第85話 験担ぎはいつの世も

「海だ……」

 呆然と呟く晟生の前には海原が広がる。

 それ自体はごく普通の光景なのだが、問題は背後にアツタ神宮がある事だろう。晟生の記憶では、この神社はもっと内陸部にあった。それこそ街の中に。

 だが今は打ち寄せる波の音か響き、潮の香が混じった風が晟生の髪を揺らす。

「えーっと同じ場所のはず……なんだけど」

 詳細に覚えているわけではないが、近辺まで鰻を食べに来た際の時間調整で何度かは訪れている。流石にその場所を見間違えるはずもなく、独特の雰囲気を間違えるはずがなかった。創祀から下手すれば二千年近くある場所なのだから二百年程度経ても健在なのだろう。

 ちなみに鰻屋の存在したはずの付近は草木に覆われ、すぐ近くで波が岩を洗っている状態だ。

「どうしたのさ、何かある?」

「えっと海がある」

「それって凄くあれだね、えーっとつまり哲学的に?」

「いや違うから」

「ふーん、そうなんだ」

 興味なさげな口ぶりの初乃は、仔猫がじゃれるように晟生の側に居る。ただし、目を輝かせこちらの様子を見ている様子は仔犬かもしれない。

「昔はこんなところには、海なんてなかったと思ってね」

「そうなんだ。でもさ、ぼくからするとこれが普通なんだけど」

 初乃は晟生の手を取ると、そのまま体重をかけながら強く引っ張った。

「早く行かないとさ、婆っちゃが怒るよ」

「えっと、うん。そうだね行こうか」

 アツタ神宮が武運の加護があるという事で、何かと戦闘事の多いトリィワクスは縁起担ぎもあって、付近に来た際は必ずお参りに来るのだという。

 もちろん周囲の陸港には同様の目的で訪れた艦が数隻並んでいる。

 その付近には土産物店や飲食店も並んでおり、それなりに繁昌している様子だ。

「あちこち艦が傷つくような大事ばっかだったからさ、お布施も弾んで念入りにお祓いしてもらうらしいよ」

「そうなんだ。まあ、何と言うか……」

「どうしたの?」

「なんでもない、気にしなくていいよ」

 科学の力で再現された神魔とは言えど、顕現させた神魔装兵を拝んだ方が御利益ありそうな気がしただけだ。何にせよ艦を浮遊させるような科学や技術が存在しようと、神仏への信仰や縁起担ぎは健在という事らしい。

 この荒廃した世界において深緑の森向かい、鳥居をくぐり参道を進む。次の鳥居の前でトリィワクスの皆に追いついた。

 しかし、晟生と初乃を待っていた様子ではない。

 どうやら何か揉め事らしかった。

「ちょいと待ちな、あたしらが先に頼んだのが後回しってのはどうしてなんだい」

 和華代は低く抑えた声だ。

 そこには凄味と迫力があり、なまじ怒鳴るだけの浅薄な怒りとは一線を画した深く静かな怒りが込められていた。後ろで聞いた晟生でさえ怯むぐらいで、面と向かって言われた社務所の事務職員は冷や汗まみれになっている。

「はい、それはですね……お祓いの内容と準備によってはですね。その何ですかね、順番が前後する場合があるわけでして。ご了承のほど、お願い申し上げます」

「きちんと時間枠を取って手続き完了してるはずだがね」

「ですから内容と準備によっては順番が前後……」

「あたしらの後に頼んだ連中も同じ内容だろ。何がどう違うのか説明してみな」

「そ、それは……内密、そうです。内密な事になりますので……」

 事務職員の汗は増す一方で、白地の衣服がじっとり濡れていく。

 和華代の迫力もあるが、背後では奉納予定だった物騒な銃器を弄りだすミシェの姿や、やはり奉納用大剣を素振りしだす彩葉の姿もある。脅しと分かっていても、威圧感は凄まじい。

 ふむ、と晟生は小さく唸る。

「順番ぐらい別にいいと思うけど」

「ダメですよ。こういうのは縁起担ぎですし、会社としての面子もありますから。ここは簡単には譲れないところですよ」

「なるほど」

 愛咲の説明に晟生は頷いた。

 かつて暮らしていた時代のような、個人の我が儘での文句などではないらしい。組織として蔑ろにされ、それで引き下がれば他の組織から舐められてしまう。そのため不満や不条理に対しては強く抗い反抗する姿勢が大事という事なのだろう。

