第9話 職場で衝撃の・・・

それはそうとして、ゆかりはどうしたんだ。

ハワイ滞在はとても楽しかったらしく、俺のことを思い出す瞬間もなかったようだ。

 帰国してすぐに短いメッセージが送られてきた。


「勉さん、津山のお盆はいかがですか。

私は、この一週間、ハワイ島とオアフ島を回り、ハワイの休暇を満喫しました。

東京に戻って来たら、また連絡くださいね。」


俺は彼女に、母親の入院のことと盆休みを一週間伸ばすことだけを伝える返信をした。

ゆかりは今頃、オフィスで川島と働いているだろう。

川島は紬で俺に会ったことを話したかな。気にはなるけれど、尋ねる気はしなかった。もし川島が喋ったなら、ゆかりから何か言ってくるだろう。


幸い母の快復は、思ったより早かった。

一ヶ月の入院の後自宅に戻った母は、少しろれつが回らないが話すことはできるし、ゆっくりだが歩くこともできる。

盆休暇が予定より長引いて、職場の人たちには迷惑をかけて申し訳なかったが、今回は本当に特別な事情なので、理解してくれることを祈っていた。


・・・


「オーウ、イーシダサーン」

俺の勤める外資系製薬会社の日本支社長は、アメリカ人だ。

このポートマン支社長は、日本にはもう十五年ぐらい住んでおり、東京にある外資系企業を何社か渡り歩いた挙句、ここに辿り着いた。訛りはひどいが日本語は流暢だ。

「遅くなりまして、申し訳ございません」

俺はセールスマンとして長年鍛えた、腰から直角に折れる礼をした。

入社した時に社内研修で教えられて以来、もう無意識に癖になっている、背中の反射反応だ。

「アー、お母さん、どうですか。大丈夫ですか」

「おかげさまで、母の体調はだいぶ快復して、退院して家で生活できるようになりました」

 アメリカ人のポートマン支社長、いや、ウィリーとファーストネームで呼んでくれ、と言われているのでそう呼ぶが、

ウィリーは小柄ながら、ぴかりと光る頭頂と、きびきびとした身のこなしに精力を感じさせる男だ。

最近業績の低下が囁かれている我が社に、新しく雇用されて手腕を振るうこの新支社長に、

長い休暇明けに呼び出された俺は、何の用があるのかといぶかった。

「アー、イーシダさん、他でもない。うちの会社、今ちょっと大変、業績問題あります」

「はあ・・・」

それは俺も聞いてはいたが、日々の忙しさにかまけて、特に深く考えることはなかった。

だいたいそんなの、会社の経営上層部が考えることだろ、一社員にすぎない俺の知ったことじゃない。

いくつかの外資系製薬会社のセールスマン、そして治験担当者として転職を重ねた俺は、自分の実力に見合った給料が貰えさえすればそれでいいのさ。

そのつもりで長年がんばった甲斐あって、世間ではけっこうな部類に入る給料を貰えるようになっていた。

「それでですねえ、・・・ 残念ですが、イーシダさん、今月限りね」

「は?!」

 何だ、そりゃ? 意味が把握できず、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。

「アー、つまり、退職勧告です。今月で終わりだけど、給料はその後三ヶ月間は払うよ」


・・・・


 夕方、職場のあるビルを出て、東京の空を見上げた。

高層ビルの上に広がる、少し赤みがかった青空は、子供の頃津山で見た夕焼け空と

何も変わらない。ため息をひとつついて、ゴミひとつ落ちていない灰色に光る舗道を歩き出した。

「なんでだよ、なんで・・・」

 外資系は、給料は高いが、クビになるのも簡単だ。実力に大きな差がなければ基本的に、後に雇用された者から先にクビを切られる。それはわかっていたけれど、まさか、まさか俺が・・・。


まだ給料が貰えている三ヶ月の間に、なんとかして転職先を見つけなくてはいけない。

この年で? いや、俺には業界の人脈が少なからずある。それに、三ヶ月過ぎた後も、失業保険でなんとか食いつなげるはずだ。


帰りの電車の中で、自分だけが浮いているような気分だった。

自分の体がプラスチックのラップに巻かれ、外からの音も、熱気も臭気も遮断されているような。

ケータイが鳴った。

ゆかりからのメッセージだ。


「勉さん、もう東京ですか?

連絡ください、ゆかり」


答える気はしない。

駅にはダンボールで家を作って寝ているホームレスたちがいた。

いつもは別世界の人間のように横目で見ながら通り過ぎていたが、今や他人事ではないのだ。


・・・


(続く)

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