第6話:コロニー




 コロニーに着陸したのは、オアシスを発ってから、ちょうど懐中時計の針が一回りした頃だった。

 荷物に埋もれて船尾にへばりつく僕。

 舳先のピリカに縋り付くレティ。

 何とも不可思議な絵面ではあるが、信用されていないのだから仕方がない。

 二人乗りのゴンドラでは船尾と船首の距離が短く、レティにとっては恐怖でしかなかった。

 そんな意思疎通もままならない僕たちを、陽気な鼻歌の聞こえるゴンドラが正確に導いていく。


 かくして見上げる程の高さを持つ堅牢な壁のたもとに降り立ったのである。

 シュラさんを先頭にカーブを描く石造りの壁に沿ってしばらく歩く。

 すると、これまた荘厳な門が現れた。


「頼む」

「はーい任せなさい!」


 ナナさんが躊躇なく片手で門扉に触れると、灰褐色の門は七色に煌めき――


「消えた……」


 魔法による錯覚を利用しているのだろうか。

 輝きを放った門扉は跡形もなく姿を消し、居住区への道が開かれた。


「ようこそ、わたくしたちのコロニーへ。歓迎いたしますわ」


 門の向こう側には、鎧を身に纏い、槍を携えた人間が数人。

 彼らを従えるのは、年老いてなお閑麗な空気を纏う愛寵種フューシャだった。


「あらまあ。とっても大所帯でいらしたのねえ」


 首を傾げられてしまったが、経緯を説明すると驚きもせず僕たちを内部へ案内してくれた。


 旅人には宿泊用に長屋を貸していること。

 ちょうどつがいを貰い受ける年頃の人間がいること。

 腕利きの仕立屋にレティの服を頼めること。

 対価として労働力を差し出すこと。

 丁寧に説明を受けながら、後をついていく。


 麦の揺れる畑道を進むと、やがて木造家屋の建ち並ぶ居住区へと入った。

 家屋の窓際には、虫よけを兼ねた花々が咲き誇り、住民は皆気さくに声をかけてくる。

 廃都とは異なる牧歌的な風景に心が休まった。

 時折立ち話を挟んでさらに歩けば長屋に到着だ。


「ピリカはレティと一緒に仕立屋さんに行ってあげて」


 ベッドが二台に木製のテーブルセット。

 花の活けられた花瓶が乗った壁際のチェスト。

 室内は実に簡素だが、短期滞在には充分だろう。

 荷物を降ろしてすぐ。

 僕たちはシュラさんたちと別行動になった。

 まずすべきは、レティの服やあれこれの調達。

 僕が関わっても恐れられるのは目に見えていたので、ピリカに頑張ってもらおうと思う。

 幸い、老年の愛寵種フューシャが付き添いをかって出てくれた。

 まず心配はないだろう。


「旦那さまは?」

「僕はお仕事の手伝い。服の代金を稼がなきゃ」


 不安がるピリカの頭を撫でると、くすぐったそうに「わかりました」と頷いた。


「レティさん、行きましょう!」

「し、仕立屋さんは人間、なの?」


 おどおどと尋ねたレティに、老年の愛寵種フューシャが答える。


「いいえ。わたくしの友人で、つがいに先立たれた未亡人ですわ」


 同族であれば安心だ。強張った表情が若干ほぐれた。


「では参りましょうね」


 朗らかな老婆に手を引かれ二人は長屋を出ていった。


「旅人さん!」


 入れ替わるようにうら若き愛寵種フューシャがひょっこりと顔を出し僕を呼ぶ。


「まずはうちを手伝ってくださらない?」

「喜んで」


 こうして僕は学校近くの調理場で働くことになった。


 有人廃都とは違い、コロニーはどこもかしこも子供たちの声で溢れている。

 赤ん坊の泣き声や、家屋の間を駆け抜ける快活な声。

 目と鼻の先の学び舎からも、ひっきりなしに声変わり前の幼い声色が届く。

 愛の結晶がすくすくと育つ環境に身を置くのは半年ぶりだ。

 賑やかな声を聞きながら、僕はひたすら汗を流した。



 *****



 昼食の調理に畑の草むしり。

 牛舎の掃除にネクター収穫。

