第8話:懐古




 祭壇で跪く少年に自分を重ねていた。

 誓いを述べる声は上ずってとても褒められるものではない。

 だが、少年は必死に考えたそれを、新しく迎える妻とその両親へ捧げた。

 きっとあの日の僕もこんな風に見えていたのだろう。

 こんな風に見られていたのだろう。

 生まれながら戒律に従い、命がけの旅に出る定めを負った人間。

 自らの意思に関わらず、伴侶と共に生きることを強いられる愛寵種フューシャ

 例え愛し合っていたとしても、旧人類の自由恋愛とは程遠い。

 僕は隣に立つピリカの手をしっかりと握った。

 少年は頭を垂れ、薄桃のベールを纏うナナさんが花びらを模した色紙をうなじへと降らせる。次いでシュラさんが少年に手を差し伸べ、立ち上がらせた。

 さらに一礼。

 うやうやしく礼を終えれば、少年の腕へ赤ん坊が渡される。

 まだ首の座らない赤ん坊を危なっかしく抱いた少年は、あまりに軽い妻とあまりに重い誓いに口を引き結んだ。

 たっぷりと拵えた果実の砂糖煮は祭壇に捧げられ、のちにつがいが赤ん坊に食べさせる真似をする。

 結ばれた翌朝、夫が乳飲み子の妻に初めて果実の味を教える、というのがこのコロニーの慣例だった。

 儀式が終わると集まった住人は静かに去り、夫婦と義父母は別室へと退場する。

 これから夕刻まで四人で語らうのだ。

 僕たちも流れに乗って祭場を出て、長屋を目指す。

 レティはピリカと手を繋いでついて来てくれていた。


「ごきげんよう。あなたがピリカさんの旦那さまかしら」


 とんとん、と肩を叩かれて振り返る。

 声をかけてきたのはストールを肩に巻いた老年の愛寵種フューシャだった。


「はい。えっと」

「このコロニーで仕立屋を営んでいるものよ。お互い顔を合わせるのは初めてね」


 若緑色の髪を結い上げた仕立屋さんはにっこりと朗らかに微笑む。


「初めまして。挨拶に伺えず、すみません」

「あらあら礼儀正しいこと。気にしないで? 私もずっとミシン部屋に缶詰めだったんだもの。ピリカさんもレティさんも、お久しぶりね」


 レティは穏やかに会釈し、ピリカは「お久しぶりです!」と笑顔を弾けさせる。


「ちょうどよかったわ。朝方、レティさんのお洋服が出来上がったの。今から試着に来てくださらない?」

「旦那さま行きましょう! ピリカ見てみたいです。ね、レティさん!」

「……うん」

「そうだね。僕も見たいな」

「まあ嬉しい。それじゃあどうぞいらしてくださいな」


 まるで乙女のように口元を押さえて、仕立屋さんは僕たちを店へと招いてくれた。

 草木染の暖簾をくぐると、店内はランプの暖かな明かりに包まれていた。

 壁際には製作途中や完成品の服などが吊るされ、カウンターを挟んで部屋奥の棚には絹や木綿の織物が所狭しと並ぶ。

 僕とピリカはカウンターに座り、レティは奥の試着室へと通された。


「胸元きつくないかしら。はいばんざーい」

「ば、ばんざーい」

「よし、いいわね。腰をひねった時に、嫌な感じはない?」

「はい、動きに制約はない、です」


 サイズ感を確かめる声が嫌でも聞こえて落ち着かない。


「よかったわぁ。レティさん、とっても可愛いわよ。皆さんにお披露目しましょうね」


 試着室のカーテンが開く。

 揃ってそわそわしていた僕たちは、音と同時に何故か立ち上がってしまった。


「ほうら恥ずかしがらないで。皆さんお待ちかねよ」


 しわの刻まれた手に引かれておずおずと出てきたレティの姿に、喉が鳴った。

 肩と胸元を大きく露出したブラウス。

 ひざ下丈でありながら深いスリットの入った動きやすいスカート。

 足元は濃紺のレースアップブーツで覆われ、徒歩での移動が考えられていた。

 瞳と同じ氷色を基調とした服装はところどころリボンやレースがあしらわれ、レティの美貌をより強調する。

