」

「ふわふわ!」


 またたく間にレティの周りに子どもたちが集まる。

 皆、ピリカとほとんど背丈の変わらない幼い人間だ。


「……うぅ」


 悪意はないのだろうが、やはり子供でも人間に囲まれるのはまだ怖いらしい。

 レティは手を胸の前でもじもじさせる。


「ごめんね。この子は人間がちょっと怖いんだ。あんまりびっくりさせないであげて」

「はぁい」


 僕の説明に子どもたちは小首を傾げつつ散ってくれた。


「塔の中にまだ使ってない部屋がある。そこを貸してやるよ。食事は手伝ってくれるんなら出してやる」

「わかった」


 散った子どもたちは再びボール遊びに興じる。

 ティフォルは「入れよ」と僕たちを塔内部へと案内してくれた。

 鉄骨が剥き出しの内部は急な階段が多く、やはりエレベーターは機能を停止していた。

 複雑な構造を記憶しているのか、ティフォルは無言のまま縦横無尽に細い通路を進む。


「……酷い音」


 疲れてきたピリカを抱き上げて長い階段を上っていると、それが僕の耳を劈いた。

 金属の擦れるような甲高い音と、悲鳴に似た絶叫をぐちゃぐちゃに混ぜた大音量のそれが。


「母さんが泣いてるんだ」


 ぽつりとこぼしたティフォルが、階段途中の出窓を開けてくれた。

 出窓から外を覗くと見えたのは、十メートルほど先の窓を開け放った小さな塔。

 開け放たれた窓際には人影があった。

 虹を写し込んだような七色の艶やかな長髪。

 病的なほど青白い肌。

 鼻がひと際高く、目つきは鋭くも悲哀を孕む。

 人間でいえば二十代後半くらいの外見年齢をした成熟個体の愛寵種フューシャが、天に向かって咽び泣いていた。

 頭の割れそうな、はらわたが飛び出そうな、そんな泣き声で。


「行かなくていいの。普通じゃない」

「今日は二番目の弟が当番だから。夕時になると毎日悲しくなるんだよ、母さんは」


 出窓が閉められる。


「ああやって毎日毎日泣いて泣いて泣いて、泣き疲れて眠るのが習慣になってる」


 理由は聞くべきだろうか。

 躊躇っていると、ティフォルが空笑いをした。


「俺たちには父親がいない」

「…………」

「弟たちとも血の繋がりはない。母さんは親を殺された旅人の赤子を拾って育ててる。こんなもんでいい? 理解できた?」

「うん」


 また、空笑い。


「ほら、ここだ。適当に自由に使ってくれ」


 階段を上りきった先には、丸窓のついた重厚な鉄扉が待っていた。

 ドアノブを回して押し開け、室内へと入る。


「寝具はあとで渡す。厠は降りて右側突き当り」


 部屋には本棚と鏡、格子窓があるのみ。

 簡素かつ質素ではあるが、三人が雑魚寝する空間は充分にあった。


「ありがとう。ちょうどいい」

「落ち着いたら降りてきて手伝えよ。お前、魚くらい捌けるだろ?」

「まぁそれなりに」

「んじゃ。なるべく早くな」


 ひらひら手を振ってティフォルは階段を下りていった。


「わぁ! 町がぜーんぶ緑色です!」


 閉まる扉を見守った僕をよそに、ピリカが早々に格子窓を押し上げて身を乗り出していた。


「うわっ危ないって」


 ほぼ反射的に僕はピリカの後ろに大股で移動し、腰をきつく抱く。

 落ちたら命はない。

 体の軽いピリカならあり得ない話でもない。


「ほら、旦那さますごいですよ! いっぱい見渡せます!」

「頼むからもうちょっと体を引いてってば」


 前へ前へと逃れようとする小さな体をがっちり固定して、僕も格子窓の外へ視線を落とす。


「ね、旦那さま。旦那さまの目にも綺麗に映りますか?」


 ピリカの言う通り、廃都は大部分を緑に飲み込まれ、まるで森林のような色に染まりつつあった。

 ヤドリギに蔦に苔。

 多種多様な緑色がグラデーションを描き、石畳や建造物を彩る。


「……あぁ、綺麗だ。すごいね」


 お手本のような廃れ方に改めてため息が出た。

 ティフォルたちが手を加えたためだろうか。

 醜悪さは微塵もない。


「若草色……」


 気になったらしいレティも僕の隣に並んで外を眺めている。

 日暮れが近い。

 霧を透過する橙色は徐々に藍色へと濃度を増していた。

 僕たちは静かに色の移り変わりに浸り、しばらくして階段を駆け降りたのだった。



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