第86話 過ちは繰り返されている

「ここは……トリィワクスか」

 ベッドの上で目を覚ました晟生は軽く視線を動かし、すっかり馴染んだ自分の部屋と確認した。換気の音が静かに響き、どうやら一人でいるらしい。

 枕元の台にはいつでも水が飲めるようにと、ポットとコップが置かれている。ここに運んでくれた誰かが親切にも用意してくれたのだろう。ついでに言えば、着ている服も楽なものに変わっている。

 だが、混乱する記憶を呼び覚ます晟生は何も気付いてない。

 仰向けのまま腕組みしながら考え込む。

「確かアツタ神宮の前で海を見て……」

 初乃と一緒に参道を進み何かのトラブルがあって確認しようとして彩葉に抱きかかえられ、押しつけられた胸は凄く柔らかくて張りがあって最初は天国で、しかし次第に息が出来なくなり……そこで意識が飛んでいる。

 そもそも何を確認しようとしたかと言えば――。

「そうだ! タイニィのソラチ、あいつはっ!」

 思わず跳ね起き辺りを見回した。

 それは条件反射的な仕草でしかない。トリィワクスの艦内、しかも晟生の自室にソラチという男がいるはずない事は当然なのだから。

 もちろん室内には他に誰もおらず、晟生は額に手をあて項垂れた。

 あれは間違いなく自分だった……と思いたいが、あいにくとソラチの顔を上手く思い浮かべられない。情報としてソラチを自分だと認識した事のみ思い出される。周りに誰がいて、どんな状況でどうなっていたのか。全ては映像ではなく情報としてのみ思い出される。

 それがもどかしい。

「ああ、もうっ!」

 晟生は胡座をかくと枕を膝の上に置き、それを両手で叩いた。

 見た目と仕草は完全に女の子のそれだが、当人としてはかなり切実な悩みに基づく苛立ちの発露である。ぽこすか叩いて暴れた後に深呼吸をして気を落ち着けていく。

「よしクールになってみよう。つまりKoolじゃなくてCoolに」

 顔は思い出せなかったとして、認識した記憶はある。

 それをひとつずつ検証していけば充分ではないか。

「まずあれは本当に自分だと感じたか? うん、それは感じた。感じたけど、少し年配に感じているよね。という事は完全に同じではないという事で、別人という可能性は……あるかも」

 よくよく考えれば、かつてと今では二百年ほどの差がある。

「ソラチという名前に釣られて、あれ相手は名乗ったっけ? 誰かが言っただけ? まぁいいか」

 彩葉の胸の中で死にかけたせいか記憶が曖昧だ。

 しかし常識的に考えれば、突然会った相手を自分と思う方がどうかしてないだろうか。街中で自分に似た人間を見かけたとすれば、良く似た人がいると思う程度だ。

 そもそも人は鏡で見慣れた左右逆の顔を自分と認識している。そのため、本来の写真で見た自分に対し違和感を覚えるものだ。つまり、自分と全く同じ顔をした相手を見たところで違和感が先に立つはずである。

「艦長から聞いたソラチという名前が原因で、過剰反応したって事かな」

 考えをまとめていくと、急に恥ずかしくなってくる。

 これでは勝手に自分こそが渦中の――何の渦中かわからぬが――人物と思い込み騒いでしまった子供のようではないか。つまり、自分こそが特別な存在だと根拠なく思い込み、特別な運命を背負っていると信じてしまう思春期妄想だ。