 本能に忠実に例えれば、こう……いや、めておこう。

 レティに嫌われそうだ。


「どう?」

「とっても似合ってます! 綺麗な色……物語に出てくる空の色ですね」

「う、うん。旅にちょうどいいんじゃないかな」


 微妙な返答をしてしまった。

 この愚か者めが。


「レティさんは背も高いし、スタイルも整っていらっしゃるでしょう? あまり絞めつけずに体の線をすっきり見せたほうが美しいと思ったのよ」

「少し、恥ずかしいけど、嬉しい、かな」


 手足をもじもじさせるレティも、ほのかにはにかんでいた。


「ピリカさんにも髪飾りを作ってみたのよ」


 カウンターに置かれた箱から取り出されたのはラズベリー色のレースがふんだんに使われた髪飾り。

 小ぶりで派手過ぎない、ピリカの髪色に映える色味だ。


「わぁ……ありがとうございます!」


 ピリカはきらきらと目を輝かせる。


「あら嬉しい」


 ふふふ、と笑んで仕立屋さんは器用にそれを金糸へ飾りつけた。


「まぁ、可愛らしいこと。食べちゃいたいくらいだわ!」


 ピリカとレティを二人まとめて抱擁した仕立屋さんは、蚊帳の外の僕に妖艶な含み笑いを送ってくる。

 人生経験の差によるちょっとした意地悪に苦笑するしかなかった。


「どうか貴女たちにカルミア様のご加護がありますように」


 こめかみに順に口づける。

 再び二人を抱きしめた仕立屋さんは「旦那さまにも」と僕の手も握ってくれた。


「注文の品は全て揃えたわよ。これで長旅も問題ないわ」


 まるで娘を送り出す母のような声色。

 夫を亡くした愛寵種フューシャは喪失感から心を病んでしまうことも少なくない。

 心にぽっかりと空いた穴を埋めるために、未亡人は役割や仕事を求めるのだ。

 こうやって自分自身を癒す行為が人を助けていく。

 短命な人間とつがわされたがために起こる悲劇。

 僕も旅を続けていれば、いつかピリカを残して逝ってしまうのだろう。


 仕立屋さんが差し出した衣類一式を受け取り、僕たちは暖簾をくぐった。

 心なしかレティの足取りが軽い。

 スカートの揺れを気にする姿も絵になっていた。

 準備は整った。

 食料もある程度分けてもらえる。

 ナイフは研ぎ終わったし、ブーツも磨いた。

 腹はまだ痛むが差し支えはない。


「旦那さま、ピリカお腹が減りました」


 髪飾りを触りながらピリカが僕に訴えた。


「じゃあごはんにしようか。お昼からも色々と仕事があるしね」


 ちょうど通り過ぎた家から香辛料の香りが届く。


「はい! レティさん、競争しましょう!」


 ピリカはそう言うやいなや、レティの手を引き走り出した。


「転ばないでよー」


 やや躊躇った後、スカートを翻してレティも駆けていく。

 その姿が美しくて愛おしくて苦しくて、僕も速足で追いかけた。



 *****



 どうやら僕は抱き枕がないと入眠しづらいタイプらしい。

 失ってから気づくだなんて、大馬鹿者である。

 替えがないのがこれまた痛い。

 だが熟睡中の抱き枕を使用者から奪うのはいささか格好悪い。

 それに強奪しようものなら悲鳴をあげられかねない。

 実行に移すべきではないだろう。

 なんてつらつら思考するも眠気は来ない。

 へとへとなのに、考え事ばかりが浮かんで夢の世界へ逃げ込めなかった。

 ピリカのこと。レティのこと。これからのこと。

 僕のこと。世界のこと。あの少年のこと。

 ぐるぐるぐるぐる脳みそが唸り続ける。

 背中で二人の寝息を聞いていれば自然と眠れるだろうと高をくくってもう何時間経ったのか。

 懐中時計を見たくもない。


「んぅ……だんな、さ……」


 鳥肌が立つような囁きと衣擦れが鼓膜を震わせる。

 頭を撫でてあげられないのが寂しかった。


