第80話 嵐の中に出会う存在は

「やったるニャ! やぁってやるニャー!」

 オカサキ市の用意した高速艇でミシェは気合いを入れ騒ぐ。もちろん素体コアを着用したままだが、隣の初乃ういのと装甲部分をぶつけあい騒々しい。

「ぼく頑張る! 褒めて撫でて甘やかしてもらう」

「かーっ、これだからお子様は駄目ニャね。あちしのような大人とは全然違うのニャ。こんな時のお願いと来たら、エロエロニャンニャンに決まってるのニャ」

「エロエロニャンニャン……」

 初乃はごくりと唾を呑んだ。素体コアを着装した足をもじもじ恥ずかしげにしつつ、指先を付き合わせていたりする。

「そ、それってさ。やっぱりアレなわけ?」

「もちろんニャ。晟生にご奉仕させてやるのニャ。うんニャ、ここはあちしが手を取り足を取り責めてやるかニャ。ふっ、大枚出して手に入れたデキる女の男の落とし方マニュアルが役に立つ日が来たのニャー!」

「……そんなの買ってたんだ」

 初乃はミシェから少し離れた。

 周囲には他艦から来た装兵乗りが多数待機しており、移動のひとときを静かに過ごしている。緊張の面持ちで静かに瞑目する者もいれば、半強制的に出動させたオカサキに対する不満で不機嫌そうな者もいる。

 速度優先の高速艇は壁の向こうから風雨の叩き付けるような音が響き、時折は底を擦るような振動が伝わってくる。そうした意味では騒々しいが、ミシェの騒ぐ声が全く聞こえない状態というわけではない。

「愛され女のキラキラコーデとか、本命女のお色気テクニックもばっちしニャ。あとそれから、本気で愛されるラブリー仕草ってのもあるのニャ。仕方ニャいから初乃にも見せてやるのニャ」

「ぼくいらない」

「なんでニャ? あー、あれかニャ照れてるわけニャ。それとも遠慮かニャ。でも大丈夫なのニャ、特別に読ませてやるのニャ」

「遠慮じゃないから」

「ふふーん、後で読みたいと言っても知らないのニャ。あちしが晟生をメロメロにした後で、どーしてもと言うニャら読ませてやるのニャ。頼むなら早い内にするといいのニャ」

「あーそー」

 初乃は更にミシェから距離を開けていく。

 賢い愛咲あさき彩葉いろはは早い段階で、そっと移動。天井から下がる支持具――通称、吊り手を掴み揺れる艦内で身体を支え、他人のフリしながら待機している。

 十数体を超える神魔装兵が一隻の高速艇に集結している理由は、もちろんヤズハ川の氾濫対策である。自然の猛威を前に科学が生み出す神威がどこまで通用するかは不明だが、作業はせねばならない。

「流石は高速艇ですね、かなりの速度です」

「うん、確かに。さすが地元かな」

「地形の把握とルートの選定、あとは地元勢力への根回しは完璧という事ですね。やっぱり地元組織は敵に回せませんよね」

 二人とも初乃とミシェの声は聞いて聞かぬフリで他愛もない会話をしている。そうしながら、表情が緩んでいるのは、戻ってからのご褒美を妄想しているためだ。相手が晟生なので無理して変な事を頼む気はないものの、妄想するだけは自由なのである。

 立位状態の重心が前方へと傾く。

 どうやら高速艇は速度を落とし停止しつつあるらしい。その証拠に放送が入り、到着が近いことを告げた。さらには細かな指示が幾つもなされ、担当者は神経質タイプに違いない。

「もう到着ですか」

「うん……これなら各自で飛んだ方が早かった、と彩葉さんは思うわけですが」

「そうですよね」

「きっとオカサキの示威行為含み、かな?」

「指示すれば、これだけ神魔装兵を集められるという事ですか。緊急事態というのに、なかなか余裕ですよね。それとも組織内が一枚岩でないのかも」

 あれやこれやと口にする愛咲と彩葉であるが、オカサキの担当者が聞いたら青筋立てそうな内容である。幸いにも周囲の騒音に紛れ必要以上に聞こえはしないが。

「では出番ですか」

 ガコンッと重い音が響き高速艇の側面部が持ち上がり、展開される。

 途端に激しい風雨が吹き込み、水と泥の臭いが一瞬鼻を突く。それも神魔装兵のバイザーが展開され遮断されると影響は最小限。愛咲を含めた何人かの髪が乱れぐらいの状態だ。

「トリィワクス班、出ます。外部で必要距離を取って顕現です」

「「「了解」」」

 激しい風雨に怯みを見せる他とは違い、愛咲たちトリィワクスのメンバーは一斉に飛び出した。他の装兵乗りとは気合いの入りようがまるで違う。

 もちろんそれは、頑張った後に待つご褒美の影響が大きい。

「ヴァルキュリア。輝く乙女は願いを叶え死を運び、慈悲と無慈悲を持ちて戦の乙女にならん」

 素体コアを通じ無数の霊子が世界の狭間から引き出され、周囲に広がり身体感覚が膨張拡大していく。そして、目眩にも似た感覚で意識が切り替わった。

 青い煌めきと共に、素体コアを纏った愛咲は紺碧の鎧の女性へと姿を変えた。編んで束ねた金髪や白いスカートは強風に煽られるものの、豪雨の中で泥と化した地面を力強く踏みしめ背筋を伸ばす。

