第12話:廃コロニー




 結論から言うと、ネクターは美味しくなかった。

 毒味の僕も、ピリカもレティも渋い顔をするくらいには。

 まず甘みが予想通り少ない。

 おまけにどことなく苦みを感じるし、酸味も強め。

 実も柔らかさが足りず、繊維が口に残る。

 贈答品なんてもってのほかである。

 霧を吸わずに、光だけで育てられたネクターなんて今後食べる機会もないだろうから、貴重な経験をしたと割り切ろう、と三人で夕食を終えた。


 夜更けには濃霧警報のアナウンスも途絶え、翌朝を迎える頃には『濃霧警報を解除しました』と合成音声が報せてくれた。

 神経毒も一晩眠ると楽になる。

 輝く視界は元に戻り、吐き気も治まって食欲も湧いてきた。

 朝にもまた得も言われぬ味のネクターをいただき、僕たちは塔の外へと向かう。

 水浴びさせてあげたいけれど、水源が見つからない。

 あったとしても汚染されているかもしれない。

 次の葉地ロトスまで申し訳ないが、二人には我慢してもらうことになった。


「ピリカぁー、そっち行けそう?」

「うーん、ピリカだけなら通れるかもです」

「近道しようとするとすぐこれだ」

「横着な旦那さまが悪いんですよ」

「はいごめんなさい」


 なんて叱られながら幾度かの行き止まりを経て、無事あの初めの小部屋へとたどり着く。


「本当にお外に出て大丈夫なんですか?」

「警報のアナウンスも無くなったし、多分ね。出てみないことにはわからないよ」


 二人を分厚いドアから離して、ドアハンドルを思いっきり押した。

 断末魔のような音を響かせて、ドアが開く。

 入ってきたときよりもいくらか重たく感じた。


「よっと」


 ドアの向こうの世界は深い霧で満たされていた。

 土を踏んで身を晒し、思い切り息を吸い込んで、吐き出す。

 何度か繰り返したが、異常は起こらない。


「ほら、平気みたいだよ。ピリカには光って見える?」


 外へと誘うと、ピリカは小走りで僕に並んだ。


「普通の霧、です」


 お墨付きをもらったところで、レティも外へと出てきた。


「遠くにもいないかな」


 僕が尋ねるとピリカは天を見上げ、眉間にしわを寄せる。

 ずいぶん遠くまで見ようとしているらしい。


「いなさそ――」

「ひっ! いやああぁああああぁぁあぁあぁあああ!!」


 僕も倣って見上げていると、急にピリカの隣にいたレティが絶叫した。


「レティ!?」

「どうしま、ひああぁぁああ!! 旦那さまうしろ!」


 ピリカまで同じ方向を見て悲鳴を上げる。

 僕が振り返って目を凝らすと。


「っ!」


 ドアに凭れ掛かるように、二人の人間が折り重なって息絶えていた。

 吐瀉物にまみれて白目を剥き、顔面は麻痺で引き攣った状態で。

 背には忌まわしき飛行ユニットが背負われている。

 密猟者だ。


「いやあああぁ、いやああぁあぁ」

「大丈夫だよ、死んでる。もう襲ってこない」


 腰が抜けて地べたを後ずさるレティのそばで膝を折る。


「やあぁ……」

「怖くない怖くない。大丈夫だから」


 大粒の涙が頬を汚していった。

 噛まれるかな、と警戒しつつ手のひらで目隠しする。


「落ち着こう、ね?」


 よし、噛まれない。

 小声でピリカに索敵を頼み、空いていた手で背を摩った。


「あ……あう……」


 流れる雫の感触が指に伝わる。


「敵影なし、です。でも隠れているかもしれません」

「ゴンドラの準備を」

「はい……その、旦那さま、ほっぺが」

「気にしないで。痛くないから」


 カザキリで裂けた頬はそのままに、ひそひそとピリカに指示を出した。


「ひぅ……うあぁ」

「怖いね。もう次の葉地ロトスに行こう。僕もあいつらの顔なんか見たくない」


 吐瀉物に集る虫の羽音が神経を逆なでる。


「まずはゆっくり深呼吸してみようか。はい、吸って」


