第1話 いつもと同じ朝


 どんな危険な目に遭っても必ず無傷で生還する。

 それが、僕、成宮晃なりみやあきらである。


 え?

 お前何言ってるのかって?

 そうは言われても、事実だから仕方ない。

 割と事故や危ない目に遭うことが多いのに、無傷なんだからね。

 そうそう、あまりにも僕だけが・・・・無傷なものだから、一時期あだ名が死神だったっけ。

 流石に、高校生になった今は、そんなことを言ってくる相手はいないけど。



《アキラ》



 それにしても、僕はただ平穏に平和に生きていきたいだけなのに、どうしてこうなるのやら。

 犬も歩けば棒に当たると言うけれど、僕は似たようなものだと思う。

 外を出歩けば、何かの事件に遭遇する。

 大なり小なりだけれど、少なくとも、僕にとって何も起きない場所は家ぐらいだ。



《アキラ、止マレ》



 耳に届いた声に、僕は素直に従った。

 別に従う義理はないかも知れないけれど、従った。

 この声はいつだって正しい。

 腹が立つほどに正しいと、僕は知っている。




 そして、言われるがままに立ち止まった僕の視界で、赤信号を突っ込んできたトラックが、電信柱に激突した。




「わぁ、紙一重」



 思わずぼそりと呟いた僕の声は、周囲の喧噪にかき消えた。

 幸い、誰も怪我をしなかったらしい。

 いや、運転手は怪我をしているのかも知れないけれど。

 とりあえず、誰も跳ねられたり轢かれたりしていないので、良かったと思う。


 僕は外に出ると、こういうことが日常茶飯事だ。

 学校に通うだけでも一苦労だ。

 それがあるので、徒歩で通える距離の高校を選んだ。

 毎朝電車が事故を起こす可能性を考えながら通学するなんて、まっぴらだ。



《アキラ、怪我ハ?》

(無いよ。見たらわかるだろう)

《ダガ、人間ハ、脆イカラ》

(そりゃあ、君のようなイキモノに比べたら弱いよ。一緒にしないで)