 あっという間に時は過ぎ、ピリカと合流したのは日が暮れる直前だった。

 採寸を終えたレティは、仕立屋に若干サイズの小さい上下を借りていた。

 本来膝丈だっただろう膝上丈のスカートと、刺繍のあしらわれた半袖。

 サイズ感的に胸元の主張は依然気になるものの、つんつるてんと称された状態よりずっといい。

 そして現在。

 夜の帳がおり、ピリカとレティは抱き合ってぐっすり夢の中だ。

 ベッドが大きめで助かった。


 柔らかい抱き枕を失ったせいか、眠気が来てくれない。

 何となく壁に背を預け、僕は旅道具の手入れをしていた。

 ひどく静かだ。

 自分の鼓動すら煩く感じる。

 コロニーの明かりはすっかり消え、辺りは真っ暗だった。

 足元のランプを消してしまったら、きっと何もかも黒く塗りつぶされてしまう。

 寝息を立てるピリカとレティすらも。

 日中休みなく動き回ったからだろうか。

 腹の痛みにも慣れてきた。

 まだ完治とは程遠いがこれなら動ける。


 確かめるように伸びをして、懐中時計を磨く。

 時刻は深夜二時を回ったところ。

 見張り以外、起きている人間は僕しかいないであろう真夜中だった。

 コロニーへの滞在期間はレティの旅装束が完成するまで。

 その間に僕は自らを全快させ、ある程度レティとも信頼関係を築かなければならない。

 前者は難しくないだろうが、後者はどうだろうか。

 痛めつけられた恐怖は簡単には薄まらない。

 愛寵種フューシャは光物を好むから、アクセサリーでもプレゼントしようか。

 いや、今あげても恐れられるだけか。

 嫌いな相手に貰った贈り物なんて嬉しくもなんともない。

 僕だってそうだ。

 やはり地道にいこう。

 まずは目を合わせるところから。

 挨拶を交わすところから。


「難しいだろうなぁ」


 口をついて出た本音に苦笑する。

 だけど無理じゃないはずだ。

 無謀と決めつけるのは早計だろう。


「ん……」


 レティの身じろぎを見守って、ランプ片手に長屋を出た。

 土の上に立って昏い天を仰ぐ。

 広がるのはインクを垂れ流したような一面の虚無。

 何も生み出さず、毒を孕み、道しるべを隠してしまう。

 まったく、とんでもないものを旧人類は残してくれたものだ。

 僕は深く息を吸って吐き出そうとする。


「え……?」


 が、息が止まった。

 まるで、星が落ちたみたいだった。

 絵本や教科書にしか登場しない星が一粒天で閃いたのだ。

 勘違いかと目を凝らすも明滅は数度続く。

 これは一体。

 呆然とする僕の耳に、けたたましい鐘の音が届いた。

 静寂は一変し、慌ただしく家々の明かりが灯る。


「旅人さん! 密猟者だ! つがいを地下室へ避難させるぞ!」


 真っ先に明るくなった家から出てきた人間が僕へ叫ぶ。


「密猟者!? あの光は何なんですか?」

「魔法で天に防御壁を張ってるんだ。生体が接触すると光って知らせてくれる。ほら早く! うちの地下室ならまだ入れる!」

「わかりました!」


 急いで長屋に戻ると、飛び起きただろうピリカが涙ぐんでいた。


「旦那さまぁ」

「いやぁ……」


 レティも恐怖で耳を塞ぎ震えている。


「ピリカ、おいで」


 両手を広げると、ピリカは吸い込まれるようにベッドから降り、僕に抱きついた。


「密猟者が来てる。安全になるまでピリカはレティと地下に隠れていて欲しいんだ」

「旦那さまは?」

「僕は密猟者を仕留めに行く」


 ピリカは首を大きく横に振る。


「ダメです。だって旦那さまは……」

「大丈夫。絶対帰ってくる」


 額にキスを落として「いい子だから。言うことを聞いて」と抱きしめた。


「誓ってくださいますか?」

「誓うよ」


 ピリカはそれ以上拒否しなかった。

 僕は地下室を提供してくれたきい人間に二人を託す。

