第98話 失せ物を嘆く人、探す人、待つ人
「晟生が失踪したもんで、もうニャーンにもする気が起きないのニャ。これは別に、あちしがサボりたいからとかって理由じゃないのニャ。けっこうマジなのニャ、早いとこ晟生成分を補充せねばダメニャね」
格納庫で腕組みするミシェは空になったハンガーを見上げ頷いた。
そこは純白の素体コアが格納されていた場所だ。しかし今は、その搭乗者と共に姿を消している。
「いつ戻ってくるかも分からニャい空っぽのハンガー、まるでぽっかり空いた、あちしのハートのようなのニャ。と、いうかニャー。いい加減、
「ぼく虚しい……世界の全てが灰色……もう動きたくない……ぼく晟生が帰るまでここに居る……」
「気持ちは分かるニャけど、そうは言っても仕方ニャかろうに」
「はぁ……息を吸うのも面倒って気持ち、理解できる……」
床に座り込んだままの初乃は抱えた膝に顎を載せ、ほとんど虚脱状態。ショートの黒髪も今はクタッとして力がない。普段の元気良さなどは、魂が抜けたかというぐらい消え失せてしまっている。
「まーったく、ニャにを言っとるか」
ミシェは両手を腰にあて、尻尾をブンブン振り、トリィワクスの状況に思いをやった。
初乃と同様の状況は他にも多数見られ、実際に強襲揚陸艦トリィワクス内部は暗澹たる状況となっている。それは結構深刻な状態で、ボンヤリが原因の細かなミスが頻発し、物憂げな溜息ばかりがこだま、誰の動作も鈍く遅延しているのだ。
そして深刻な者もいる。
たとえば、そこで酒瓶を抱え座り込んでいる
「ほれ、彩葉もお酒は止めるのニャ」
「いいの、飲むと晟生くんに会える。ほら、そこに晟生くんが見える」
「んっ? ただの壁しかニャいけど。おみゃーは、ニャーにを言っとるニャね」
「ちょっと黙って、晟生くんの声が聞こえない。晟生くん晟生くん晟生くん、会いに来てくれたんだ」
「カウンセラーッ!」
ミシェは両手をメガホンにして大声で叫んだ。
その声は格納庫に大きく響き渡るが、しかし何の反応もない。
整備班のクルーたちはそこに居る。けれど、全員がぐったり床に座り込み気怠げでやる気の失せた状態だ。スパナを無意味に回転させる者がいれば、手にしたペンチを開閉させ続ける者もいる。班長のリーヌなどは電子ビーム溶接のトーチを手に、床に”の”の字を刻み込んでいた。
つい昨日まで笑顔の絶えない場所だったと到底思えぬ惨憺たる状況だ。
「しっかりするのニャ! これじゃ駄目ニャ!」
だが反応を示す者はないない。
「そりゃあちしだって、あちしだってニャアアアンッ!」
ついにはミシェがニャアニャア泣きだし、初乃はシクシク、彩葉はポロポロと連鎖的に泣きだした。かくして格納庫の中は、どうにも手の付けられない暗澹たる状況になっている。
◆◆◆
「――と言った感じですね。艦内の士気は、もはやどん底に近いです」
沖津副長の報告を聞くと、和華代は艦長席から半分ほどずり落ち艦橋の天井を見上げた。完全に呆れきっている。
「まあ気持ちは分からんでもないがね……結局、機械だのAIだのを導入しようと最後に動くのは人間ってもんだからね。まあ仕方ないっちゃ仕方ない」
「ちなみに、艦内の士気を分析してみました」
「ほう?」
「空知晟生が現れる前のトリィワクスの士気指数を100とすれば、加入直後はそれが150にまで上昇。その後は上昇下降を繰り返しつつ、最終的には200前後で推移しております」
「まあね、どの子も張り切ってたからね」
「そして彼が姿を消した現在、士気は30程度といったところでしょうか」
「確かにそんなもんだね」
和華代は艦橋クルーを眺めやった。ここらはまだマシではあるが、グデッと気が抜けた雰囲気が漂っているのは間違いない。ついでに――ちらりと副長である沖津の顔を見やった。
こちらの表情と態度は、常と全く変わっていないように見えている。
しかし、こうしてわざわざ士気を数値化するところを見ると、平静でない事は間違いない。気落ちしている者たちとは別方向で、何かしておらねば落ち着かないという事なのだろう。
先程の士気指数は、沖津の主観が大きく反映されているもしれない。
「どれだけ世代が変わろうとね、人間ってもんは変わらんものだね」
和華代は自らの若い頃に思いを馳せた。
好きな相手の側に居れば自然と気力が満ち、その姿を探して目で追ってしまう。そして、少しでも会えなければ苦しくなったものだ。まして相手が自分の前から姿を消せば、世界の全てが闇の帳に覆われた気分になった。
