第101話 空知家の伝統
空知家に柔らかなベッドはなかった。
畳に似たものが敷かれた場所に横たわり、薄い木綿の掛け布団を被るだけだ。そんな寝場所でも、寝付きこそ悪かったが気付けば朝というぐらいには熟睡できた。きっと、心のどこかに実家の安心感を感じたからかもしれない。
なお、寝付きが悪かったのはカガセのせいだ。
それぐらい風呂場で見た彼女の裸は立派なだった。相手は自分の子孫であるし、脳裏にトリィワクスの皆の姿が浮かんで、慌てて逃げ出したのであった。
「よし、朝だぞ。起きろ」
戸が開いたかと思うと、カガセがズカズカと入ってきた。
家主とはいえ、晟生が寝ている事に少しも気にした様子がない。それどころか、昨日の風呂での事すら気にした様子もなかった。
そのまま雨戸に手をかけネジ式錠をキコキコ回して解錠。勢いよく引き開け、次々と戸袋に収めていく。差し込む朝日に、傍若無人に窓を開けていく姿……なんとなく、勝手に部屋に入ってきた母親がカーテンと窓を開けていく姿に重なってしまう。
昨日の風呂で欲情に流されなかった事は間違いなく良い事だった。
「夕べは、よく寝ていたな」
「うん、そこそこ」
「かなりに熟睡していたみたいだが。そんなでは駄目だぞ、いいかお前は男なんだ。こんな場所で一人でのこのこ寝ていたら、何されるか分かったものじゃないぞ」
「もしかしてカガセ、そんな気があったのかな?」
「ばか、そういう事もあるって話だ」
カガセは怒ったような口調で口を尖らせるが、それは照れたり拗ねたりした時に家族がしていた仕草そのものだ。どうやら何気ない仕草や行動は、子々孫々に受け継がれていくらしい。
振り向いた彼女は次々指で指し示す。
「ほら、早く起きる。もうすぐ朝ご飯の用意がもうすぐ終わるからな。寝具をたたんで、顔を洗って……笑ったりして、どうした?」
「なんでもない。母親が同じ事をよく言ってたのを思い出しただけ」
「ふん、言ってろ。ああ、それから昨日言ってた客人も来てるからな。食べたら送って貰うといい。大事な仲間の元に戻るのだろ、早く帰ってやれよ」
「そうだね、いろいろありがとう」
「まだ礼を言うには気が早い。ほら、早くしろ朝食にするぞ」
またしても口を尖らせるカガセを見やり、晟生はくすくす笑いながら寝具をたたみ、顔を洗いに向かった。
どうやら朝ご飯は白米らしい。米の炊ける香りがする。
外の水屋で顔を洗い、さっぱりしながら周りを眺め、ふと気付く――これまで見てきた土地はどこも汚染され荒廃していたのだが、この故郷の土地は平穏そのもので作物が育ち昔の名残を多く止めている。
「田舎過ぎたおかげで無事だったのかな」
交通の便が悪く信号機の一台、コンビニの一件すらない地域で過疎高齢化が進む一方だったが、そのお陰で無事だったとなれば何とも皮肉なことだ。
木綿の手拭いを肩にかけ、朝ご飯を頂きに向かう――男が居た。
「よう、先に貰っているぞ」
この男が貴重な世界で何とも珍しい事だが、それはどうだっていい。箸を持った手を軽く挙げ挨拶をするのは、かつての自分の姿をしている。
「ソラチ!?」
「おいおい、ぼさっとするなよ朝ご飯だろ。早く座って食べなさいって、いつも母さんに言われてたじゃないか」
「…………」
「そう警戒するなよ、危ない所を助けてやっただろ」
こうして直接会うのは初めてだ。最初はアツタ神宮で見かけただけで、次はオークション会場でアマツミカボシ状態で遭遇した。
「助けられた? そもそも危ない目に遭わせたのは誰だと?」
反論しつつ、顎で示された向かいの席に大人しく座る。明確に敵対しているわけでもなし、何よりここは実家なのだ。喧嘩をして良い場所ではない。
「どうしてここに?」
「そりゃお前、理由は似たようなもんだ」
軽く笑ったソラチは間違いなく、かつての自分の顔をしていた。
しかし、見れば見るほど違和感が生じてくるのは別人だからではない。むしろ、全く同じだからこそ違和感がある。つまり鏡に映る自分の姿は左右逆、だから自分自身が見慣れた自分の姿と、他人視点で見る自分の姿は異なってしまうからだ。
「なんだ二人は知り合いだったのか?」
木製トレイに朝食を載せ運んできたカガセにソラチは頷いた。
「その通りだ。お互いによく知って、兄弟みたいなものだな。長らく会ってなかったが、凄くよく知っている関係さ。おっと、こいつはこんな見た目をしているが女じゃない。男だからな」
「ああ、知っている。昨日の風呂で確認した」
「なんだ一緒に入ったのか」
「湯桶の中までな」
