第79話 嵐の中の静けさ

 出航する予定でいたトリィワクスは、思わぬ風雨でオカサキに足止めされた。

 もちろん強襲揚陸艦は風雨程度でびくともしない。しかし世の中には盗賊団や野良AI兵器や生物兵器がうろつき、下手をすれば他艦や県兵でさえ襲撃して来るような時代だ。

 悪天候の中を無理に移動するよりは陸港で停泊し安全を確保した方がずっと良いに決まっている。

「これだけ風があると台風なのかな?」

 激しく吹きよせる風に艦が揺れる。

 艦橋から見る景色は全方位モニターになっているが、まるで滝の中のようだ。もしくは洗車機の光景とでも言うべきか。激しく叩き付けられる雨粒で視界はきかず、これでは安全な航行は無理だ。

 そんな状況だが、艦橋は静かで激しい風雨の音は少しも響かない。揺れがなければ暴風雨のただ中にいるとは思えず、無音声の映像を見ているような気分だ。

「こりゃ恐らく台風って呼ばれる現象だろね。あんた台風を知ってんのかい?」

 艦長席の和華代は興味深そうに身を乗り出した。ついでに言えば他のクルーも同様で目を輝かせ振り向いている。

「えっ? 台風ぐらい知ってますけど」

「そうかい、だったら教えちゃくれないかい。風が強くて雨が激しい時は台風だと言われてるがね、それってのが何かよく分からんのだよ」

「台風が……ああ、そっか……」

 少し戸惑う晟生であったが、すぐ納得する。自分が台風について知識があるのは義務教育などで知る機会を与えられたからで、もしそのような機会がなく知識を得る手段がなければ未知の現象だったに違いない。

「大雑把な説明ですけど。ずうっと南の海で海水が蒸発して上昇気流になりまして、その規模があまりにも大きいのでコリオリの力で回転します。その回転で激しい風が吹いて、暖かい空気と冷たい空気がぶつかって雨になる……だったかな。とにかくエネルギーが無くなるまで偏西風に流されながら移動してくるわけです」

「なるほど。説明して貰っておいて悪いが、良く分からんね」

「そうですか……」

「しかも、そのコリオリの力ってのは何だい?」

「地球の自転で生じる見かけ上の力で……つまり真っ直ぐ進んだつもりがカーブしている現象? えーと、すいません。自分で言っておきながら、なんだか自信がなくなってきました」

 晟生は軽く項垂れた。

 偉そうに語ろうとしたものの、所詮はうろ覚え。身についた知識はどこまで浅く、そしてなんとなくの理解でしかない。

 しっかり勉強しておけば良かったと後悔してしまう。

「すいません……」

「ちょいと、よしとくれよ。あたしが悪者みたいじゃないか」

 その気落ちぶりには和華代の方が戸惑うぐらいだ。あげくクルーたちから咎めるような眼差しを向けられている。この老婆にしては珍しく、慌て顔になった。

「あんたが博識なのは何となく分かったよ。つまりあれだろ、広く浅く学んだって事だろ」

「お気遣い痛み入りますです」

「ほらほら、そんな顔しなさんな。ちょっとぐらい分かんなかったからって、どうってことないだろ。微に入り細に入りで、偉そうに知ったかぶりする奴よりゃ遙かに良いってもんだよ」

「そうですか……?」

「当たり前じゃ無いか。皆もそう思うだろ、なあ?」

 和華代が目配せするまでもなく、艦橋のクルーたちは揃って賛同した。それでようやく機嫌を直す晟生の様子に和華代は苦笑いを浮かべる。

「やれやれ男ってのはこれだからね……」

「なにか?」

「何でもないよ、ちょっとだけ昔を思い出しただけだよ」

 自分の旦那が時々妙に子供じみた事で拗ねたり落ち込んだりした事を懐かしく思い、和華代は懐かしげに微笑んだ。

 だが、そんな緩い表情も外部から通信が入るまでだ。さらに対応する通信担当の声が鋭く引き締まっていくに従い、トリィワクスという組織を率いるトップとしての厳しさを帯びていく。

