第96話 可哀想に潜むもの

 晟生は沖津に連れられ艦橋を出た。

 白に塗られた艦内の通路を進み、金属製扉や隔壁部を通り過ぎる。

 人の気配のない通路を進む二人だが、拘束という事でしっかりと腕を組み並んで歩く。トリィワクスの制服でもスラックスを着用した沖津、白小袖に赤のミニスカートの晟生。

 何も知らない者であれば、両者の性別を正確に当てることは出来ないだろう。

「空知晟生、君は本当に愚かだ」

 沖津はキビキビした足取りと同じような口調で言った。

 一応歩調は合わせているようだが、それでも軽く引っ張るぐらいの勢いがある。

「どうしてあんな事をしたか理解に苦しむ、せめて相談なりすれば良かったものを。艦長が怒るのも当然の事だ」

 しかし晟生は反応しない。

 どこかぼんやりと、完全に自分の思考に閉じこもっている。

「誤解してはいけないが、艦長は君を本気で責めているわけではない。あの人は相手を思って怒ることが出来る方なんだ。もし本気で責めているなら、君を連れて行く先は部屋ではなく艦の乗降口だった筈だ。それは間違いない」

 沖津の声には少しだけ優しさが含まれている。

 最初の頃は化粧っ気も無く、表情も険しかなかったが、今では薄く化粧をして表情に柔和さがある。その理由は晟生を拘束する手を見れば分かるだろう。

 掴むよりは抱きしめるような雰囲気があるのだから。

「しばらく部屋で大人しく過ごすといい。折を見て艦内を自由に動けるように、私から艦長に進言しておこう。空知晟生、君は籠の中の鳥でいるより好きに動いているほうが、その……魅力的だ」

 沖津は照れたように言って、歩きながら天井を見上げた。入り組んだ何本もの配管に異常がないのか確認しているかのようだ。

 視線を前に戻した時も、まだ顔に赤さがあったりする。しかも何度か咳払いをしているが、流石にこれを風邪と思う者はいないだろう。

 ただしそれを見ていればで、そして晟生は見ていない。

「うん、まあそれはそれとして。しばらくは部屋の中だ。それでは身体も鈍ってしまうだろう、一日に一回はこうして私が付き添って艦内を歩こう。なんなら午前午後の二回でも……勘違いするなよ、君の管理は副長である私の役割だからだ」

 沖津のそれは完全に独り言だ。

 なぜなら晟生は全く聞いておらず、心ここにあらずの状態だった。


 思い出されるのはアマツミカボシの黄金色の瞳、問われた言葉。

 あれは間違いなくタイニィのソラチ、今の姿になる前の自分と瓜二つの男の声だった。自分の子孫だと結論づけたはずの相手が晟生と呼びかけてきた。

 その意味するところは――この姿を知った上で、それが晟生だと知っている事だ。

 もはや偶然とか子孫とかいった関係では無い。

 晟生がこの姿になって二百年以上の時を越えた理由を知っている。

 生物兵器の白面にセオと呼ばれた事もある。

 海棲生物のケーフもこちらを知っていた。

 自分自身の知らないところで自分の知らない事を他の者だけが知って、それが窺えるのだが教えてくれない。卑近な例で言えば、自分だけが内緒にされ仲間はずれにされるイジメのようなものだ。想像以上のストレスで悶々として苛々する。

 そんな考えと同時並行で、あのソラチに会うにはどうすればいいのかを考えている。

 二つの思考が入り乱れた惑乱状態。

 しかも気持ちが急いて落ち着かず、あちらを考えこちらを考え集中出来ない。それが凄く気持ち悪く気分が悪い。心の持ちようという意味でも、体調という意味でも気分が悪かった。

 だから晟生は身体の動きから思考を遊離させ、沖津副長に腕を引かれるがまま歩いている。そのままであったなら、きっと何をされても無抵抗で受け入れていただろう。

 しかし――。

「酷いです!」

 甲高い声が晟生の思考を邪魔し現実に引き戻した。

 その声を発したのは一人の女の子で、前に立ちはだかり沖津を睨んでいるではないか。どこか見覚えがあると思い改めて見やれば、女の子と呼ぶには少し歳が行っていると認識した。

 何にせよ、誰だか思い出せもしない。

「空知さんが可哀想なんです!」

「君は確か……営繕担当のウチエだったな。何が酷くて可哀想なんだ」

「空知さんを閉じ込めてしまうと聞きました。そんなの酷いと思います、空知さんが可哀想なんです!」

「これは艦長の決定だが、彼に対する罰でもある」

 沖津は相手にせず通り抜けかけたが、ウチエは再び前に回り込み両手を広げた。

「何のつもりだ?」

「だから空知さんが可哀想なんです。止めてあげて下さい」

「……話にならんな。君がここでどれだけ騒ごうと、艦長決定は覆らない。私はそれを遂行する義務がある。無意味だ、退きなさい」

「嫌です。だって閉じ込めるなんて、空知さんが可哀想です」

 全く話にならず、腕を掴む力からも沖津が苛立った事が分かる。

 だが――晟生も、このウチエという女に苛立ちを覚えていた。

 可哀想という言葉は、上から下への憐れみでなければ使えない。何気に使っているのだろうが、その言葉を投げかけられる度に晟生は憐れまれる立場へと落とし込まれているのだ。

