第103話 会いたくない相手に限って遭遇する

「世界がこんなになったのも『空知晟生』のせいかもしれんな」

「あっそう」

「あまり罪悪感もなさそうだな」

「実感がないし、それに普段から隕石でも落ちてこないかと思ってたし」

 忙しすぎる仕事は努力しても認められず、効率化を唱えながら人を増やさず仕事を増やす会社。つまらないという感覚さえ摩耗して、疲れた身体を引きずりなが惰性のように生きる中で、周りの人々は煌めくように楽しそう。自分は何をやっているのだろうかと、人生について自問自答し、非積極的ながら薄ボンヤリと世界や社会の滅亡を望んでいたのは事実だ。

 ふと思うが、四十数歳まで生きた『空知晟生』は満足していたのではないのだろうか。たとえそれが世界が滅ぶという不謹慎な状況だったとはいえ、周りから認められ頼りにされ活躍したのだから。

「それより、ここにいる二人とも『空知晟生』ではない……それでいいわけ?」

 晟生は恐る恐ると尋ねる。

 ただし、心の中では殆ど察しているため最終確認のようなものだ。だからソラチが頷く姿を見てもショックよりは、やっぱりかとの思いが強かった。そして妙にスッキリした気分だ。

「俺は空知晟生のクローンだ。優秀な戦士であった空知晟生には、非合法のクローンが多数いた。なにせ素体コアとの適合性が抜群に良かったからな」

「クローンなのに記憶があるの?」

「詳しくは知らんが、記憶ってのは脳そのものらしい。後は思い出せるかどうかの違いだけだな。だが、お前は少々事情が違う――」

 ソラチが言いかけた時だった――網膜にアラートが表示されたのは。

 恐らく過ごして来た環境と経験の差なのだろう。晟生が警報の方向を確認しようとするのに対し、ソラチは瞬時にその場を飛び退き飛翔した。

「馬鹿、逃げろ!」

 舌打ちと共に怒鳴られるが、その時には素体コアから何か巨大なものの接近警報が示されている。アラート表示が激しさを増し、把握しきれないほど細かな情報が次々示される。

 肉感をもった何かがしっかりと巻き付き、吸盤らしきものが確認できる。

「これ触手……」

 声をあげられたのは一瞬で、天地が引っ繰り返ったように滅茶苦茶に振り回され目まぐるしく視界が変化、それに加え次々と表示される警告表示。あまりにも多すぎる情報によって晟生の意識は情報過多となった。さらに平衡感覚も崩れ見当識を失っている。

 つまり乗り物酔いに近い状態で、ぐったりとなって動けない。

 ぼんやりと見上げる先には、白茶けた緑色をした肌の女がいる。豊満というよりは肥満に見える半裸の上半身に下半身はタコのような触手だ。それは大型神魔装兵スキュラだと頭の片隅で考えつつ、晟生は動く気力もないまま見つめるしかなかった。

 ソラチは安全距離を確保しつつ、素体コアのアームで腕組みをした。そこには少しの動揺もなければ緊張もない。ただ鬱陶しそうな顔をするのみだ。

「お前は確か浜樫ひんかしという奴だな」

「あーらまあ。ご高名なタイニィのソラチに名を知られているとは光栄だわさ」

「何か用なのか」

「とーっても簡単な用よ。ほうれほれ、こいつに酷い事をされたくなければ素直に投降おし! 具体的には素体コアを脱いで、地面に這いつくばるのよ」

「断る」

「強情っぱりさんなのねぇ。そういう男って好きよ、そういうのを泣かせて屈伏させるのって大好きだわさ」

「趣味の悪い奴だな」

「余裕ぶってんじゃないよ」

 浜樫=スキュラは晟生を掴んだまま地面へと叩き付けた。素体コアを着装しているため大きなダメージはないが、大きく土が跳ね上がる様は迫力がある。

 しかしソラチは何の反応もせず平然と眺めていた。

「俺を捕まえてどうする気なんだ?」

「どうもこうもないわさ。依頼よ依頼! 臨時アイチ県庁からの依頼よ。あーたがクーデター側の実質トップだもんで、捕獲すれば十万円の報酬って話なんだわさ」

「十万円ね。随分と安いじゃないか」

「まー、自意識過剰な男だわさ」

「そういう意味じゃないんだがな」

 ソラチは苦笑した。かつのて時代感覚では十万円は大した金額ではないのだ。なお、この時代の感覚で言えば十億円にも相当するのだが。

「あーたが、この向こうの村にご執心って情報だけでも千円も使ったのよ」

「千円程度で売られるとはな。ああ情けない」

「あたしは自意識過剰な男は好きだけどね、ものには限度ってものがあんのよ。とっとと、あたしの為に投降おし!」

「まあ十万円程度なら、そいつが用意してくれるだろ。馬鹿な事は止めておけ」

 ソラチは顎でしゃくった。

 浜樫はスキュラの触手足でわさわさ踊るような動きをみせ、捕らえていた晟生をしげしげと見つめた。

「あれま、誰かと思えばあの時の女みたいな男だわさ」

「なんだ知り合いか。だったら放してやれ」

「だーれーがー! この恨みはらさでおくべきかー! 」

 叫んだ浜樫は怒りに任せ晟生を地面に叩き付けた。それは砂煙が立つほどの勢いであったが、さらに触手の足を叩き付ける。それも一度だけではなく二度三度と繰り返す。そこには、相当の恨みと憎しみがあった。