 額に手をあて苦笑いするしかない。

「冷静に考えれば、うちの家系が生き延びてたって事か」

 もちろん元の時代の晟生は独身彼女無し。

 子孫を残す行為はもとより、その相手になってくれる女性も居なかった。しかし弟がいた。そして小憎たらしい事に、あちらは先に結婚している。

 そこから続き、大戦や混乱期を一族が生き延びた事は充分にありうる。もちろん二百年後にそっくりな係累が誕生するかどうかは分からない。だが、ないとは言い切れない。

 むしろ、もう一人の自分が突然現れるよりは、よっぽど現実的だろう。

「そうか頑張っているのか」

 何となく感慨深いものを覚え、何度か頷いてしまう。

 同時に気分はしんみり寂しくなって、両親や弟の顔を思い出そうとした。だが、やっぱり上手くイメージができなく寂しさが増してしまう。

 あの和華代が部屋に沢山の写真を飾っている理由を改めて認識した。

「……トリィワクスの写真も撮っておこうかな」

 今の自分にとって大切な、絶対に忘れたくない面々を思いやり晟生は小さく呟いた。大きく伸びをしながらベッドを降り着替えに手を伸ばし――。

「誰が着替えさせた?」

 ようやくそれに気付いた。


◆◆◆


 トリィワクスの甲板にこっそり出た。

 艦橋には誰かが詰め、出入りなどは監視されているが気にはしない。艦内の空調設備は快適な空気を送り出すが、今はそれよりも外の空気が吸いたくなったのだ。

 素体コアで着地した時は感じなかったが、甲板の表面にはザラザラと滑り止めの感触があった。

「ここ、本当は市街のはずなのに……」

 安全柵のようなものは無いため、あまり端には近寄らないまま景色を眺める。見下ろす位置に海があり、日の出を背に眺めるそこには幾つものビルが生えていた。

 もちろん生えているとは比喩的表現。

 半分折れや傾いた状態で、水没した都市のビルの残骸が残されているのだ。

「あっ逞しい」

 朝焼けの景色の中で、木の小舟がビルの間を何艘も行き交っている。さらには釣り糸を垂れ、もしかせずとも朝食の確保かもしれない。どうやら人は、こんな状況でも適応しているようだ。

「んっ……ふう」

 磯の香りがする空気を深呼吸してみれば、身体いっぱいに清涼なものが入り込み、清々しい気持ちにしてくれる。やはり快適に調整された空気とは気分が違う。

「ふう、空気が爽やかだ」

「そうだニャ。なんかこう海で魚で美味しい気分になるのニャ」

 いきなり声を掛けられた。

「うわっ!」

「な、なんニャ。急に声をあげないので欲しいニャ!」

「驚かされたのはコッチだよ」

 晟生は文句を言いながら振り向く。

 もちろんそこには、好奇心旺盛で悪戯っぽい顔をしたミシェがいた。

 変異の象徴であるネコ耳と尻尾も合わせ、本当にネコのような雰囲気がある。そして普段の制服姿ではなく、なぜか大きめシャツ一枚といった姿だ。胸元が開き気味で袖が長すぎ、明らかにサイズが合っていない。

「その格好はどうしたわけ?」

「どうニャ、エロっぽいのニャ」

 袖あまり状態の腕を頭にやりウィンクまでしている。なにかニャフンニャフーンと怪しげな声まで出し、クネクネしているではないか。

 発情期かと尋ねたくなる気持ちは、ひとまず堪えておく。

「あーっと、イロっぽいって言いたいわけ? うーん、それはどう言えばいいかな……」

「はっきり言ってみるのニャ」

「つまりね、狙いすぎと言うのかなあ。いかにも可愛いでしょとアピールされると退いちゃう部分って言うのか。ほら、戦闘でもあるでしょ。あからさまな隙をみせられると逆に警戒する感じが。でもまあ、ミシェが可愛くないって訳じゃないけど」

「そ、そんニャ……今月号の、何気に男を引き寄せるエロカワコーデにゃのに」

 ミシェは膝からガックリ崩れ落ちた。

 狙ってのことではないだろうが、それで上から覗き込む状態になる。どうやら着やせするタイプだとわかるが、紳士な晟生は気恥ずかしげに目を逸らした。

 ニャアニャアと小声で嘆くミシェは袖をまくり、シャツの裾を縛って絞り服装を整えた。スッキリした格好になり、少なくとも晟生にはこの方が好感が持てた。

「で、ミシェは何の用なわけ?」

 尋ねながら既に晟生の目線はミシェの背後に向いていた。

 探照灯の向こうに誰かが隠れているが、隠れきれていない。背の高さと褐色の肌と銀色の髪と、もはや誰だかバレバレだ。

 だから、それとなく水を向け話しやすいようにしているのである。

「えーとニャ、なんちゅうのかニャ。あちしの大事な相棒が晟生に迷惑をかけて……ウーニャー、まどろっこしいのは無しニャ、彩葉いろはが晟生に謝りたいって事なのニャ。ほれ出てくるニャ」

