第13話:断末魔




 声をあげる暇もなく葉地ロトスは小刻みに揺れ始め、やがて膝をつくほどの縦揺れが発生する。


「ピリカ! レティ!」


 うまく歩けない。

 揺れに足を取られてよろめいてしまう。


「旦那さまぁ!」


 森の中から水辺で身を竦める二人へ必死に近づいた。

 揺れは地面を引き裂き、深い創傷を成す。

 ぱっくりと口を開けた深淵は廃屋を次々と飲み込んで肥大化し、僕がピリカたちの元に這って辿り着いたと同時に叫ぶのをやめた。


「大丈夫? ケガはない?」

「だんなしゃまぁぁぁ」


 怯えて泣くピリカを、水から引き上げて抱きしめる。


「怖かったね。もう大丈夫」


 濡れた金糸と背を交互に撫でて落ち着くのを待った。


「レティも大丈夫?」


 肩越しにレティに声をかける。

 未だ水に肩まで浸かって、固まったままの。


「……見ないで」

「……あぁ、その、ごめん」


 両手で肩を抱き、赤顔されてしまった。

 非常に気まずい。

 すぐに目を逸らしたが、逸らしたくらいで恥ずかしさはなくならない。

 僕としても、至近距離は刺激的強すぎる。

 早鐘を打つ心臓を宥めながら、じっくりピリカの頭と背中を撫で続ける。

 パニックになった時は、優しく身体を触って声をかける。

 落ち着かせるには、それが効果的だ。


「だん、だんにゃさ……ぐらぐらぁって」

「びっくりしたね。多分、葉地ロトスの寿命が迫ってるんだと思う。次の揺れが来る前にここを出よう。じゃないと巻き込まれる」


 枯れかけている、とあの時レティは言っていた。

 葉地ロトスは巨大なハスの葉だ。

 植物である以上、いつかは必ず枯れてしまう。

 その前触れが地鳴りや地盤沈下、断層の発生なのである。


「ううぅ」

「一人で服を着られるかな」


 腕を解き、ラズベリー色の瞳を見つめる。


「ひうっ。あとでピリカのこと、ぎゅうってしてくださいますか」

「もちろん」


 小さな手のひらが目元を拭った。


「頑張ります……」

「いい子だね。僕はちょっと様子見してくるよ」


 生け捕りにされた魚はどさくさに紛れて姿を消していた。


「お気をつけて」


 残念に思っていると、頷きが返ってくる。

 頬をすり合わせて笑いかけ、僕はその場を離れた。

 無数の裂け目は地面を蝕み、ありとあらゆるものを貪り尽くそうとしている。

 池周辺のネクターの森を呑み、廃屋を呑み、池自体も亀裂で水位が減少していた。

 浄化装置もやられているかもしれない。

 僕は廃屋をいくつも取り込んだ裂け目の一つへと向かい、そっと覗き込んだ。

 亀裂には家屋だったものの残骸が無数に散らばる。

 きっとこのコロニーにも過去には子供の声が響き渡り、愛が育まれ、人々の営みがあった。

 その証が今まさに消えようとしている。

 悲しむ人すら、今や僕たちしかいない。

 家々の残骸に埋もれた裂け目に沿って歩くと、ある一点が白く染まっていた。


「……あぁ」


 人骨だ。

 おびただしい数の人骨が亀裂を埋めている。

 風化して脆く褪せた白。

 すでに原形を留めない命の亡骸。

 こんな風に墓でもない場所に集められているということは、殺害された人々のものだろう。

 死後まとめて身包みをはがされ金目のものだけ取られたのだ。

 あるいは、成果を自慢するために積み上げて写真でも撮ったのだろう。

 同じ人間の所業とは思えない。

 どうしてそんな残酷なことが笑って行えるのか。

 沸き上がる怒りに腿を殴った。

 今の僕は供える花すら持っていない。

 墓を作ることすら叶わない。

 彼らの無念を考えると得体のしれないどす黒い感情が噴き上がる。


 どうして。

 どうしてだ。

 人間の絶滅を防ぐためには愛寵種フューシャと共存しなければならないのに。

 どうして密猟者はそんな事すらわからないんだ。


「旦那さまぁー」


 ピリカが僕を呼んだ。

 むかむかする胸を騙して振り返ると、すでに二人とも衣服を身につけていた。


「いつでも飛べますよー」

「今行くー!」


 僕はその場からゴンドラを展開するピリカの元へ駆け足で戻った。

 ピリカにはこんな惨いものを見せたくない。

 レティにも、無用な恐怖は与えたくない。

 綺麗なものだけ見せてあげたい、だなんて思わないが二人を傷つけたくもなかった。

 こんな感情を抱くのは僕だけで十分だ。


「何か見つかりましたか?」

「ううん。収穫ゼロ」


 雷鳴のような地響きが微かに聞こえる。

 僕は約束通りピリカをぎゅうっと抱きしめて頭を撫でた。

 まだしっとりと濡れた髪からは、甘い匂いが漂う。

 熟れたネクターのような甘酸っぱくて瑞々しい香りが僕の怒りを鎮めていった。


「んふふ」


 満足そうに身じろぎした柔らかな体を堪能してそっと離す。


「ゆっくりできなくて悪いけど、タイムリミットだ」


 もう少し水浴びに時間を取らせてあげたかった。


「レティも、色々ごめん。包帯は飛び立ってから巻き直そうね」

「……うん。自分では上手く巻けなかったから」


 よし、目が合った。

 喜びながらも、これが精神負荷にならなければと祈る。

 いつかレティのことも抱きしめられる距離になればいい。

 いや、僕が恥ずかしく感じてしまうかもしれないが、それくらい親しくなれたなら。刻みつけられた恐怖が取り払われたなら。

 赤く残る自傷痕が、レティの精神状態を体現している。

 早く故郷へ帰してあげたい。

 一緒にいる時間が長くなれば長くなるほど決意は固く確かなものとなっていった。

 ごうごうと地鳴りが再び強くなる。


「さぁ、乗って」


 行こう。

 僕が船尾でピリカとレティは船首側。

 レティはもう恐怖でピリカにへばりつかなかった。


「行っきますよー!」


 快活な号令と共にゴンドラは空に浮き上がる。

 魚もネクターもすべて残して、僕たちは廃コロニーを飛び立った。

 消霧機能の範囲外へ出ればすぐにその姿は見えなくなる。

 ある意味、間一髪だった。

 白く埋め尽くされた視界の中、葉地ロトスの断末魔が響き渡ったのだ。

 まるで雷鳴のような、家畜のいななきのような、燃え盛る炎のような、そんな断末魔が。


「崩れちゃった……」


 ピリカたちのひどく悲愴とやりきれない思いの混じった表情でその叫びの意味を知る。

 あの人骨ごと、葉地ロトスは沼へと還っていった。

 新たな葉を生むために、花を咲かせるために必要な循環。

 なのに胸を絞めつけられるのはどうしてだろう。


「レティ。包帯巻こうか」


 無理やり笑った僕は、ゆったりと飛行するゴンドラの上で傷だらけの腕に白を巻きつけた。

 まだまだ道のりは長く、ゴールは霞んだまま。

 気を抜いてはならない。

 振り返っている暇はない。


 僕が、護るんだ。



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