第4話:密猟者




 世界が眩む。

 遅れて二人に覆い被さったが意味はないだろう。

 至近距離での炸裂だ。

 この程度ではどうにもならない。

 円柱状の物体は、爆風を起こすことも鉄釘を撒き散らすこともなく、ただ閃光で目を焼いた。

 まるで稲光の如く瞬き、僕の視界を奪う。

 眩暈を伴うそれに舌打ちしてナイフを抜いた。

 殺傷能力皆無の閃光弾。

 人間にとっては、数秒間視界を白く染め上げるだけだが――


「いやあぁぁぁあぁあ!! 痛い! 痛いぃ!!」

「う……あ……」


 眼球構造の異なる愛寵種フューシャにとっては、凶器と化す。

 ピリカは失神し、レティは激痛に目元を押さえてのたうち回る。

 そして、僕の背後に折り重なった老木を駆け上がっていく足音が一つ。


「させるか!」


 振り向きざま、未だ不明瞭な視界に剣を振りかざして襲い掛かる人影が映った。


「おらぁ!」


 ギチギチと軋む不協和音が鼻先で奏でられる。

 首筋を狙った刃をナイフで受け止め、暫しの拮抗に持ち込んだ。


「よくもウチの商品を横取りしてくれたなぁ、クソガキが」


 どうやらあの密猟者の仲間のようだ。


「人聞きが悪い。僕は不当に捕らえられたあの子を助けたまでですよ」

「はっ! コロニーの奴らはクソばっかりだ!」

「そりゃあどうも。最高の誉め言葉ですね」


 クソ密猟者が。

 心の中で吐き捨てて剣を弾き、一旦距離を取った。

 遮光効果を持つ大仰なゴーグル、苔色の航空服を身に纏い、背中に背負うは忌まわしき飛行ユニット。

 小型で簡便に扱えるそれが発掘されて以降、愛寵種フューシャは大幅に数を減らした。

 元来、空を飛ぶ行為は僕たちの特権だったのに。


 再び、刃が交わる。

 レティの「痛い、痛い」と呻くか細い声を聞きながら、振り下ろされる剣を受け流し隙をついて急所を狙う。

 幾度もはじき返し、はじき返され、お互いに致命傷を与えられないまま、じっとりと額に汗が滲む。


「どうした。もうおしまいか?」

「まさか。あなたこそ、太刀筋が鈍ってきましたよ」


 密猟者はわずかに体を屈めて剣を構え直す。


「だからお前はクソガキなんだよ」


 突きの体勢。

 だが、攻撃に転じない。


「やれ!」


 頭上を覆う森林へと叫んだ密猟者は、勝ち誇ったように歯をみせた。 

 その後方から、放物線を描いて降ってきたのは。


「ご愁傷様」


 黒光りする円柱状の閃光弾だった。

 思考する暇も与えられないまま、視界を焼く光に飲み込まれる。

 対峙していた密猟者が投擲したものではない。

 ならば、これは。


「がっ」


 纏まり始めた考えは鈍痛に遮られる。

 真っ白な世界に閉じ込められた僕の腹部を、何かが貫通した。


「いやぁ、これだから経験の浅いガキは狙いやすいんだ」


 げらげらと笑う密猟者の声。

 ずるり、と引き抜かれる塊。

 ようやく視覚を取り戻した僕が見たのは、ゴーグルを外した密猟者と、赤の広がっていく自らの腹部だった。


「あ……」


 膝から崩れ落ち、粘度の高い液体を嘔吐する。

 体に力が入らない。

 指先が針を刺されているかのようにびりびりと痺れてナイフが零れ落ちる。


「神経毒も効いてきたみたいだな。お前の負けだ」

「う、う……」


 ろれつが回らない。

 考えようとすればするほどノイズが頭を駆け巡って邪魔をする。

 足が立たない。

 手が震えて動かない。


「ぴ、り、か」


 ついに上体すら地に這いつくばった。


「なんだ。まだ生まれたての雛かよ。こりゃお稚児趣味のジジイにしか売れないな」


 ノイズが走り回る視界に、一つ、二つ、と人影が加わる。

 航空服の密猟者が三人。

 どこからともなく現れ、ピリカたちを囲む。

 最も若い密猟者は、黄金色の髪を掴み上げ顔貌を吟味するように顔を近づける。

 白目を剥いて、口からぶくぶくと泡を吐く幼子の。


「や、め」


 レティも同様に癖のある髪を掴まれて、あおむけに転がされた。

 すでに意識はなく、ローブをはぎ取られても抵抗しない。


「ったく。貴重な取引先を潰しやがって」


 腫れた顔面を革靴がボールのように蹴飛ばした。


「あ、ああ、ああ、あ」


 動け、動け、動け!