「そうか、そいつはいい。昨日はお楽しみだったか?」
楽しそうに笑うソラチの姿に、こいつを自分と思うのは間違いじゃないかと晟生は考えてしまった。自分であれば、絶対にこんな事は言わないのだから。
いや、もしかすると年を重ねオッサンになっていたら、こうなったかもしれないが。
カガセは自分の分も運んできて席に着いた。
「馬鹿を言うな。この晟生ときたら、私が少し触っただけで逃げだしたぐらいだ。それも顔を真っ赤にしてな。淑女として、そんな相手に手を出す真似はしない」
悪戯っぽく笑うカガセの姿に、これを自分の子孫と思うのは間違いじゃないかと晟生は考えてしまった。自分であれば、絶対にこんな躾けはしないのだから。
いや、もしかすると世代を重ねたせいで、こうなったかもしれないが。
「顔を真っ赤に!? おいおいおい、晟生よ。お前はあのヒサモリ運送会社のトリィワクス艦にいたのだろ、誰にも手を出さず何もしてないのか!? こいつは呆れた、本当に呆れた。もう、お前ってやつは……うん、本当に俺らしいこった」
ソラチは口で言うほど呆れているのではなく、最後の部分は優しく穏やかに笑った。そして急に静かな口調で息を吐いている。
「なあ晟生よ、知っているか。この空知家ではな、食事をする時は昔からずーっと木のトレイに載せているらしいぞ」
「……そう」
その習慣は晟生の母が始めたものだ。
トレイで食べればテーブルも汚れなくて掃除が簡単、しかもちょっと小洒落てリッチな気分。そう言って本人は大張り切り、皆が面倒で食べにくいと文句を言っても、我が家の伝統にするとまで宣言して続けていた。
「なんだ、お前たちは。文句を言うなよ、いいかこうして食べるとな。ちょっと洒落て豪華な感じがするだろ。それにな、後の掃除も簡単なんだぞ。おい、笑うな」
口を尖らせたカガセの様子を見やり、晟生とソラチは穏やかに笑い――けれど少し泣きそうな感じで――食事を始めた。
お粥状になった雑穀交じりのご飯に具のない味噌汁、そして漬け物。
この時代では豪華な食事の部類だろう。昨日に聞いた話からすると、村の人を売らねば冬を越せないぐらいなのだから。
今食べている食事も精一杯の心尽くしに違いない。
「カガセよ、広場の残骸はもしかして晟生の奴が倒したのか?」
「ああ、そうだ。隣村に荷物を届けた帰りに運悪く見つかってしまってな……お代わりはいるか、しっかり食べてくれよ……それでな間一髪のところを晟生に救われたのさ。危なかったぞ、奴のアームが目の前に迫ったぐらいだ」
「笑い事ではないな。もっと自分の身を大事にしないか」
ソラチの厳しい言葉に晟生も一緒になって頷く。
二人の心は今間違いなく同じ。つまり、自分の娘か何かに言って聞かせている気分なのだ。なにせ大事な子孫なので。
「分かった、分かった。次は気を付ける」
「それは前も言ってただろ。いいか付近のAI兵器どもは前に駆除したが、だからって安全になったわけじゃないんだ。それを忘れるなよ」
「了解、了解」
「それから医薬品で足りないものはあるか? あれば少しぐらい用意をしよう」
「おおっ助かる。いつもすまないな、お前が来てくれてから本当に助かっている」
調子の良い態度にソラチは苦々しい顔だが、さりとてそれで支援を止めるつもりはなさそうだ。その気持ちは晟生にもよく分かる。
自分の資産を半分でも村全体に贈ろうかとも考え……だが、それは止めた。
この村全体の収入から考えれば、数十年どころか百年分はあるかもしれない。寄付は相手を蝕む。一度でも誰かから何かを貰えば、次もまたと考えてしまう。心の片隅には常に誰かの助力をアテにする気持ちが残り、自分の力で成し遂げようとする心を奪い取ってしまうのだから。
きっとソラチも同じ考えで、干渉を最小限にしようと考えているに違いない。
「この晟生を仲間のところまで送った後だが、俺も向こうでやる事がある。忙しくなるんで、しばらくは来られないかもしれん。だけどな、その仕事が片付けばきっと地方の暮らしぶりも良くなるはずだ」
「そうなのか?」
「ああ、間違いなくな。ちゃんと県とかの支援も受けられるようになるからな、村人を売る必要もなくなる。だから、それまで安全に気を付けておくんだぞ」
「よし分かった」
カガセは力強く頷き、晟生とソラチにお代わりの確認をする。
それはまるで、かつての母親と同じだ。どれだけ食べても食べさせたがり、食べろ食べろとうるさかったのだから。
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