第2話:市場




 道は延々と続き、じわじわと塔が迫ってくる。

 近づけば近づくほど、辺りには木造の建築物が増え、香辛料の刺激的な香りを漂わせる料理店も現れた。


「お兄ちゃん、あそこ。お酒のお店です」


 ピリカの人差し指の先。

 行列のできた麺料理店のはす向かいに、目印の酒場はあった。

 僕はまだ十七歳で、酒を飲める年齢ではない。

 酒は時として理性を奪うものと教わったので、別段興味もそそられなかった。

 どうせ次の誕生日には解禁となるのだ。

 戒律を破ってまで飲むものでもないだろう。などと考えながら右折する。


 少し行けば、噴水を中心とした楕円の広場があり、外周を縁どるように多種多様な店が品物を並べていた。

 人通りは多く、すれ違う人間の中には、明らかに服装の異なる旅人や商人などが混じっている。

 ケーブルを介して近隣の葉地ロトスとの交易が盛んな証だ。

 魚の燻製に、干し肉、チーズ、野菜、香辛料、果物も。

 ほんの数件見回っただけで初めて見る食料をたくさん発見した。

 固形食糧は人気がないらしく、取り扱いは少ない。

 むしろ装飾用の人造石や、武器、衣服などの方が多く目に飛び込んでくる。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん」