「だん……んふふ……もう……」

「…………」


 衣擦れは二つ。

 一つはピリカが寝返りをうった音。

 もう一つは、床板を鳴らしてベッドから降りたレティのものだった。

 薄目を開けてじっとしていれば、長屋の戸を開けてレティが部屋を出ていく。

 寝間着に素足のまま、まるで夢遊病のようにふらふらと。

 厠にでも行くのだろうか。

 あるいは。

 一抹の不安が脳裏を過ぎったが、ここで追いかけてもし本当に厠だったら僕はただの変態だ。

 呼吸を整え、暫し帰りを待つ。


「だめ、ですぅ……ふふ……」


 約五分後。

 幸せそうな寝言が聞こえた時点で僕はランプ片手に外へ出た。

 夜目の利かない愛寵種フューシャは夜間の移動を嫌う。

 行けるのはせいぜい家屋の周りや、すでに道を知っている近場。

 暖色の明かりを頼りに、家々の周囲を探すが、レティは見当たらない。

 ならば、と次の目星へと向かった。

 砂利道を行けば、レンガで区切られた花壇が両脇に続く。

 色彩豊かな花々は眠るように各々項垂れていた。

 街灯代わりの蓄光果実に照らされた砂利道の先には、小川が横切るように流れている。

 大人なら簡単に飛び越えられる細く清らかな流れ。

 濁りもなくゴミも浮いていない。

 何なら飲んでも平気だ。

 葉地ロトスの浄化装置が十全に働いている証拠だった。

 小川に架かった石造りの橋を渡ってさらに右手へ。

 木々が目隠しするここに、愛寵種フューシャたちの水浴び場がある。

 これまで僕もなかなか近づかなかった場所だ。

 話によればピリカでも顔の出る浅い池だという。

 流れはほとんどないが、濾過が効いているため濁ることはない。

 砂利道を抜け、雑草が茂る地面を踏む。

 眼前にぼうっと浮かび上がった水面は、インクを垂らしたように不気味なほど昏かった。まるで闇を生み出す根源のように。


 そして、そのほとり。

 白髪を垂らした愛寵種フューシャが膝を抱いて嗚咽していた。

 よかった。

 見つけた。

 姿勢を正して、痩せた背中へと近づく。


「レティ」


 ランプを掲げながら左隣に立った。


「ひっ……!」


 レティは僕の方を見て、肩を跳ねさせた。

 愛寵種フューシャは夜目が利かない。

 いくらランプと蓄光果実の明かりがあろうとも、僕と同じようには見えていない。

 急に人間の低い声がして、怯えないはずがなかった。


「僕だよ。カナン。ちょっと散歩してたらレティの声が聞こえてさ」

「……カ、ナン……?」

「うん。正真正銘の。ほら、わかる?」


 その場でしゃがみ、火傷しそうな距離までランプを顔に引き寄せる。


「隣のベッドで寝てた人に似てない? どうかな」

「……似てる」


 ちらっと目が合った。


「それはよかった」


 僕はレティの隣に腰を下ろす。

 人一人分の間を開け、ランプを仕切り代わりに置いた。


「真っ暗だけど、怖くなかった?」


 充血した目を手のひらが拭う。

 ランプの光を受ける手首から肩にかけて、血が筋になって滲んでいた。

 就寝時よりひどい。


「よくここまで一人で来られたね」

「…………」


 回答はなく、目元の手のひらが二の腕へと伸びた。


「ピリカは臆病だから、こんな冒険絶対にしないなぁ。すごいよ、レティは」


 がり、と皮の裂ける音がする。


「ううぅ……」


 揺らぐ吐息は、流涙の合図。

 ぼろぼろと小川のように涙が頬を流れていく。


「みんなに会い、たい……」


 二の腕に爪を喰い込ませてレティは嗚咽した。

 ピリカなら抱きしめて頭を撫でれば落ち着くだろう。

 だけど、レティには逆効果だ。

 恐らくだが、人間が至近距離にいるのが嫌で今、自傷している。

 僕のせいでレティは傷ついている。