このトリィワクスのメンバーは異性慣れしていない者たちばかり。すっかり空知晟生に参ってしまっていたのは違いなく、その喪失感は計り知れないものがあるに違いなかった。
深々と息を吐くと組んだ手を頭の上に載せ、先程と同じ言葉を繰り返す。
「まあ仕方ないっちゃ仕方ない。それよかね、あの現象については分かったのかい?」
「いえ。整備班が今の状態に陥る前に聞き取りましたが、原因は不明との事です」
「そら参ったね」
晟生がアマツミカボシが飛び去った後、もちろん直ぐに引き戻そうとした。
指示を出す以前に格納庫のミシェと彩葉が後を追おうと、自分たちの素体コアに飛び込んだ。しかし、ケットシーとラミアの素体コアは全く起動しなかったのだ。さらに愛咲と初乃の場合も同様で、ヴァルキュリアとセクメトの素体コアも無反応。
今現在は正常に起動する事は確認出来ていたが、もはや姿を消した晟生を追うことは不可能となっている。
「全ての素体コアが稼働しなかった事象は由々しき事です。一度あることは二度ある。今後のためにも、徹底して調査を命じたいと思います。思いますが……」
「まあ、今の調子じゃむりだろね」
「艦の補修が出来たのが奇跡でした」
「はっはっは、こりゃ笑うしかないってもんだ。こんな事で躓くとはね」
苦笑する和華代であったが、だらしなく座っていた処を改め背筋を伸ばし視線を鋭くした。
「それで? あの小娘はどうなった」
「ウチエですか。あれは鎮静剤を打って、取調室に放り込んで取り調べ中です。その間に、彼女の自室を調べ何者かによる幾つかの指示が確認出来ました」
「ほお……」
「ただし、どこの者かは分かっておりません」
「調べるまでもないさね。商工会議所で決まりってもんさ」
コンテナを紛失させ、その責任を取らせる形で商工会議所の企みにのせようとしたのだろう。だが、それを上手く回収されてしまった。だから急遽理由をつけるため、発注ミス扱いにしたに違いない。
そんな和華代の推論に沖津は頷いた。
「少々行き当たりばったりな計画ですが、確かに物事とはそういうものですね」
「指示のデータがあったんだろ。解析して分かった事は無いのかい?」
「それが……アナログな事に紙を使用したものですので何も分かりません」
「紙っ! そりゃまた、なんて古典的な……」
「細かく分割したそれを糸状にねじらせ、荷物の中に仕込んでいたようです。正直なところ、愛咲から可能性を指摘されるまで気付きませんでした。彼女の読む昔の物語に出て来る手法だそうです」
和華代はすっかり感心して頷いた。
「なるほどね、あの子の古本趣味が役立ったかい。それで取り調べは?」
「愛咲がやっておりますが……」
「何か問題でも?」
「はあ……」
沖津は口を濁らせ、あげくに視線まで逸らしてしまった。
「ええまあ、普段と人が違って恐ろしく冷酷です。正直言って同席して恐かったです。何らかの情報は引き出せるのは間違いないでしょうが、とにかく普通ではありません」
「そりゃまあね。晟生を殺そうとした上に、そのせいで姿を消しちまったんだ……あの子の母親もね普段は大人しく物静かだったがね、本気で怒ると静かに敵を殲滅したもんだよ。血筋だねぇ」
懐かしげな顔をした和華代は艦長席を立った。
「さてと、いい加減に何とかするかね」
老婆は通信設備に歩み寄ると艦内放送のマイクを手に取った。そして凄味のある顔で笑いながら、放送を入れる。
「全員しっかりと聞きな。晟生がいなくなったのは事実だ、でもありゃ必ず戻ってくる。ここが、あいつの家なのは間違いないんだからね。あいつが帰って来た時、しっかり歓迎せにゃならん。それまで、この家をしっかりと守らないでどうすんだい? 分かったら、とっとと気合いを入れな。戻って来た時に、がっかりされたくないだろ」
その言葉は艦内に響き渡る。
反応が直ぐに分かるのは艦橋だけだが、それでもクルーの目に力が宿るのが和華代には分かった。放送を終わらせマイクを置くと、再び艦長席に戻りどっかりと座り直した。
「お疲れ様です」
「とりあえず商工会議所とは距離を置く。取り調べの結果次第では、敵対しても構わん。いや、もう腹をくくってやろうか」
「やりますか?」
「商工会は旧体制側に荷担してっからね、こうなったらクーデター側に付いてやろうじゃないか。第八警備隊と、それから靄之内にも連絡をとりな!」
威勢の良い声に沖津は力強く肯き、他のクルーたちも素早く活動を開始しだす。モニターに映された格納庫でも、忙しく動きだす様子が確認出来ていた。
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