 ミシェが言うものの、探照灯の陰から出てくる気配はない。

「あーもう、早くするのニャ」

「えっと、無理に押さないでとお願いします」

「ほれ、ちゃんと言うのニャ」

 後ろに回り込んだミシェは彩葉を押し出した。

「……でも」

「大丈夫ニャ、晟生は怒らないニャ」

「うっ、分かってる。けど……」

「ニャー! 彩葉の意気地ニャしめ、晟生は死にかけたぐらいで怒らないのニャ! とっとと謝って、すっきりするのニャ!」

 つまり晟生を気絶させた事を謝りたいようだ。

 彩葉の顔は初めて見るほど気落ちしている。目元が赤いのは泣いていたらしい。

「えっと、はい……彩葉さんのした事は悪かったです。ごめんなさいと謝ります」

「ここは、あちしの顔に免じて許してやってくれニャ」

 さも偉そうなミシェに、項垂れる彩葉。

 外の空気を吸っただけではなく、こうして会話してやり取りをしていると晟生の悶々としていた気分もスッキリしていた。やはり悩み事は一人でするものではないだろう。

「大丈夫だよ気にしてない」

「それ本当に本当ニャ? 実は怒ってるとかないニャ?」

「ないない」

「ほーれ見た事かニャ。晟生がこう言ってるのニャ、あんな奴の言う事とか気にするニャ」

「あんな奴?」

 彩葉に対し言われた言葉を聞きとがめ、晟生は眉を寄せた。

「それがニャ、営繕担当のすんごく性格の悪い奴が彩葉の責任を追及して煩いのニャ。常識がどうとか、配慮がどうとか。あいつ自分はニャにもしないのに、口だけ騒々しいのニャ」

「あー、いるねそういう人。自分の言動が周りからどう思われてるのか、少しも気付かないタイプ。でもまあ、気にしないでいいよ。彩葉にだったら、別に何されても構わないから」

 晟生は優しく笑った。常に守ってくれて気にしてくれて、実際に行動してくれる女性をどうして嫌いになるだろうか。ただし、相変わらず自分の発言の効果を理解しておらず――彩葉の様子がおかしい。

 感極まったように胸の前で手を合わせ、じりっじりっと近寄ってくる。それはまるで、子猫を前にした女の子のようだ。

「おっと、朝ご飯に行かなきゃ」

 晟生は艦橋の壁を背に早足で逃げようとした。

 しかし彩葉からは逃げられない。

 壁にドンッと手が突かれ進路が阻まれ、反対にも同じように手が突かれる。

「な、なんでございましょうか?」

「あのっ、晟生くん……彩葉さんは……」

 彩葉の顔は興奮気味に赤らみ息も荒い。背の高い彼女に迫られると、その胸に迫られているかのようだ。本来なら嬉しいが、締め落とされた記憶は真新しい。

「落ち着くのニャ、彩葉。まずは物陰に引き込むニャ、あちしも交ぜるのニャ」

 ミシェが興奮気味に横で騒いでいる。

 危険を感じた晟生は膝を落とし彩葉の胸に頭をぶつけつつ腕をくぐり抜け、ミシェの腕を掴み引き寄せ反動を利用し位置を入れ替わる。それは二度はやれない見事な早業だ。

「ニャニャッ?」

「晟生くん」

「ちょっ、待っ。やめっ、ギニャアアアアッ……ぐえっ……」

 ミシェは白目を剥き、彩葉の腕の中で意識を失った。

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