 目隠しをしたまま指示を出す。

 まだ無理かなと思ったが唇が大きく開き、深く息を吸い込んだ。


「はい、今度は吐いて」


 しゃくりあげながらも生ぬるい息が吐き出される。


「もう一回」


 何度か深呼吸を繰り返させてようやくレティは落ち着いた。


「旦那さま。いつでも飛べますよ」


 ゴンドラの支度も整った。


「立てる?」

「……うん」


 頷いた目元から手をどけようとすると手首を掴まれる。


「怖い、からこのまま、にして」

「わかった」


 自らを恐ろしい目に合わせたものの同胞など、見たくないのだろう。

 僕は目隠しをしたまま、レティを立たせてゴンドラまで導いた。

 縁を持たせて、目隠しを解く。

 大した高さにはならないが、死体が見えないよう壁代わりになってレティを乗船させる。


「飛ばして。できる限り低高度でね」

「はい、いっきまっすよー!」


 舳先の二人が姿勢を整えるのを待って、号令をかけた。

 操縦者は拳を高く掲げ、ゴンドラが浮上していく。


「まずは水浴びできるところを探そうか」

「旦那さまが臭くなっちゃいますからね」

「えー、ピリカだって同じだよ?」


 くすくすと笑う背中が、僕を空へと飛びあがらせた。



 *****



「レティさん、どこか綺麗なお水のありそうな葉地ロトスが見えますか?」

「……うーん。あっちは枯れてるし……あそこも……」

「四時の方向はどうです?」

「……枯れかけてるけど綺麗な水はありそう」

「じゃあ決まりですね!」


 深い霧の中で行われる会話についていけない。

 疎外感に苛まれるが、僕が人間である以上どうにもならないのである。


「オアシス発見?」

「違いますよ。もうずっと遠くまでオアシスはないみたいです」


 果敢に割り込んでみるも、否定されてしまった。


「廃都でもなくて、オアシスでもなくて、水があるところ?」

「はい。ピリカにはうまく説明できません」

「……人がいた痕跡はあるけど、人はいない。私たちもいない。とても寂しいところ」

「レティありがとう。大体わかった」

「やっと水浴びできますね!」

「うん……」


 ピリカが嬉しそうにゴンドラを方向転換した。

 ふんふんと鼻歌まで口ずさみだす始末だ。

 僕としてもレティの血の滲んだ包帯を交換してあげたい。

 どうしてもふとした瞬間に掻き毟ってしまう。

 その度に声をかけて気を散らせても回数が多すぎて完璧には防げなかった。

 嫌がられても傷の消毒は必要だ。

 今度はもう少しきつめに包帯を巻いたら、自傷を防げるだろうか。

 あれこれ考えて懐中時計が半分回り切った頃。

 僕たちは次なる葉地ロトスへと降り立った。


「ひどいな……」


 着陸地点は雑草の生い茂る池のほとり。

 消霧機能が働いているお蔭で視界は良好だ。

 そして、その良好な視界に広がるのは。


「廃コロニー、か……」


 苔むして倒壊寸前の木造家屋の数々。

 すでに人の手が入らなくなって久しい廃墟群だった。

 恐らく密猟者に滅ぼされたのだろう。

 池近くの建物にはどす黒く爛れた火災の跡もある。


「生きている音はしません」

「うん。僕が生まれるよりずっと前に滅びてる」


 なのに浄化装置は正常に作動していて、池の水は底が見えるほど澄んでいた。

 魚影まではっきりとわかる。


「寂しいね。でももう手遅れだ」

「はい……」


 飛行ユニットを得た密猟者は、しばしば集団でコロニーを襲う。

 多くは撃退されるか、数人攫われるかで終わるが、こうして完全にコロニーごと滅ぼされる事例も教科書に載っていた。

 ここがまさにそうなのだろう。

 もし疫病で滅びたのなら、こんな風に火災の跡が残ったり家屋の不自然な破壊が起こったりはしない。

 試しに近くの家屋に入ってみたが、死体も白骨も見当たらなかった。


「気乗りしないだろうけど、ここで水浴びさせてもらおう。僕は美味しいネクターでも取ってくるよ。いいかな」