 ピリカはしっかりとレティの手を引き、お腹の大きな奥さんと共に地下室へ入っていった。


「気をつけろよ」

「必ず息の根を止めます」


 必ず、必ず、犠牲は生まない。

 決意と共に頷き、ナイフを手に駆け出した。


「密猟者は!?」


 村の外れで、愛寵種フューシャの避難を手助けしていた人間に尋ねる。


「南門近辺に降りたらしい!」

「ありがとうございます!」

「無理はするな。うちの殲滅隊は優秀だからな」


 返事もせず、ひた走る。

 無理をしなければあいつらは討てない。

 失敗は二度と許されない。

 僕は間もなく南門の殲滅隊員と合流し、森林が広がる門外へと出た。

 蓄光果実の仄明りを頼りに、密猟者を捜索する。

 落下地点は目と鼻の先だと隊員が話していた。

 彼らは左方を、僕は単独で右方を進む。

 相手は夜闇を見通す暗視ゴーグルを装備している可能性が高い。

 襲ってくるのなら、死角である背後か頭上。

 隙があるように見せかけつつ、僕はわざと音を鳴らして腐葉土を踏み進む。

 単独行動をしていれば狙われる確率が高い。

 殲滅隊と離れたのはたったそれだけの理由だ。


 自ら標的となって雪辱を晴らしたい。

 腹に渦巻く感情が僕を急き立てていた。

 コロニーの掟では殺人は死罪に値する。

 しかし、密猟者は人間と見做さない。従って僕が彼らの首を断っても賞賛が与えられるのみ。讃えられずとも、奴らは根絶やしにしなければならない。

 蓄光果実を枝いっぱいにぶら下げた木々の前で一旦立ち止まり、じっと聴覚を研ぎ澄ます。

 先ほどから葉擦れとは違う微かな音が聞こえているのだ。

 数にして……三人。

 徐々に僕へとにじり寄ってくる。

 音は別れ、挟み撃ちを狙っているように感じられる。

 一、二、三、四、五。

 ゆっくり数えて、最も近い音へと駆けた。


「それで隠れているつもりか!」


 茂みをナイフで薙ぎ払う。

 当たりが軽い。外した。


「危ねぇなぁ!」


 ナイフを構え直すと同時。

 剣を振りかざした密猟者が飛び出してきた。

 胴体を狙う切っ先をかわし、懐へ飛び込む。


「がはっ」


 僕の勝ちだ。

 研いだばかりのナイフが左胸を貫いた。

 まず一人。

 刺さった刃を抜いて、喉笛を切り裂く。

 噴き出す鮮血を合図に「よくも!」と二人目が襲い掛かってきた。

 剣をナイフで受けて押し飛ばす。

 暫し睨み合い、じりじりと距離を縮めていく。


「随分慎重なんですね。もしかして怖いんですか?」

「黙れぇ!」


 挑発に乗った密猟者は、僕の目を潰そうと剣を薙ぐ。

 神経毒が塗られているかもしれない刃先を体を反らして回避。

 すぐさま相手の足を払って転倒させた。


「くっ、ごぁ……」


 頭を打ち付けて動作の止まった密猟者に馬乗りになり、喉元を一閃。

 血飛沫で服がどす黒く染まった。


「いるんだろ。出てこい!」


 あと一人。

 荒い息遣いが聞こえてくる。


「出て来いよ、腰抜けが!」

「うわあああぁああああぁあぁあ!!」


 四時の方向から突撃してきたのは。


「よくも父さんを!」


 年端もいかない子供だった。

 短剣をでたらめに振り回し、殺意をむき出しにする。


「殺す!」


 あまりに無垢な号哭。

 この子供にとって僕は親殺しの狂人でしかない。


「腐れ野郎オオォ!」

「っ!」


 太刀筋が稚拙で読み切れない。

 蓄光果実の光を受けて輝く刃を後退しながらひたすらに避けた。


「逃げるなこの卑怯者!」


 両手で握り締められた短剣が深く突き込まれる。

 僕は半身になって切っ先を躱し、体勢を崩した華奢な背を蹴り飛ばした。

 子供は正面の樹木に顔面から激突。

 呻きさえせず崩れ落ちる。


「こ……ろす、ころ、してや……」

「往生際が悪いなぁ」


