第3話 俺の故郷、津山

「私、生まれてからずっと東京なの。田舎がある人がうらやましいな」

まだ熱を持っているシーツの上で、ゆかりがつぶやいた。

レストランで、津山の話をし過ぎたせいかもしれない。母のこと、子供時代の思い出、楽しかった中学・高校時代、今でも交流がある吉武徳子や、武家屋敷通りにある彼女の店・・・。

両親とも教師だったので躾には厳しかった。共働きの二人に代わって、面倒を見てくれた優しい祖母がいた。小さい頃から成績優秀で眉目秀麗な三歳年上の姉は、俺よりずっと皆に可愛がられていた。

「僻みかもしれないけどね」

そう言うと、ゆかりは俺の腕を握った。

「気持ちはわかるわ。私の父も、実は継父なの。母が再婚した時、私はまだ5歳だったから、実の父親のことは全然覚えていない。だから彼を本当の父親のように思っているんだけど、後から生まれた弟や妹の方が、より可愛がられているような気がして、ずっと嫌な気がしていたもん」

 俺はゆかりの額に口づけた。彼女の前髪には若草の香りがした。


・・・・・



梅雨が上がると、あっという間に東京は熱帯になる。営業の仕事で、クーラーが効きすぎた屋内と、うだるような暑さの戸外を忙しく行き来している間に、八月になり、盆休みになった。

こういう時長めの休みがとれるのが外資系のいいところだ。俺は帰省ラッシュになる前に津山に帰省することができた。最近母から体調がすぐれないとの電話を再三受けていたので、今回は合計十日間の休みを取って、ずっと実家で過ごすつもりだった。

 ゆかりは、この盆休み家族とハワイへ旅行している。


「ああー、最近目が霞むし、左手がしびれてきた」

 母はそんなふうに嘆きながら、タンクトップに短パン姿で、痩せて筋だけになった腕や脚を露わにし、すだれを下ろした縁側にゴロリと横になっていた。肩が痛いというのに、サロンパスを貼るのも暑くていやなのだそうだ。

・・・心配してたのに、わりと元気そうじゃないか。

母は自分の健康状態にぶつぶつ文句を言いながらも、暑さが堪えるだけで、特別具合は悪くなさそうだ。

夜は素麺で簡単な食事を終えた後、リビングでゴロゴロしていたら、ケータイが鳴った。

吉武徳子から、メッセージが届いていた。

「至急、紬まで来られたし」

なんだよ、急に・・・。

とはいえ、母とテレビを見る以外にすることもないのは退屈だったので、紬まで行ってみることにした。

「ちょっと吉武の店まで行ってくるけえ。」

母にそう声をかけると、

「ほお・・・」

と寝転んだまま、背中を向けて半分眠っているような声を上げた。


・・・・


 旧出雲街道の一部でもある、武家屋敷通りは津山の観光の名所なので、お盆休みの間にも訪れる人が多い。綺麗に整備された通りには色とりどりのぼんぼりが灯り、木造の格子に淡い夢のような陰を写している。道の両側の建物はごく最近改築されたものばかりなので、歴史旧跡なんて呼ぶのはおこがましいと思うが、タイムトリップしたような懐かしさを感じるのはなぜだろう。

8月は夜でも蒸し暑い。それが子供の頃の夜祭を、肌感覚で思い出させる。


「紬」の引き戸をがらりと開けると、全身がクーラーの涼しい風に包まれた。

「あ・・・いらっしゃい」

 カウンターの中の吉武は、いつものような笑顔ではなかった。たった二ヶ月で急に老けこむわけでもあるまいに、どこか顔色が悪く見える。

 カウンター席にはいつも通り、常連らしい年配の客が陣取っている。奥のテーブル席では、若い男が桃子と英語で楽しそうに会話していた。男は津山の人間に見えないが、オーストラリア時代の友人が訪ねてきたのだろうか。


桃子は振り向き、俺に手を振った。

「石田のおじさん、お客さんで」

俺に?


(続く)

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