 助けなければ。

 僕が、僕にしか、僕だけの。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!


「あああああぁぁぁぁああああぁぁああああぁあぁあ!!」


 落ちたナイフを握り、立ち上が――


「耳障りだ」


 三人目。

 壮年の密猟者の声が頭上から降り、背中から胸へ、硬いものが突き立てられる。

 ざくり、ざくり、と衝撃は何度も何度も背と胸を往復していった。


「ぐ、あ……いや、だ」


 心臓の鼓動が聞こえない。

 葉擦れの囁きも、腐葉土を踏み荒らす足音も、密猟者の会話も。


「ぴ、りか……」


 ピリカ、嫌だ。

 いかないで。

 僕はずっと君と旅をするんだ。


「あ……あぅ……」


 閉じていく目蓋を必死にこじ開けて見た最期の世界で、密猟者たちの首が――



 *****



 遥か昔。

 大地に住まう旧人類たちは、異性同士、あるいは同性同士で愛し合い、家族を成したのだそうだ。

 年頃の人間が巡り合い、親交を深め、恋愛に発展し、婚礼の契りを交わす。

 霧に閉ざされた世界に生まれ落ちた僕たちとは異なる、自由恋愛という概念に憧れた時期もあった。

 コロニーの人間は、十五の歳に将来の妻となる愛寵種フューシャの雛を義父母から貰い受ける。

 まだ生まれて間もない、おくるみに包れた奥さんを。

 数年の育雛いくすうを得て、多くの夫婦は外界へと飛び立つ。

 旅に出るのは、第二子以降の人間とその妻のみ。

 一番上の兄だけが、コロニーに残ることを許される。

 僕は五番目だったから、学校も旅立つ子供のための学級に在籍した。


 これはある種の口減らしであり、コロニー内の血を濃くしないための措置。

 他所からの旅人が定着すれば外の血を取り入れられる利点もある。

 合理的なシステムに抗うこともなく、僕はピリカと二人旅に出た。

 抗う理由もなかった。

 抗っても無意味だった。

 世界は滅びへと向かっている。

 密猟により愛寵種フューシャは激減し、後を追うように人間の数も減り続ける絶望的な状況。

 世界は、僕たちを甘やかしてはくれない。



 *****



「あ、目が覚めたね。こんばんは。気分はどう?」

「…………」

「体は起こせそうかな」

「…………」

「ええと、カナン君だっけ。私の声聞こえてるかな?」

「……ピリカ」

「へ?」

「ピリカは……?」


 ここはつがいを護りきれなかった人間の行く地獄だろうか。

 まるでテントの中みたいだ。

 仄明るいランプに照らされた三角錐の中で僕は寝かされていた。


「ピリカちゃんも無事だよ。でもその前にちょっと起きてみて」

「ピリカが……地獄に?」

「あら、まだ意識が混濁してるね。ここは地獄じゃなくてテントの中。君は生きてるんだよ」

「生き……?」


 この人は誰だろう。

 エメラルドグリーンに朱色と檸檬色の混じる髪を束ね、にっこりと微笑む愛寵種フューシャは。

 人間に例えれば十二十代の始めくらい。

 陽気な雰囲気を持つ黒い瞳は長い睫毛に縁どられ、ぱちぱちと瞬く。

 ピリカと比べたらちょっとだけ丸顔かもしれない。


「そう、生きてるの。ほら、起きた起きた!」


 背中とマットの間に手を突っ込まれ、僕は慌てて体を起こそうとした、が。


「いっ……たぁ……」


 刺すような痛みが腹部を襲った。


「傷は私の治癒魔法で塞いだよ。でも痛みは長引くかも。めった刺しだったもん」

「ありがとうございます……」

「どういたしまして!」


 無邪気な笑みを見ながら、体を起こす。

 顔を顰めてしまうくらい痛むが、動作自体に支障はなかった。


「はい、じゃあまずは両手を胸の前でグーパーしてみて」

「こう、ですか」


 指示された通り、両手を開いて握るを繰り返す。


「よし。次はね、これ何本に見える?」


 陽気な愛寵種フューシャは若干距離を取って三本指を立てて見せた。


「三本、です」

「はい合格! 最後。足は曲げられる?」


 両ひざを立てると、腹に響いて変な声が出た。


「いいね。よしよし。満点だよカナン君」

「あの、あなたは」

「待ってて、ピリカちゃん呼んでくるから」


 慌ただしくテントを出ていってしまった。

 まだ名前すら聞けていないのに。

 まったく状況が飲み込めない。

 麻痺は解け、傷も塞がっていた。

 ピリカは無事だと言う。

 ではレティは?

 あの密猟者の一団は?