「友達に花を送るんだったよね」

「誕生日、もう……過ぎちゃった……」


 悲鳴に似た掠れた音が唇から漏れ出る。

 肩を震わせながらレティは膝に顔を埋めた。


「帰ろう。僕が、僕たちが必ずレティを友達や家族に再会させる」


 頼りないかもしれない。

 信用してもらえないかもしれない。

 それでも、僕はレティに幸せになってほしかった。

 例え命がけの旅になろうとも。


「コロニーのみんなだって、寂しがっているだろからさ。だから、帰ろう」

「……生きて、帰れるの?」

「この命に代えても」


 顔が上がり、腫れた目が僕を見る。

 しばらくじっと見つめてきたアクアマリンは「それはだめ」と頬の涙を払った。


「どうして?」

「……だって、あなたが死んだらピリカちゃんが」


 僕が逝けば、ピリカを未亡人にしてしまう。


「死ぬつもりはないよ。死んだらピリカもレティも護れない。レティには命を賭すだけの価値があるってことだよ」

「分かりづらい……」


 ぼそっと呟かれたレティの苦情がおかしくて、僕は笑ってしまった。


「明日、このコロニーを発とうと考えてる」


 しゃっくりのような呼吸音は続くも、指が腕から離れた。

 気は散らせた。

 良い兆候だ。


「周囲に密猟者の気配はなくなったそうだよ。食料もわけてもらえるよう話をつけた。レティの旅道具も整ったしね」

「早く……帰りたい」

「じゃあ決まりだ」


 僕とピリカは、いつか永住の地を見つけ、そこに根を張ろうと旅をしている。

 世界を知るための目的のない旅。

 行きたいところも、行かなければならないところも、行ってはならないところもない。レティに出会わなければここで旅を終えても誰も文句は言わなかっただろう。

 だけど、そんな僕たちの旅に初めて目的が出来た。

 レティを故郷へ帰す。

 たったそれだけ。

 有人廃都周辺は非常に密猟者が多く、これからも戦闘になる可能性は捨てきれない。

 会敵の少ないであろう航路をとったとして、絶対に安全だと誰が言いきれるのだろうか。

 もう助けは来ない。

 僕が斃れればピリカとレティは麻袋に詰められて売り飛ばされる。

 はらわたが煮えくり返る現実に屈するつもりはない。

 僕が護るんだ。シュラさんのように。


「よし!」


 大袈裟に膝を叩いて立ち上がる。


「明日も早いし、そろそろ寝ようか。僕もう限界」


 わざとらしく大あくびをしてレティに起立を促す。


「……うん」


 誘導成功。

 レティもゆるりと立ち、二人で水辺を離れた。

 蓄光果実の照らす砂利道を踏んで、長屋へ。

 終始無言のまま長屋の軒先まで辿り着き「ちょっと待ってて」とレティにランプを渡して室内を漁る。


「ばい菌が入ったらいけないから」


 小さな箱を手に戻ってきた僕を見て、レティは首を傾げる。

 ドアに続く石造りの階段に腰かけさせ、僕は箱を開けた。

 中には包帯に消毒薬、ガーゼなど、外傷の手当のために必要な物が一通り収められている。


「腕、見せてもらってもいいかな」


 僅かに躊躇われたが、ゆっくりと赤の滲む腕が伸ばされた。


「ちょっと沁みるよ」


 透明な液をガーゼに滲み込ませて傷口を消毒する。

 樹液のように両腕を伝っていた血を綺麗に拭き取り、包帯を巻いた。


「はい終わり。きつくない?」

「……うん」


 肩口から手首までを包帯で覆った。

 これでいくらか自傷も防げるはずだ。


「おやすみ」

「…………」


 こくり、と静かにうなずいたレティはドアをくぐり、ベッドに戻った。


「よーし、と」


 背伸びをして後に続く。

 夜明けまでおよそ二時間。

 さて、眠れるだろうか。



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