 廃都の子供は学校へ通わない。

 親の仕事を継ぐために、知識と技術を叩き込まれ働くのだ。

 商人しかり、密猟者しかり。

 選択の自由はない。

 望んだ未来を切り拓けもしない。


「し、ね、しね、し……ね」


 子供は木に手をついてよろめきながら立ち上がる。


「死なないよ」


 ナイフを構えたまま告げた。

 本来ならまだ屈託のない笑顔で木登りしたり、学校で読み書きを習っている年齢の子供。廃都側に生まれたが故に、僕に殺されようとしている。

 世界は僕たちに容赦してくれないらしい。


「へへ……へへへ……ころす、ころす!」


 子供がぎこちなく振り返った。

 鼻血のこびりついた顔は、諦観を孕んだ笑みで歪む。


「ころしてやる……おれは、おれ……は!」


 卑しい笑顔は父親譲りか。

 しかし、笑顔以上に小さな両手が握り締めるものに、息をのんだ。


「こ、殺されるくらいならお前を巻き添えにしてやる!」


 楕円の果物に似た球体。

 閃光弾とは造形の異なる、殺傷武器。

 稀に廃都で生産される手榴弾だ。

 巻き込まれたらただでは済まない。


「…………」

「へへ……怖いだろ……走って逃げても間に合わないぞ?」


 脂汗がこめかみを伝った。

 子供はピンに手をかけて、今にも抜こうとしている。


「自爆法まで叩き込まれてるのか。廃都の子供は」

「うるさい!」


 僕が逃走を図ったと同時にピンが抜かれるのだろう。

 いくら全力疾走しても効果範囲からは逃れられない。

 間違いなく即死か、肢体を引き裂かれて苦しみながらの落命か。

 どのみち行き止まりは免れない。


「ひ、引くからな……おれは、おれは勇敢な父さんの子だ!」


 カチカチと奥歯の鳴る音が聞こえた。

 死に怯える子供の悲鳴だ。


「ひいて、やる! おれは、おれは――くかっ」


 ピンが引き抜かれるまさにその直前。

 子供の両手から手榴弾が零れ落ちる。


「が……あぁう……」


 だらり、と腕が垂れ、見開かれた目が自らの胸を凝視した。


「密猟者に情けなど無用」


 低く、腹に響く冷えた声。

 発達途中の子供の薄い胸を背側から大剣が貫いていた。


「例え子供であっても容赦するな」


 ずるり、と大剣が引き抜かれる。

 子供は力なく地に顔を擦り付け、痙攣し始めた。


「シュラさん……助かりました」


 ぬうっと、剛健な戦士が姿を現す。

 僕は躊躇い、シュラさんは躊躇わなかった。

 やはり僕はまだまだ甘ったれだ。


「密猟者を生かして帰してはならない。一人でも取り逃せば仲間を呼んでまた襲いに来る。首を断って地へ堕とせ」

「きゃかっ」


 蓄光果実の光を受けて錆色に輝く大剣が、一思いに子供の首を断った。


「これは人間を滅ぼすものだ」


 怒りの炎を宿した灰の目が僕を睨む。


「何人やった」

「二人、です」

「そうか」


 シュラさんは汚れた大剣を拭う。


「あちらでも俺と殲滅隊で二人息の根を止めた」

「まだいるんですね」

「明るくなるまでは警戒を続ける。死体の処理は敵の全滅後に。いいな」

「はい」

「ついてこい」


 僕は生首を一瞥して、大剣を背負った逞しい背中を追った。



 コロニーへ侵入を企んだ密猟者は計六人。

 朝までに全てを殺害し、首を断って地上へ堕とした。

 明るくなったコロニーでは何もなかったかのように日常が営まれる。

 有人廃都が近いここでは密猟者の襲撃は珍しくない。狡猾な手段に対処するため防御壁を築き、ここ五年ほど犠牲者は出ていないらしい。


 皆、よくやったと僕を褒めてくれた。

 ありがとうと感謝された。

 誇らしく思った。


 だが、生臭い血の臭いはしばらく取れてくれなかった。



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