「こいつのせいで、あたしの人生はお先真っ暗だわさ! 絶対に許せないのよ! こいつが十万円出せるってなら、それを頂いて嬲ってから売り飛ばしてやる。もちろん、あんたも捕まえて十万円頂くわさ!」

「強欲なことだな。そんなに金を集めてどうすんだ?」

「知れたこと。あたしのシズオカを取り戻すのよ! あーたを捕獲すれば、臨時アイチの連中が、あたしを援助してくれる約束もあるわさ」

「愚かだな。それでシズオカを取っても傀儡になるだけだろうが」

「なんとでも言えばいいわさ! あたしはね、必ずビッグになるのよ。そんで贅沢をして好きに生きて好きに死んでやるって決めてんのよ!」

 浜樫=スキュラは指を突きつけ大見得をきってみせた。しかし、肥満気味な身体は胸より腹が揺れるほどで優美さは欠片も無い。神魔装兵は着装者が心に描く姿をもって形をつくる。つまり、この姿こそが浜樫の心を表しているのだ。

 そちらを一瞥したソラチは鼻で笑い、視線を下に向けた。

「さっさと起きろ、時間は稼いでやっただろ」

「勝手を言う……」

 触手の間から晟生は弾丸のように飛びだした。スキュラの拘束が緩んでいた事と、平衡感覚もかなり回復していたおかげだ。それでも真っ直ぐにしか飛べない状態で、それをソラチが真正面から抱き止めた。

「おいおい、女みたいな姿になった男の自分と抱き合うとかな。これってのは薄い本が厚くなりそうな展開じゃないか」

「それ自分に対して下品すぎだと思う」

「文句があるなら、まず自分がしっかりしてから言え。母さんがいつも言っていただろ、なあ?」

 言ってソラチは手を放した。厳しい態度と言いたいところだが、実際にはまだ浜樫の脅威は過ぎていない。いつまでも晟生を抱えていられない理由があった。

 晟生は空中でふらつきながら、それでもソラチの隣りに並んだ。気分は最悪だが、母親を引き合いに出されては気合いを入れるしかない。

「ほんっとう、小賢しい連中だわさ!」

 触手が激しく地面を打ち付ける。

「でもね時間稼ぎをしてたのは、あーただけじゃないのよ! さあ、来なさい! 金で雇った傭兵ども!」

 ぞろぞろと近くの丘を越え神話の存在がやってくる。

 網膜に表示される情報を確認していくが、上半身の逞しい泥人形はゴーレム、無機質な目をした馬はケルピー、赤いサソリはデスストーカー、頭に葉っぱの生えたマンドラゴラと、その数は十体以上を超える。

「雇ったなら予算オーバーじゃないの?」

「お黙んなさい、勝てば官軍負ければそれまで。一人頭五千円でも、ソラチを捕らえた報奨金でお釣りが出るだわさ!」

「そういうの無計画って言うと思うけど」

「諸悪の根源がうるさいだわっさ!」

 スキュラは足元にあったAI兵器の残骸を掴みあげると、その触手をしならせ投げつけた。ただし晟生やソラチを狙ったものではない。それは軽々と背後の山を越え――空知晟生の故郷がある場所へと飛んでいく。

「おい!」

「おーほっほっ、どうかしら? あんたがあの場所にご執心なのは知っていると言ったでしょう? あたしはね相手の嫌がる事をするのが、だーい好きだわさ。ほらほら、まだまだ残骸はあるわよ」

 触手の掴んだ大小様々な残骸が投擲され、次々と山を越えていく。他の連中も真似をしだすが、時には手前の山肌に激突する。そこで木々をへし折り、激しく土砂を弾き飛ばすのだが、それが向こうの里で起きているのだ。

 世の中には他人の嫌がる事を進んで行う者が少なからず存在しており、浜樫はまさにそれだ。これまでそうやって相手の弱みを盾に取り、えげつないやり方で屈服させてきたのだろう。

 だが、今回ばかりは最悪の結果を引き出した。

 次の瞬間、怒りに満ちた星の神が二体降臨したのだから。

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