 しかも、このウチエは表面上だけしか見ておらず何も考えていない。

 本気で考え本気で晟生にぶつかってくれた和華代や沖津に比べれば、何と浅はかで無責任だろうか。

 こいつは嫌いだと晟生は思った。

「空知さん、待ってて私が直ぐに助けてあげるから」

「黙れ、口を閉ざせ。勝手に人を憐れんで来るな」

 晟生は鋭い声で言って、鋭い目で睨んだ。 

「そんなの酷い、私は空知さんの事を思ってあげてるのに」

「お前なんて知らない、何なんだ」

「なんで、なんで酷い事を言うの!? こんなにも好きなのに……」

「だから、お前なんて知らない。好きだから何なんだ。勝手に人を憐れんで、勝手に決め付けるな――行きましょう、沖津副長」

 晟生は沖津の腕を掴み前に進んだ。

 勢いよく突き進み、突き飛ばすように軽く押し退けるとウチエはショックを受けたように蹌踉めき、今度は邪魔をしなかった。自分が拒否され相手にされていないと分かったのだろう、極限まで目を見開き顔色は真っ青だ。それでも何か縋るように見つめてくるのだが、晟生は相手にせず視線を逸らした。

 そのまま沖津に寄り添って通路を歩いて行く。

「空知晟生、君もなかなかきつい事を言う。勝手に好きになるなか……きついな」

「別にきつくないですよ。好きなら好きでいいですよ、ちゃんと相手の事を考えてくれるのなか。上から目線で押し付けて束縛されるのが嫌なだけです」

「なるほど勉強になる、私もその……留意しておくとしよう」

 小さく呟き何度か頷く沖津と共に歩いて行く。

 今の沖津はそっと晟生の腕に触れるだけで、拘束する様子は少しもない。むしろ晟生が先導し連れ歩く状態だ。

「しばらく部屋を出られませんか」

「艦長の様子からすると無理だろうな」

「覚悟はしてましたけどね。そっか、そうなると故郷に行くのは無理か……」

「空知晟生、君の故郷はこの近くなのか?」

「ええ、それは――」

 足音が聞こえ、そこに尋常ならざる気配を感じ振り向こうとする。

「危ない、空知晟生!」

 先に振り向いた沖津が晟生を突き飛ばした。同時に腕に熱を感じる。だが、それは熱では無い。激しい痛みを熱として知覚しただけのものだ。

「ウチエ、お前はなんのつもりだ!」

「何が知らないだ! この恩知らずっ!!」

「こいつ、凄い力だ」

 もみ合って争う二人だが、ウチエは常軌を逸した様子で髪を振り乱し沖津に食い付こうとさえしている。組み合いながら位置が入れ替わっては争う。

 晟生は傷口を手で押さえ壁にもたれ、刃物を持つウチエにそれを抑える沖津を見た。しかし沖津は凄かった。

 なんという冷静で的確な判断力なのか、素早くウチエの動きを見極めると足を引っ掛け倒し床に押し付け抑え込んでしまう。

 ウチエは床から晟生を睨みあげ、吼えるように叫んだ。

「お前が今いるのは私のお陰だ! 私が期待してやったのに、お前は私を裏切ったっ!」

「何を?」

「私がコンテナを解放してやったからお前は外に出られた! だからお前は私のお陰でそこにいる! だから私を見なきゃいけないのに! なのにどうして私を見ないの、あいつらばっかり構って私を見ないなんて! 許さない、後悔するな! 思い知らせてやる! 今謝るなら許してやるっ! お前は私のものだあっ! 私のものでないなら死んでしまええええっ!!」

 錯乱したウチエは支離滅裂に叫び、獣のように暴れる。

 沖津が力を込め抑え込もうとするが、今にも解き放たれそうだ。得体の知れない恐怖を感じた晟生は壁を背で拭くように、じりじりと移動する。

 訳が分からなかった。

 何より、目の前の常軌を逸した人間が恐かった。

「……なに、この振動は?」

 晟生は異常を感じた。

 それは、もたれ掛かる壁の向こうから伝わってくる激しい振動だ。そちらはトリィワクスの外装と強固な装甲。つまり、そちらは外になるのだ。

 やがて振動が最高潮に達し、途切れた瞬間に轟音と共に破壊された。そして何か真っ白なものが姿を現した。

 見慣れた純白のそれは、アマツミカボシの素体コアだ。

「なんで、どうなっている?」

 晟生以外に誰も着装できないそれが動いている。

 晟生の呟きに応えるように、アマツミカボシの素体コアは艦内に身を乗り出し誘うように装甲を展開させた。もちろん誰も着装などしていない事はよくわかった、その中は空っぽだ。

「……行けと言うのか?」

 何故だか、唐突に思った――故郷に行かなければならないと。そして、それをこの素体コアもそれを勧め誘っているのだと。

 背後で沖津が制止する声も聞こえるのだが、晟生は誘われるように素体コアの内部に入り込んだ。

 自動で手足が固定され胸面装甲が閉じ全身が一体化していく。

 沖津に視線を向けると、信じられないように見つめているではないか。その気持ちは良く分かる。なぜなら、晟生も信じられないのだから。

 晟生は小さく頷き床を大きく蹴ると、トリィワクス内部から離脱。そのまま飛翔。後には呆然とする沖津とウチエが残された。

 そして、ようやく他のクルーが駆け付けつつてきた。

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