「どうしたの?」


 袖を引かれて、僕は立ち止まる。


「あのお店と、あっ、あっちのお店も。どうして子供が働いてるんですか?」


 ピリカが指さしたのは、食料を扱う店。

 どちらも僕よりも若い人間が店番をしており、一人は笑顔で客の値引きに応じていた。


「廃都の子供は学校に行かないんだよ。親の仕事を継ぐために、商売に必要な知識を教わったらすぐに働くんだ」

「親の仕事、ですか……」


 納得いかないような、戸惑っているような声色だった。

 十七年生きてきた僕ですら色々考えさせられる話だ。

 まだ二年とちょっとしか生きていないピリカにだって、思うところがあってもおかしくない。


「とりあえず、あの子供のいる隣の店で換金しようか」

「はいっ」


 目星はついた。

 あとは資金調達のみ。

 先ほどから、ピリカを不審そうに一瞥する集団がいる。

 これ以上の長居は危険だ。

 僕は人造石や骨董品などを並べる店へと速足で向かった。


 旅に出るなら、一度は有人廃都へ行きなさい。

 あすこには、我々と同じ形をした違う生き物が犇めき合っている。

 ただ行って、住人と言葉を交わすだけで多くを学べるだろう。

 だけど、話に夢中になってつがいの手を離してはいけないよ。

 離してしまえば、君たちの旅はそこで終わってしまう。

 待つのはお互い地獄だけだ。


 ふと思い出したその言葉は父のものだったか、恩師のものだったか。

 どちらだったとしても決して忘れない。

 僕はずっと、ピリカと旅を続けるのだから。


「お兄さん! うちの燻製肉を買っていかないか? 美味いよ!」


 店を通過しようとして、ピリカに指さされた子供が声をかけてきた。

 僕より頭一つ低い身長に、縮れた赤毛、枯葉色の切れ長の目。

 服装はやはり布を巻いたゆったりとしたものだが、帯の色が大人とは異なっていた。

 しかし彼も幼いながら立派に商人だ。

 僕をカモにしようとするとは。


「手持ちがないもので。また今度」


 手持ちがないと告げた途端、子供はすぐに目を逸らし次の獲物に声をかけはじめる。

 商いに生きる人間はどうも苦手だ。


「人造石の換金を」

「おうよ」


 気を取り直して、軒先でどっかりと丸椅子に腰かけた隣店の店主へ布袋を手渡す。

 無骨そうなこちらの方がいくらか安心して話しかけられた。


「珍しいもんが混じってんな」


 しわの刻まれた手が、色とりどりに輝く石をささくれた木製テーブルに広げる。


「遠方の無人廃都から拝借したんですよ」

「ほう。そりゃご苦労なこって」


 塔の機能が死んだ廃都は廃墟、無人廃都となり果てる。

 だが、稀に一部機能が生き永らえている場合もあるのだ。

 この人造石は、装飾品製造機能の残った無人廃都からちょろまかしたものである。


「箔をつけてくださいよ」

「考えてやらんでもない」


 店主は石を天に翳し、見定める。

 これは期待できるかもしれない。しばらくの間は食い繋げそうだ。


「んじゃ、すべて買い取って――」

「よお大将!」


 半ば体当たりの状態で僕を押しのけ、旅装束の人間が割り込んできた。


「どうした、うるせぇ」


 まだ二十代後半といったところか。

 長い黒髪を束ねてねずみ色のマントを羽織り、服の上からでも筋肉質な体型がうかがえる。強面で腕っぷしの強そうな人だ。


「ご希望のものを納めに来てやったんだよ」


 ピリカが僕の腰にしがみつく。

 顎で示されたのは、石畳に転がる人の背丈ほどある麻袋だった。


「ほれ」


 旅装束の人間は砂埃で汚れた麻袋を蹴り上げる。

 まるで人が入っているかのような形のそれは、蹴られた衝撃でびくんと跳ねた。


「活きが良いだろ? 歳もちょうどの上物だぞ」

「改めさせてもらおうか」

「ちぇっ。うちはおが屑つめるような悪徳じゃねぇってのに」


 文句を垂れながらも、旅装束の人間は麻袋の紐を解く。

 疑う余地もない。

 こいつは、この店は。

 怪しまれないよう半歩後退って、いつでもナイフを抜けるよう身構える。

 その間にも固く結ばれた紐は解かれ、ついに中身が露わになった。


「どうだ。大将の好みだろ?」


 恐怖で塗り固められたアクアマリンの瞳。

 青黒く腫れあがった目元と頬。

 猿ぐつわを噛まされ、呻くことしかできない紫の唇。

 一糸纏わぬ傷だらけの肉体。

 胸元で縛られた両腕が隠すのは、豊満な膨らみ。

 乳白色の長い髪を乱れさせた、愛寵種フューシャだった。


「ふうん。悪くない」


 にたり、と店主が卑しく口角を吊り上げる。


「白髪なんぞ最近じゃ滅多に出回らねぇのに、よく捕まえてきたな」


 泣き腫らしたアクアマリンが、震えるピリカを捉えた。

 絶望を映す宝石は、助けて、と叫んでいるようだった。

 いや、口が塞がれていなければ叫んでいるに違いない。

 敵地の真っ只中。

 どうすれば、どうしたら、僕はこの子を救えるだろうか。


「偶然立ち寄った葉地ロトスで花を摘んでやがったんだ。なぁのろま!」


 旅装束の人間、密猟者は愛寵種フューシャの脇腹を蹴り上げる。

 激痛に見開かれた瞳を直視できなかった。


 ここで彼らを刺し殺せば、この子を救えるだろうか。

 ピリカを注視するあの集団から逃れ、野次馬を退け、人間たちが蠢く市場を離れられるだろうか。

 僕一人で、二人を庇いきれるだろうか。

 僕が殺されたあと、二人はどうなってしまうのだろうか。


「ちょうど欲しがってる客がいるんでな。買ってやるよ」

「まいどどう――」

「旦那さま危ない!!」


 密猟者の声をかき消すように、ピリカが叫んだ。


 あっという間だった。


 市場の中心、噴水の真上から芽吹くように極大の旋風が発生したのだ。

 瞬く間に土埃が巻きあげられ、同時に旋風は刃を吐き出した。

 魔法でしか作れない、不可視の刃物を。

 刃は品物を細切れにし、店のひさしをぼろ布に変え、ついには人間たちを切り刻んでいく。

 目の前の店主の腕が落ち、口を残して顔が水平に滑り落ちた。

 密猟者も同様に手足を失い、腹から真っ二つになって頽れる。

 隣店の子供も例外ではなく、ぶつ切りにされて地面に積み上がった。

 僕はピリカが寸前に展開した透明な障壁に囲まれて、茫然とそれを見ていた。


「だん、な……さま」


 障壁がガラスに似た崩壊音をたてて消え去り、ピリカの微かな声が耳に届く。

 風が吹き荒れたのはほんの数秒。

 僕が我に返った時にはもう、何もなかったかのように風は凪いでいた。

 血みどろの惨状を置き去りにして。


「け、ケガは、ありません、か?」


 足元でうずくまる小さな体は、ひょうひょうと荒い呼吸を繰り返す。


「ピリカは?」


 焦燥を悟られないよう膝をつき、ピリカのフードを脱がせた。


「こわい」


 涙の伝った頬には血の気がなく、喘ぐように空気を求めて唇を開く。

 幼いピリカが使える魔法はまだ少ない。

 火を起こしたり、ゴンドラを低速で飛ばすのが限界だ。

 障壁作成だなんて、成熟個体ですら負荷が大きいのに。

 ピリカは僕を護るために無理をしてしまった。

 無理をさせてしまった。


「ごめん」


 抱きしめて、金糸の張り付く額に口づけを落とす。

 頭を撫でても呼吸は落ち着かなかった。


「カザ、キリです」


 絞り出すように言葉を紡ぎながら、ピリカが指をさす。


「ああ」


 指さされたのは、麻袋の中でもがく愛寵種フューシャだった。

 魔法の暴走によって引き起こされる現象がカザキリだ。

 愛寵種フューシャが強い恐怖を感じた時に発生する死の旋風として恐れられている。

 彼女たちは恐怖で心を支配されると、魔法を使えなくなる。

 使えなくなった魔法は蓄積され、死をもたらす旋風として外界に放出されてしまう。

 憶測だが、道中ゴンドラを揺らした突風もカザキリの前兆だろう。

 ピリカにはカザキリの風の音が悲鳴に聞こえるらしい。


「逃げよう。あの子と一緒に。できる?」

「やります」


 意志の宿る言葉に、僕は頷く。

 またカザキリが起こる前に、人間が駆け付ける前に、立ち去らなければ。

 首にかけたゴンドラを展開するピリカを背に、僕は麻袋に手をかけた。


「大丈夫だよ。すぐに自由にする。だからもう少しだけ我慢して」


 激しく首を横に振るこの子に僕の声は届かない。


「旦那さま!」


 振り向くとピリカの乗った木製のゴンドラが宙に浮かんでいた。


「お願い」


 乱雑に麻袋の紐を締めて担ぎ、ゴンドラに飛び乗る。


「ケーブルの繋がっていない低層の葉地ロトスへ!」

「はい!」


 また無理をさせてしまう。

 僕は何もしてあげられないのに。

 唇を噛むと、ゴンドラが勢いよく空へと舞い上がった。

 普段では考えられない速度で、僕たちは有人廃都から逃亡した。



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