 人間や組織における力関係の機微を考えれば、そういうものかもしれない。

「だからって脅すのはね、どうかと思うけど」

「いいえ、脅しじゃないですよ」

「え?」

「やる時はやりますから。流石に社殿には手を出しませんけど、いざとなれば社務所ぐらいは破壊しますよ。と、言いますか前に破壊してますから」

「そんな事して大丈夫?」

「大丈夫です、ちゃんと後で賠償金は払いましたから」

 そんな問題ではないと思ったが、晟生は口を慎む配慮があった。

 やはりこの荒野と化した世界では舐められたら終わりで、示威行為含みの行動をせねばならないのだろう。遺憾の意を示すだけでは生きていけないようだ。

 和華代は腕組みし苛立った様子で指先を上下させている。

 無言となっただけに恐ろしい。彼女がひと言命じれば準備万端の部下たちが即座に行動を起こすのだ。まさに嵐の前の静けさ。

「むっ?」

 そんな和華代が視線を別に向けた。

 ザクザクと玉砂利を踏みしめる音が響く。トリィワクスのメンバーと同様に、武装した女性たちの小集団がやって来る。どうやら順番が前後した相手らしい。

「おい、これはなんだ?」

 聞こえて来たのは男の声。

 女性たちが脇に退き、その間から姿を現す相手に晟生は目を見開いた。

「あっ……」

 その姿は間違いなく、今の姿になる以前の自分の姿であった。もう少し年齢を重ね、体つきを頑丈にさせ逞しくし、顔つきに鋭さを加えた自分で間違いない。

「お前っ! 何でどうして……」

 晟生は思わず飛び出そうとした。だが、何者かに引き留められてしまう。

「うん、今はダメ。危ないからね」

 彩葉だ。そのまま胸元に抱き締められ、ギュッと力を締められてしまうと身動きが出来なくなってしまう。しかも顔を押しつける状態のため、相手を見るどころではない。辛うじて声が聞こえるだけだ。

「こちらは傭兵隊タイニィで俺が代表だ」

「へえ、タイニィかい。それなら、あんたがソラチか」

 和華代の声にトリィワクスの皆がざわつく。

 ソラチという名に反応しただけなのだが、相手側は男という事で様々なトラブルに見舞われてきたのだろう。タイニィの女性たちは警戒し、それぞれの武器に手を伸ばす。

 それにトリィワクスメンバーも反応。彩葉も晟生を抱えたまま器用に片手で大剣を構えてみせた。

 辺りには今すぐにも抗争の始まりそうな雰囲気が漂い、ちょうど間に挟まれた社務所の事務職員は狼狽え、視線をキョロキョロ巡らせるが誰も気にしてもいない。

 周囲では一般の参拝者がトラブルを察知し野次馬気分で集まりだした。

 抗争が始まれば物見遊山か、もしくはどちらかに荷担して取り入るか、はたまた追い剥ぎ紛いに乱入するか。そんな狙いがあるのだろう。

「ヒサモリ運送会社の社長に、名を覚えられているとは光栄だ」

 ソラチは軽く両手を挙げながら前に出た。

「まず、こちらに争う気はない。しかし、状況が理解出来ていない。悪いが何が起きているのか教えてくれないか」

 平然とした態度に和華代は鷹揚に肯き、軽い身振りでトリィワクスのメンバーを大人しく控えさせる。この辺りのやり取りは、さすがの貫禄としか言い様が無く、他の者の出る幕などなかった。

 静まり返った中で和華代が説明し、ソラチは肯きながら話を聞く。

「なるほど……すまない、こちらに横入りする意図はなかった。謝罪しよう」

「ほう、そうなのかい。あんたの意図ではないと」

「そうだ。こちらは普通に申し込みをしただけでね。どうやら俺が男という事で、勝手に配慮されたのだろうな。つまり忖度ってやつだ」

「忖度?」

「いや何でもない、古い言葉さ。重ねて言うが、こちらにその意図はない」

 堂々としたソラチの言葉に、和華代は内心舌を巻きながら頷く。嘘を言っているか言っていないか、そんな事は関係ない。

 ここまで明確に皆の前で宣言されては疑うこと自体が出来なくなった。

「なるほどねぇ、そういう事かい」

「だがまあ、こうなっては仕方がない。我々はご祈祷を遠慮し引かせて貰おう」

 社務所の事務職員が悲鳴のような声をあげた。

「そんなっ」

「別に奉納料金を返せとは言わんさ。玉串料……この場合は初穂料になるか? なんにせよ、そのまま納めてくれて構わない。ただし、次からは男だからと余計な気を回さぬようにしてくれ。余計な特別扱いってのは、むしろ不快だ」

 言い捨てるように宣言すると、ソラチは踵を返し元来た方向へと戻って行く。

 その仕草には花があり人目を惹きつけるものがある。タイニィのメンバーは元より、周囲で事の成り行きを見守っていた参拝者たちも見とれているほどだ。

「なかなかどうして、いい男じゃないか。マズいねぇ、これはやり難いってもんだよ。さてさて、どうしてもんかね――ん?」

 ソラチを見送る和華代であったが、後ろ手起きた騒ぎに振り向いた。

「ちょっとー、彩葉ってばさ。何してんのさ!」

「うん、えっと……ごめん」

「晟生!? しっかりして晟生!」

 どうやらトリィワクス側の男は彩葉の胸の中で窒息したらしい。そして誰が人工呼吸をするかで激しい争いが起き、結果として放置されている。

「こりゃ先行きが心配になったよ」

 和華代はやれやれと小さく息を吐いた。

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