第88話 足元を見てくる相手への対処法

 オウス商店街は不思議な場所と化していた。

 水没したビルに樹木が生え、壁面は大量の蔦が這う。もちろんそこに人々が暮らし生活を営み、様々な看板が猥雑に乱立したカオスな様相。そんなビルが幾つも並び、行き渡されるたケーブルには色とりどりの布や紐が吊るされている。

 下では舟が進み、船着き場で乗降のある様子はまるでバス停だ。

 上ではゴンドラが行き交い、何とも賑やかしい。

 そんな街は湿気のある空気が漂い、濡れたコンクリート臭に香辛料の香りが混じる。さらに香水、酒、機械油、タールなどなど、ニオイからしてごちゃごちゃしていた。

「なんか凄い」

「まーね。遺跡探索の連中が、あちこちからいろいろ持って来るでしょ。ここって、かなりの繁栄ぶりなの。ほら、こっち行くよ」

 リーヌは慣れた様子で歩き、晟生に手を貸し先導していく。

 周囲には大勢が行き交い、十数人のトリィワクスメンバーは小さくはないが大きくもない集団だ。連れだって歩けば、もう街の中の雑踏に紛れている。

「だからね、小売りからオークションまでいろいろ店が多いの。大抵の素材は手に入るけど、下手なところに行くと偽物を掴まされるわけ」

「偽物掴まされたらどうするの?」

「どうしようもないね。文句言いに行っても、同じ場所で別の商売人が別の品を売ってるかな。だからよっぽど注意しないとダメ」

「今回の買い物は大丈夫なわけ?」

「うん、馴染みのジャンク屋に行くつもりだからね。でも馴染みと言っても信用できるわけじゃないけど。一応は県から許可が出てる店だからねー、偽物を売りつけたりはしないはず」

 ビル沿いに後付けされた足場を進んで行く。

 木材や何かの鋼材で組まれた足場は踏めば軋みをたて、微妙な不安がある。それでも大勢が歩く重量をしっかり支えていた。


 ややあって目的地に到着。

 入り口の看板には産業廃棄物処理業アイチ県許可事業所とある。傍らには資材の山があり、そちらにはキロ単価で一円といった看板があった。ただし、どう見てもゴミの山。好奇心旺盛な初乃が近づきかけ、愛咲に捕まり制止されている。

「ここがそうなんだ」

「見ての通りね、ジャンク屋。ここなら必要な資材があるはずかな」

「大丈夫なの?」

 晟生は不安を覚えた。資材と言えばホームセンターで売っている程度のものしか知らないが、少なくとも強襲揚陸艦の補修に使える資材がジャンクで良いとは思えないのだ。

「大丈夫大丈夫、ちゃんとした資材も売ってるから」

「なるほど。リーヌなら絶対信用できるから、間違いないか」

「そっ、そんな事ないから」

 相変わらず晟生は自分の発言の及ぼす効果を少しも気にしていない。

 信頼を寄せられたリーヌは顔を真っ赤にしながら慌てふためき、両手を何度も振りだした。

「あっ、もちろん資材はちゃんとしてるよ。だけど、そんな事ないから。つまりね何か言いたいかっていうと、そんな事ないって事だから。とにかくとにかく……とにかくね、ここで待っててよ。中で確認してくるから」

 喋りながら何とか落ち着きを取り戻すと、リーヌは小走りでジャンク屋に向かった。整備班のメンバーは含み笑いをしながら後に続く。

 後には晟生と愛咲と初乃が残された。

「とりあえず待っていようか」

 通路の端に三人揃って腰掛けオウスの街を眺める。

 細い水路の両脇に所狭しと店が軒を連ね、様々な品を売っている。晟生の記憶にある光景とは随分様変わり……していないかもしれない。

 よく考えると、元から結構猥雑な街だった。

 足下の水面を見れば思ったよりも澄んでいる。深さもさほどではなく、簡単に底が見える程度。小さな魚の姿が確認できるが、双頭魚や長い尾びれのある魚、毒々しい色の魚ばかり。あまり食材向きでない事は間違いないだろう。