 心の内で返事をしても、きちんと相手には届く。

 先ほど僕に止まるように促した存在は、背後からすいっと僕の顔を覗き込んでくる。

 血のように赤い髪、立派な2本の角、天狗のような黒い翼、鱗に覆われた腕、猛禽類の足。

 そんな人ではない歪な姿を寄せ集めているのに、僕を見つめる顔は奇妙に人間に酷似していた。

 褐色を通り越して浅黒く、ぎょろりとした瞳は金色で作り物めいている。

 大きな唇から覗くのは、八重歯や犬歯ではなく、ただの牙。

 そんな明らかに人間ではない、想像上の生物みたいなイキモノは、今日も僕の背後に佇んでいる。


 コレ・・が何であるのかは、僕にも解らない。

 僕の両親にも、祖父母にも解らない。

 誰にもわからない。

 けれどこいつは、僕が生まれた時から、僕の側にいる。

 まるでそれが役目だと言いたげに、愚直に僕を護り続けている。

 ……僕が、何が起きても無傷で生還するのは、こいつのおかげである。




 僕は幸運の持ち主と呼ばれているが、実際は幸運ではなく守護者持ちなだけだったりする。




 こいつが何であるのかは、知らない。

 ただ、うちの家系はこういうものが見える家系だった。

 生まれてすぐの僕の傍らにこいつが現れても、慌てず騒がず会話をしたらしい父さんのことは尊敬している。

 母さんは見えないから、父さんが何をしているのかわからなかったらしいけどね。

 そして、こいつはただ、僕を守護するために現れたのだと告げたらしい。

 何でそんなことをしてくれるのかは、誰にも、わからない。

 こいつは何も、語らないから。


 見返りを求めないというのは良いことなんだろうか。

 でも正直、薄気味悪いと言う人もいる。

 確かにそうだ。

 異形が、人じゃないイキモノが、何の見返りも求めず、17年もひたすら人間の子供を護り続けるなんて。

 いっそ、護り育てて、最後には喰らうのだと言われた方が納得出来る。



《アキラ?》



 ……けれど、こいつはそんなことを考えていないのだろう。

 言葉を綴るのが苦手なのか、牙が邪魔なのか、こいつの言葉はどこか片言だ。

 僕の名前も、外国人が呼ぶみたいに歪に呼ばれている。

 それでも確かにそこには感情が込めてあって、……こいつは僕に、優しいのだ。


 何故優しいのだろうと、最近は思う。

 物心ついた頃からこいつは側にいて、いることが僕にとっての普通だった。

 それが当たり前で、誰にでもこんな風に、誰かが側にいるのだと思っていた。

 けれど違うと気付いたときに、何故僕だけが、こいつだけが、他と違うのだろうと思った。

 だって、異形は総じて人間に優しくなどない。

 それは彼らに情が無いのではなく、価値観や感性があまりにも違うからだ。


 危ない目に遭うのは僕の普通。

 僕の日常。

 それは、僕がそういう星の下に生まれたからなのだと、今は亡き曾祖父の言葉だった。

 曾爺ちゃんは、一族でも屈指の目と耳を持っていて、様々なものが見えたのだという。

 そんな曾爺ちゃんは、まだ幼かった僕に、こう言った。



――覚えておきなさい。お前の魂には、しるしが刻まれている。

――しるし?

――その印は、誰にも外せない。お前が危ない目に遭うのは、そのせいだ。

  だから、《彼》の言葉に従いなさい。《彼》はお前を護ってくれるから。

――はい。



 意味は良く解らなかった。

 それでも僕はその時頷いた。

 そして今、僕は、その意味を噛みしめている。

 僕には何かがあるのだろう。

 僕自身が知らない、何かが。

 僕が危ない目に、……こいつがいなければ死んでいるような目に遭い続ける、理由が。



《アキラ?》

(ちょっと考え事してただけ。……今朝はもう、何も起きない?)

《今ノトコロハ、大丈夫ダ》

(そっか。ありがとう)



 僕の言葉に、こいつは小さく笑った。

 不器用に、ぎこちなく。

 まるで表情を作ることが苦手だと言うように、歪な笑顔を向けてくる。

 それが笑みだと伝えるのは、その金色の瞳だ。

 どこまでも優しくて、慈愛に満ちたその眼差しの意味を、僕はまだ、知らない。


 無条件に慈しまれる意味なんて、僕は知らない。

 何も、何一つ、知らないままだ。

 知ることを放棄してるわけじゃない。

 けれど、今の僕には、知る手段が無いのだ。

 こいつに聞いても、困ったように口ごもるだけで、何も教えてくれない。

 何かを知っていただろう曾爺ちゃんは、もう死んでしまった。

 真実を僕が知ることの出来る日は、いつ、来るのだろう。


 平穏で、平凡で、平和な、そんな当たり前の日常が欲しいだけだった。

 物心ついたときから側に異形がいて、危ない目にしょっちゅう遭って。

 そんな日常を普通だと思いたくないと考える程度には、僕の常識はマヒしていない。

 これが僕の普通だと解っていても、人並みの普通の生活がしたいと願うことぐらいは、許して欲しい。

 


 アキラ、と僕を呼ぶこいつの声は、僕にとってお守りみたいなものだった。

 何で側にいるんだろうと思っていても、いなくなられたらきっと寂しいのだろうなと思う程度には。

 こいつの存在が、僕の中で大きいのは、当たり前だ。

 だって、赤ん坊の時からこいつは僕の側にいるんだから。


 いつまでたっても名前を教えてくれない、薄情な守護者。

 こいつにとっての僕は、いったい何なんだろう。

 何のために僕を護るのだろう。

 何のために側にいるのだろう。

 教えてくれないその理由を、僕が知りたいと思っていることを、こいつは知っているのだろうか。

 知っていて黙っているなら、本当に、ひどいと思う。


 問わなければ、こいつはきっと側にいるのだろう。

 理由を暴こうとしなければ、名前を知ろうとしなければ、正体を探ろうとしなければ。

 今のまま、優しく僕をアキラと呼んで側にいてくれるのだろう。

 誰より近い場所で、何より完璧な、僕の守護者として。



 ……けれど僕は知っている。

 僕に優しく、僕を愛しそうに呼び、僕を守護するお前は、決して僕を見ていないのだ。

 ……お前が呼ぶ『アキラ』はきっと、僕じゃないんだろう?

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