「艦長、オカサキの管制官からの連絡っす。ここから西にあるヤズハ川が氾濫したそうっす」

「ここで待機したのは正解だったね。それでどんな無茶ぶりが来たんだい」

「停泊中の艦船で神魔装兵を保有している場合、半数を出撃させ治水作業に当たるように、との事っす。どうします?」

「どうせ金を払う気はないのだろ」

「ちょっとは出るんじゃないです? でも出撃しないと逆に要求されるかもっす」

「やれやれ……」

「とか言ってる間に、向こうから緊急特命随契の請負契約書が転送されてきたっす。一方的っすよね。どうします?」

「どうもこうもないだろ、そのまんま経理班に転送して手続きさせとくんな」

 ウンザリした様子をするのは和華代だけでなく艦橋のクルー全員だ。

 先程までは自分の方が物知りなつもりだった晟生は、さっぱり分からないでいる。多少の知識で偉ぶることなく謙虚に生きようと、改めて誓い理解出来ない状況を尋ねた。

「えーと、何がどうなってます?」

「強制的に労力の提供を求められてるって事さね。向こうは曲がりなりにも自治体だからね、あたしらにゃ逆らいようがないって事さね。やれやれってもんだよ」

「でも一応は契約書類があるだけマシなのでは?」

「請負契約書ってのはね。読んで字の如くで、請けた方が負けなんだよ」

「あっ、それなんとなく分かるかも」

 晟生はかつての時代で、公共機関と取り交わした契約内容を思い出す。甲たる公共機関と乙たる民間は、契約書上の立場は平等と言われつつも、実態としては確かに仕事を請けた方の負けのような内容の部分があった。

「それにしても、請けたら負けの請負か……言い得て妙だ」

 なんだか笑いたくなったが、流石に場の雰囲気を読んで我慢する。

「では出ますか。どうせ暇ですし、アマツミカボシで出るぐらい構いませんけど。むしろ外に出て動きたいぐらいの気分かも」

「そうだねぇ……ああ、いや止めとこう。悪いが、彩葉とミシェに頼むとする」

「別に異論はないですけど、選定理由ぐらいは知りたいですね」

「虎の子は大事にしておきたいものさ。分かるかい、空知晟生」

 そう言いながら和華代はちらりと晟生を見る。

 説明しているというよりは、どこか意味深な口ぶりだ。普段と違い大仰にフルネームでの呼び方には、どこか遠回しの意味を込めている感じがあった。

 少し前にナゴヤで幅を利かせる傭兵隊のトップがソラチと言っていたため、晟生はそこに秘められた意味を即座に察した。そのソラチという存在を気にしての事なのだろう。

 気の回しすぎと思えなくもないが、この老婆が大きな視点で物事を考えているのは間違いない。

「了解ですよ」

「理解が早くて助かるってもんだよ。代わりにあんたに新しい役目をお願いしようじゃないか。あんたにしか出来ない大切な仕事さね」

「分かりました、よっぽど変な役目でなかったらやりますよ」

「なーに簡単な事さね。あんたは、頑張った娘らにご褒美でもやってくれればいいさね。どうだい簡単だろう?」

 確かにそれは簡単な事だろうし、晟生にしか出来ない内容だろう。ご褒美代わりに使われる事も、それで皆が喜んでくれるのなら少しも気にならない。

「いいですよ、何でもしますから」

 言うが早いか艦橋の中は静まり返った。

 なぜだか分からぬが晟生は嫌な予感がした。まるで艦橋だけでなくトリィワクス全体が静まり返ったような気がしたのだ。モニターに吹き付ける風雨の音が聞こえてきそうなぐらいだ。

 凄く嫌な予感がする。

 通信担当少女の可愛らしく邪悪な笑みを見れば、それは確信に変わる。

「あはっ、すいませんっす。艦内放送のスイッチ入れっぱなしだったっす」

「ちょっ……」

 謀ったなと言いかけた言葉は艦内から轟く歓声の前に消し去られるしかなかった。先を争うように出撃する素体コアは何故か四機もある。完全に命令違反だ。

 さらには艦橋ではクルーがレーダーを駆使して雨雲の解析をはじめだすなど、それぞれがそれぞれの役割を全力で行いつつあった。

「おや、これは困ったね。あたしが予想した以上の反響じゃないか」

「艦長……なんだか最近押しが強すぎやしません?」

「はっはっは、この前は味噌煮込みうどんを食べ損なったからねぇ。というのは、半分冗談。そろそろ観念しとくれって事だよ」

 和華代は開き直ったように笑っている。

 人の気も知らないでと晟生は小さく呟き、雨に歪むモニターを眺めやった。

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