かなづちの海域


 会社で生きやすくなることを願った。上司の足元を消毒のにおいがする水が埋めていき、放たれる僕への罵声が困惑に変わる。スーツを脱ぎ捨てその下に履いていたホタテ柄の水着だけになると、汗ばんだ上半身がすーすーとした。

「ふざけている」

 のか、という上司の言葉は膨らんだ水でさえぎられ銀の泡になった。すでにゴーグルを装着していたので視界はとても鮮明で、彼の人体だけがプールに溶け消えていくさまはよく見えた。

 おぼれるパソコンやスーツたちをかきわけ、手足を同時に動かしてへたくそな泳ぎをする。息継ぎができずに立ちあがっても、みんな死んでいたので恥ずかしくなかった。再び水にもぐる。静かだ。僕だけが、ここで息をしている。



(お題……『泳ぐ』 本文300文字)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る