 愛咲=ヴァルキュリアは額にある第三の目も含め、激しく荒れる河川を見やる。そこは、堤防の高さぎりぎりに迫った水が茶色く濁り白波を立て激しく流れていた。

「今にも溢れそうですね」

「ねえ、土を積めって話だけどさ、どうすんの? そもそも、どこの土を使えばいいのさ」

「その辺りの土という事でしょうね」

 雌獅子頭の女神セクメトになった初乃に答えつつ愛咲は軽く困った。

 担当者の指示は紙の上では成り立つといった程度のもので、それを実現可能にするには現場で実行する者たちの努力と行動に任されている。

 一番面倒なパターンであった。

「土を掘るならさ、スコップとか具象化しないと駄目かな?」

「そういうの難しいですよ」

「えっとね……あっ、できた」

 初乃=セクメトは空中に出現させたスコップを手に嬉しそうだ。自分が普段使用する武器以外を形にする事は難しいのだが、それをあっさり成功させてしまった。

 予想外の事にヴァルキュリアの怜悧な顔が驚きに彩られてしまう。

「ええっ、初乃才能ありすぎ!?」

「ふふんっ、晟生に褒めて貰う為なら余裕。ぼくが土を掘るから後はよろしく」

 煩悩と欲望を力にセクメトは猛烈な勢いでスコップを振るいだす。

 唖然とするヴァルキュリアの肩をツンツンとするのは、彩葉=ラミアの尾の先である。重量感ある胸を少ない布でカバーした水着のような姿で、この天候と下半身の蛇体がなければ、常夏ビーチが似合いそうなぐらいだ。

「早く作業しよ?」

「彩葉の言う通りニャ、間に合わなくなっても知らんニャー!」

 十数メートルの身長となった神魔の半分ほどの高さがある堤防。水はその堤防ひたひたにまで迫っている。もし破堤はていでもすれば、それだけの水が一気に押し寄せるだろう。

 ミシェ=ケットシーは尻尾をボンボンに膨らませつつ、せっせと土を運び上に載せペンペンと叩いて固めている。猫妖精の姿をしているだけに何ともユーモラスではあるが、目の前にあるのは轟音を響かせる濁流の存在だ。

「うーん、凄い」

「川なんか見てないで手を動かすのニャ。前に通った時は、こんな川じゃニャかったのに!」

「なるほど、水が無い時はとことん無くて、雨が降ったらとことん出てくる。足して割ったら丁度なのに」

「そんなこと言ってる場合じゃないニャ!」

「一カ所だけ頑張って盛っても意味ない。ほら、全部高くしないと」

 言いながら彩葉=ラミアは蛇体をニョロニョロと動かし、その綺麗な肢体を泥で汚しながら土を運ぶ。同じようにして多数の神魔たちが川沿いに並び堤防の補強や嵩上げに精を出している。

 風雨は若干弱まるものの、しかし水は増えるばかりだ。ケットシーは雨に濡れた銃兵帽を押さえながら絶望の顔をする。

「なんでニャー! なんで終わらないのニャ!」

「簡単な事ですよ。水は上流から流れてくるわけです、雨の本体がそっちに行ったのなら……」

「行ったら、なんニャ!?」

「これからが本番という事ですよ」

 愛咲の言葉の正しさを示すように、茶色を濃くした濁流のかさは増すばかり。その中には太い流木も混じりだし、それが音をたて堤防に激突する。かつての時代であれば、全てダムによって防がれていた事ばかりだ。

 これだけの水が一気に溢れ出せば、さしもの神魔装兵でも無事ではすまない。飛翔できぬタイプは顕現を解除し、素体コアに戻って空中に逃れた方が安全かもしれない。

 辺りに動揺が広がり――そのとき通信が入った。

「こちらタイニィ。お前たち頑張ったな、後は任せておけ」

 明らかに男と分かる質の声。

 そして対岸に一体の神魔装兵が出現した。

 降り注ぐ雨に、激しく巻き上げられる水飛沫。だが、その装兵の黄金色をした目の輝きは隠せない。文様の描かれた精悍な肉体の存在がそこに居た。風雨の中に佇む姿は力強く、むしろその風雨を従え現れた印象すらある。

「……アマツミカボシ?」

 呆然と呟く彩葉=ラミアの前で、その存在は空中に片足を組んだ状態で浮き上がる。軽く合わせた掌の間から光が迸り、ずっと下流の堤防を直撃し消し飛ばしてしまう。次の瞬間、そこから水が溢れ荒野へと流れ出した。

 暴れ出る先を得た事で濁流の水位は急速に下がりだすのだった。

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