第12話 俺、未来がある!

「勉、お客さんじゃあ」

 母の声が聞こえた。

 いつの間にか酔い潰れていたのだろう。俺は着衣のまま、居間で寝ていた。

母が被せてくれたらしい毛布をはねのけて起きると、二日酔いになのか頭がガンガンと痛む。

「ああ・・・」

 立ち上がろうとしても身体に力が入らない。

 こんな時に、いったい誰だよ・・・。


母に身体を支えられながら玄関に出て、腰を抜かしそうになった。

ゆかり!

クリーム色のスーツにピンクのパンプスを履いたゆかりが、いつものように肩に流れる黒髪、面長な顔に困ったような表情を浮かべたゆかりが、大きな旅行バッグを提げたゆかりが、そこに立っていた。

 女神のようなゆかりに、二日酔いのヨレヨレ姿を見せてしまった俺は、言葉もなくその場に固まってしまった。

「あ、あの・・・ 勉さん」

「お・・・」

 会話にならない俺たちに、母が横から声をかけた。

「勉! ・・・ さあ、さあ、汚いところですが、上がってください」

とゆかりに優しく言いながら、母は俺のせいで散らかった居間を、病身の技とは思えぬ素早さで片付けた。

「お邪魔します」

 応接ソファの上に膝を揃えて腰掛けたゆかりの姿は、改めて上品だと思った。

「遠いところからわざわざようこそいらしてくださいました。勉の会社の方ですか?」

目を輝かせながら、母が俺とゆかりを交互に見る。

「あ、あの・・」

 何か二人が納得するような形で誤魔化さなきゃ、と思って口を挟もうとすると、ゆかりは笑顔で言った。

「いいえ、私たち・・・ 付き合っているんです」

 母は入れ歯が飛び出さんばかりに大口を開けて、驚きの表情を見せた。

「つ・・・勉! どうして今まで話してくれなんだん?!」

 俺は苦笑いするしかなかった。


・・・・


ゆかりは予約していたホテルをキャンセルして、我が家に泊まることになった。

これは母のたっての願いであった。いきなり若い娘が俺を訪ねて来て、パニックでも起こすかと思っていたが、これまでの人生で多くの子供たちを見て来た母は、意外にリベラルで、年齢とかの相手のスペックのみで偏見を持ったりしないのは、俺のうれしい誤算だった。


俺はゆかりに、津山城跡を案内することにした。

織田信長の小姓だった森蘭丸の弟、森忠政が、12年の歳月をかけて1616年に完成させた平山城だ。

残念ながら戦時中に建物は取り壊されたが、池上四十五メートルに及ぶ石垣は残っており、今も日本三大平山城に数えられている。


また紅葉には少し早いが、しんと澄んだ爽やかな空気に、秋の訪れを感じる。石垣に沿って二人で城を登りながら、立派な本丸があったであろう昔を偲んだ。

「素敵なところね。私この街がすっかり気に入ったわ」

備中櫓の上から街全体を眺めると、俺の高校時代に比べてずいぶん人口が減って活気がなくなったなあ、と悲しくなる。

「そうかな・・・ ただ田舎なだけだと思うけど」

 照れて卑下してみたが、ゆかりが俺の故郷を褒めるのを聞くのはうれしくないはずはない。

「川島くんも、ここに来たんでしょ」

「えっ」

やっぱり知っていたのか、あいつが津山を訪ねて来たこと。

「え、ああ」

川島から何を聞いたんだろう。

「彼、言ってたのよね。私がすごく年上の人と付き合っていると聞いて、騙されているんじゃないかと思って、お盆休み、観光がてらにここに来てみたんですって」

「はは・・・」

やはりそうだったのか。川島はゆかりに相当気があったんだな。

「でもね、あなたのお友達の店であなたに会って、その心配は消えたらしいの。あなたはとても誠実そうで、本当に私のことを好きみたいだって」

 まいったなあ・・・。あいつは若いけど、俺よりずっと大人だったんだ。

「あなたが独身というのも疑っていたけど、本当だってわかったって言ってた」

 そう言ってゆかりは、長い髪を風になびかせて、からりと笑った。

「今は彼、別の支店勤務になったから、もうあんまり交流はないんだけどね。同僚の派遣社員とうまくいってるみたいなことも噂で聞いたわ」

 自分の子供みたいな若い奴らに心を乱されて、俺は何やってたんだ。

そう思うと照れくささでなんだか顔が火照ってきたので、あわてて話題を変えた。

「この津山城跡は、四月初めが一番きれいなんだよ。桜の名所なんだ」

 遠くに見える中国山脈の山々を臨みながら、ゆかりは楽しそうだった。

「気に入ったわ。私ここに住んでみたい」

「えっ」

若い奴は突然、突拍子もないことを言い出すもんだ。

「だってさあ・・・ 仕事はどうするんだよ」

「休職すればいいわ。うちの職場って、その点はすごくフレキシブルなの」

 俺は言葉につまり、眼下の小さな城下町を見つめた。

しばらくして、ゆかりはぽつりと言った。

「いいでしょ。勉さんも勤め先を辞めたんだし」

「なんで・・・」

「あんまり連絡がなくなったから、職場に電話してみたのよ。そしたら、もう退職した、って言われて」

 俺は鼻の奥に涙が込み上げてくるのを感じた。

「リストラだったんだ」

「いいじゃない。何かが終わると、何か新しい始まりがあるのよ」

 ゆかりは額に手をかざして、大きく息を吸い込んだ。

その姿を見て思った。やっぱり、彼女はきれいだ。誰よりも。

「じゃあ、今度は武家屋敷跡を案内するよ。前に話した例の、高校時代のクラスメートがやってる店に行ってみよう」

「うん」

 俺たちは見つめ合い、手をつないだ。

そして、津山の街じゅうに響き渡るように、できるだけ大きな声で笑った。



(終)


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石田勉はまだ53歳だから 栗原咲蓉子 @kuriharasayoko

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