 わからない。


「入ってごらん。旦那さまが待ってるよ」


 困惑する僕の耳に、囁きがテントの外から聞こえてくる。

 すぐに入り口が開き、入ってきたのは。


「旦那さまぁ……」


 目を真っ赤に腫らしたピリカだった。

 ああ、生きてる。

 本当に生きている。


「おいで」


 両手を差し出すと、ピリカは僕の胸に顔を埋めてわんわん泣き出した。

 抱きつかれるだけで腹に障るが、今はどうだっていい。

 ピリカが無事でいてくれるなら僕はこれ以上を望まない。


「ケガはない? 目もちゃんと見える?」

「ごめ、ごめんなさい……ごめんなさい。ピリカ、が、護らなきゃいけなかったのに……!」

「僕こそごめん。怖い思いをさせて」


 頭を撫でると「や、役立たずで、ごめんなさい」としゃくりあげながらピリカは謝った。


「ピリカちゃんも、レティちゃんも、おめめと外傷は綺麗に治しておいたよ」


 外傷は、か。


「あの、あなたのお名前を伺っても?」

「あれ。名乗ってなかったっけ。私はね、ナナ。で、ちょーっと呼んでくるから待ってて」


 再び慌ただしくナナさんが視界から消える。


「パパ、見張り休憩! 挨拶してあげて」


 泣き声に混じって近づいてくるのは三人分の足音。

 僕はピリカの背中を摩りながら、パパと呼ばれた人物との対面を待つ。


「ほーら、早く早く」


 戻ってきたナナさんは誰かを手招きした。

 入れ替わるように現れたのは、三十代前半の仏頂面の人間だった。


「日の出までに目を覚ますとはな。具合はどうだ」


 大剣を背負う肉体は逞しく、腕や足の太さが僕の二回りはありそうだ。

 表情の乏しい顔は闘志に溢れた戦士のもの。

 彼がナナさんのつがいなのだろう。


「お陰様で。助けていただきありがとうございます」

「俺達はたまたま休憩のためにオアシスへ立ち寄った。そこであの閃光を見た。光源に密猟者と倒れたお前たちがいた。それだけだ」

「あいつらは、どうなったんですか」

「首を刎ねて、地上へ堕とした」


 三人相手に一人で立ちまわったのか。


「シュラだ」

「カナンです。本当にありがとうございました」


 握手を求められ、ピリカを撫でていた手を伸ばす。

 握力の強さに驚いたが、負けじときつく握り返した。


「見張りは俺が請け負う。お前はつがいと一緒にいてやれ。夜明けまでまだ時間がある」


 シュラさんはそれだけ告げていなくなった。


「ごめんね。悪い人じゃないんだよ。口数が少ないだけで。ねぇ?」


 三度現れたナナさんの腕には生後間もない赤ん坊が抱かれていた。


「レティちゃんもすぐそこにいるんだけどね。ちょっと怖いみたいだから許してあげて」


 腕の中のピリカが鼻をすする。


「お二人のお子さんですか?」

「そう。三人目。愛寵種フューシャだよ」


 ナナさんはぐっすり眠る赤子に愛おしい眼差しを注ぐ。


「本当はこの先にあるコロニーで産む予定だったんだけど、急に産気づいちゃって。パパに取り上げてもらったの。すごいでしょ」

「介助もなしにですか……」


 死と隣り合わせのお産すら、一人で。

 僕もそんな風になれるだろうか。


「なしで。でもここから先は、つがい君のお仕事だからね」


 少しだけ寂しそうだった。

 愛寵種フューシャは赤子のうちに将来の夫の手に渡る。

 生みの親は見守り、時に助言し、二人の関係を遠くから覗うのみ。

 それがコロニーの掟だ。


「朝日が昇ったら、私たちコロニーへ行くの。君たちも一緒にどう? レティちゃんのこともあるし、何より今のカナン君じゃ次の襲撃に耐えられない。ある程度動けるようになるまで安全域に避難するべきだと思うの」


 今の僕じゃ、密猟者からピリカを、レティを護れない。

 うぬぼれていた。

 世界を甘く見ていた。

 密猟者を舐めていた。


「……ご一緒させてください」

「そんな顔しないで」


 ぽんぽん、と肩を叩いて慰められる。


「朝までしっかり休んでね。おやすみなさい」


 手を振ってナナさんはテントの入り口を閉じた。


「うぅ……旦那しゃまぁ」


 腕の中でピリカが大きなあくびをする。

 それがおかしくて、愛おしくて、悔しくて、情けなくて、唇を噛んだ。


「疲れたね。おやすみ、ピリカ」


 僕の腿を枕にしてピリカの体を横たえる。

 今日はもう眠れそうにない。

 むにゃむにゃと夢の世界へと誘われる奥さんの頭を撫でながら、僕は少し泣いた。



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