「レティさん、大丈夫ですか?」

「……うん。平気。私のコロニーの近くにもあったから」

「じゃあピリカ頼むよ。僕は退散だ。何かあったら大きな声で呼んで」

「はい!」


 朽ち果てたコロニーなんて密猟者は狙わない。

 彼らにはここへ来る目的がない。

 すぐに駆け付けられる距離を保って、僕はネクターの収穫へ向かった。

 ぱちゃぱちゃと響く水音を聞きながら、カゴいっぱいにネクターを摘み取る。

 池周辺にはネクターの森と居住区が半分ずつ存在していた。


「レティさん、お魚を捕まえましょう! 旦那さまはお魚の香草焼きが大好きなんですよ」

「カナンが?」

「特に大きくてシロミ? のお魚さんです! きっと喜んでくださいます。昨日の夜から干し芋しか食べてませんし」


 小さな笑い声が耳に届く。


「旦那さまのお肉具合を調節するのはつがいの立派な仕事ですから!」

「そうなの?」

「はい! 学校の先生がおっしゃってました! 人間はすぐに不健康に太っちゃうから、見張ってなきゃいけませんよ、って」

「人間もネクターが食べられたらいいのにね」

「ですです! いろんなものを食べすぎちゃうからいけないんですよ。……あ。でも旦那さまにご飯を作ってあげられなくなっちゃうのは嫌かもですね」

「美味しい美味しいって言ってるのが無くなるのは嫌?」

「絶対に嫌です! だってピリカは旦那さまのためにお料理を覚えたんですよ。作ってあげられなくなるのは悲しいです。やっぱり旦那さまには色々食べていただかないと!」


 静かに水をかき分ける音がして横目で池を窺うと、ちょうどレティが髪を洗っているところだった。


「……刺激が強い」


 目を逸らして次なるネクターを探す。

 ピリカの寸胴でくびれも膨らみもない体は見慣れているし、まだ平気だ。

 だが、レティはほぼ体型が完成されている。

 今はまだ痩せているけど、あるところがしっかりとある体つきは僕の本能を強烈に刺激するのである。

 そんなものを間近で見せつけられるなんて拷問に等しい。

 もし鼻の下を伸ばそうものなら、レティとの関係は悪化してしまうだろう。

 ならばとるべき手段は逃亡のみ。

 賢明な判断だと褒めてほしい。


「あっ、お魚さん!」


 水面を派手に叩く水音は魚の手づかみ大会開始の合図。

 一生懸命魚を追うピリカと、見様見真似で水に手を突っ込むレティをついつい見てしまう。

 魚を一網打尽にしてしまいそうな勢いだが、どうやら獲物はなかなかに手強いようだ。


「レティさん、そっちいきましたよ!」

「えっ? あっ!」


 的確な指示でレティが両手を水中に突き入れる。

 盛大な水音と共に掲げられた両手には。


「捕まえた!」


 ニ十センチ弱の川魚が握られていた。


「わぁ! レティさんすごいです!」

「ど、どうしよう。あ、暴れる」

「陸に上げちゃいましょう。そしたら逃げられません」

「うん」


 鞭のようにしなる魚を持ったまま、レティは岸辺へ移動する。


「えいっ」


 畳んだ着替えのそばで魚が元気に跳ねる、何ともシュールな光景だった。


「もう一匹いきましょう! 今度はもっと大きいのを狙いますよ!」


 ピリカに誘われてレティは再び岸を離れた。

 腰まで浸かる池で、二人は裸のまま獲物を見定める。

 二組の双眸は真剣そのものだった。

 爛々と輝くラズベリー。

 遠くまでを見渡して大きな池全体を観察するアクアマリン。

 もしかしたら愛寵種フューシャには狩猟本能が備わっているのかもしれないと思わせるくらい、熱が籠っていた。

 僕もついついその様子に夢中になってしまい、異変に気付かないままその時を迎える。


 腹に響く重低音を感じた時にはもう遅かった。



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