 ぼんやり眺める街の姿。

 荒野だらけの世界に、こんな人の営みが残っているとは最初は少しも思わなかったが、どうやら人間というものは、随分としぶといようだ。

 ポーという音をさせながら、小舟が通過していく。後部には盛んに蒸気をあげる箱があるのだが、どうやら蒸し物を売る移動式屋台らしい。

「二人とも食べる?」

 思わず船を呼び止めようとした晟生だったが、両方から止められてしまう。

「晟生ってば、ダメだよ。ああいう屋台の食事ってさ危険なんだよ」

「食材に何が使われているか分かりませんし、そもそも食材を使ってないかもしれません。だから屋台で食べ物を買うなんてダメです」

 通り過ぎていく船を見ながら晟生は座り直した。

「でも、ギンザの街に行ったとき。初乃は屋台で買ってた覚えがあるけど」

「あれはさ、地元の人が利用してるからだよ。それにさ、前から確認していたし。でもさ、オウスは屋台の入れ替わりが激しいでしょ。だからダメだよ」

「…………」

 ここは晟生がかつて暮らした時代ではないのだ。賞味期限や消費期限など存在せず、言われたとおり食材に対する信頼も皆無。それらを取り締まり管理してくれる組織もない。

 晟生はここが自分の知らない街だと認識を改めた。


◆◆◆


「リーヌたち、何だか遅いね。少し様子を見に行こうか」

 思ったよりも時間が経っており、初乃などは晟生に頭をあずけウトウトしているぐらいだ。それを起こすと立ち上がり、三人揃って伸びをしながらジャンク屋に向かった。

 建物内に入ると、言い争う声が聞こえてきた。

 リーヌが一人の中年女性に指を突きつけ、何か強い口調で言っている。その相手は薄笑いを浮かべ、のらりくらりと言葉を交わしている状況であった。

「どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないよ。ちょっと高いぐらいなら仕方ないけど、こっちの足元を見て三倍だよ。三倍の値段をふっかけてきてんの。ありえないでしょ」

 リーヌが不機嫌そうに説明すると、相手のジャンク屋は鼻で笑った。

「はっ、文句があるなら買わなくて結構だね」

「このっ何て奴!」

「残念だね、もし買ってくれたら分子結合タイプの融着材を付けてやるのに」

「ああっ、それ欲しい。凄く欲しい!」

 悔しそうなリーヌの様子に、ジャンク屋は高笑いまでして煽っている。

 晟生は整備班の子に近づくと、そっと尋ねてみた。

「融着材って、接着剤?」

「は、はい。そうです」

 耳元で囁かれた整備班の子は顔を真っ赤にしつつ、緊張気味に答えてくれる。

「あれがあれば、明後日までに作業が完了できます。でも、凄く希少で珍しくってなかなか手に入らないんです」

「ふーん。教えてくれて、ありがとね」

「い、いいえそんなっ。そんな大した事でもなく」

 もじもじとする子の肩をポンッと叩き晟生は前に出ていく。後ろで人が倒れるような音がしたが、そのままリーヌの隣りに並ぶ。

 訝しげなジャンク屋の女に対し、晟生は芝居がかった様子で手を広げてみせた。

「ねえ、いくら融着材付きでも相場の三倍ってのは酷くない?」

「いきなり誰だ、あんたは」

「トリィワクスのメンバーだけどね。ちょっと何とかならないかな?」

「だめだね、安くなんて出来ない。他に行っても同じだろうね、なにせあのヒサモリ運送会社の艦が損傷したって情報は出回ってるからね」

 その出回っているという話が本当かどうかは分からない。

 だが、ここで別の店に行けば目の前のジャンク屋が情報を流すことは間違いなかった。相手は海千山千の商売人、その程度の事はやってみせるだろう。そうなれば下手すれば価格が高騰し補修用材が手に入らない可能性も充分にある。

 晟生は和やかに頷いてみせた。

「では、当社があなたの店で購入するメリットはどこにありますか?」

 思わぬ返しにジャンク屋は戸惑った。 

「は? 何言ってんだ」

「どこ行っても同じなら、ここで購入するメリットぐらい教えて欲しいな」

「面白い奴だね。さっきの融着材の他に……艦まで届けるぐらいしてやろかな」

「なるほどなるほど。でも届けると言っても、いつまでに?」

「今日の夕方にだって届けてやるさ。ただし、この値段で買ってくれるのならね」

 嫌らしく笑う相手に対し晟生は優しく笑った。

「じゃあ買った」

「だから三倍なんだよ、いいのかい?」

「いいよ。振り込み口座を教えて、モドコ銀行は使えるよね」

「だから三倍……」

「はいはい買うと言ってるでしょうに。でも買うからには約束は守って貰うからね、融着材と運搬の件はよろしく」

「まあ、それで払えるならね」

 もう結論の分かっているトリィワクスの面々はニヤニヤする。もちろん全員知っているのだ、晟生が凄い資産を有しているという事を。知らぬはジャンク屋の女ばかりだ。

「はい、振込完了。端末を確認してくれる?」

 戸惑いながら確認するジャンク屋の女だが、見る間に目が見開かれていく。

「んなぁっ、本当に振り込まれてる! 融着材はともかく、今日の夕方までの運搬なんて――」

「無理なんて言わないでね。言った以上は実行して貰わないと、うちのメンバーは気が荒いよ」

 晟生が指を鳴らしてみせれば、ノリノリの皆が音をたて銃器を構えてみせた。

「くっ! やってやんよ、今日の夕方までに運んでやる!」

 ジャンク屋の女は半泣き状態で走りだし、自分の部下を呼び集め大慌てとなった。笑顔で振り向く晟生は、リーヌを始めとした全員とハイタッチ。

 スカッとした気分を分かち合った。

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