第78話 先の疝気を心配で病むなかれ

 トリィワクスの艦長和華代の部屋に入るなり晟生は眉をひそめてしまう。

 四角い箱があるのだが、天板には何か文字が――戦国時代に愛の字を掲げた兜のように――ある。それは観音開きになっているが中には位牌らしきものが存在し、ただし文字がLED点灯。内部には故人らしき映像が映し出されていた。

 賢明なる晟生は視線を逸らし言及を避けることにする。

「…………」

 壁にはフォトフレームが飾られ、ちょうど少しばかり気の強そうな女性が映された。モデルスタイルの凄い美人だが、かつての時代で好まれたような幼いタイプではない。もっと顔立ちのはっきりした大人なタイプの女性だ。

「どなたです?」

 電気ポットでお茶の準備をする和華代へと尋ねた。

「あん? ああ、そりゃあたしの若い頃だよ」

「……なるほど」

 晟生はフォトフレームから和華代へと目をやり、またフォトフレームを見やる。

 確かに目の前の老婆には、画像の中で笑う美人の面影があった。時の流れは無情……と、言いたいところだが和華代は上手に年を重ねているだろう。そこには、羨ましいぐらい人間としての魅力と美しさが存在している。

「そっちが、あたしの旦那だよ。どうだい、いい男だろう」

 和華代は両手で湯飲みを運びつつ、フォトフレームの一つを顎で示す。

 静かに佇む風情が画像からでも伝わってくるような、穏やかな顔をした文人墨客ふうじんぼっかくなタイプの男性だ。今でも惚気たくなるほど惚れ込んでいるのだろう。

「ほらほら、いつまでも突っ立ってないで座んな」

「では失礼します」

「あんた律儀すぎだね。もっと図太くなったらどうだい」

「年上の方に対する礼儀ぐらいわきまえてますよ」

「ははっ、あんたの方が年上だろうに」

 言われて晟生は苦笑する。コールドスリープで時を越えているため、生まれた年としては遙かに上で間違いない。しかし、生きた年齢としては和華代に到底及びも付かないのだが。

 出されたお茶の香りを楽しむと、ゆっくりと口に含む。

 新鮮な香りと味わい、後口に少しだけ残る渋み。恐らくは天然物だろう。合成されたものは、またっとした重い味わいになる。自然と吐息がこぼれる。

 その後は沈黙。

 珍しく和華代は切り出す言葉を迷っているようである。わざわざ呼び出した事も含め、どうやら良くない話題という事なのだろう。

 そうなると、晟生も自分から尋ねる気にならない。湯飲みの水面を揺らめかせながら待つのだが、間が持たなくなると再びフォトフレームへと目を向ける。

 幼子二人は間違いなく愛咲と初乃である。トリィワクスを背景にした集合写真もある。どこかの風景もあれば、食べ物の写真もある。

「どうして、こんなに写真を飾ってるか分かるかい?」

「大切な宝物だからですか」

 そんな晟生の答えに和華代は自嘲するように笑った。

「違うね、忘れちまうからさ。どれだけ愛してどれだけ大事に想っていようと、写真がなければ思い描けやしない。そして時間が経てば旦那の顔も娘の顔も忘れちまうのさ……年月ってのは残酷なもんさ」

 晟生は何とも言えない。何故なら和華代の気持ちを本当の意味で理解できないためだ。

 そもそも人の顔が上手く思い浮かべられない。

 もちろん会えば相手が誰か分かるし識別も出来るのだが、心の中で他人を思い浮かべようとしても全くイメージが出来ないのだ。いわゆるアファンタジアという状態であった。

 これでは家族の顔を忘れてしまうと嘆く和華代の気持ちが分かるはずない。

「すまんね。年をくうと感傷的になっちまうよ」

 和華代はそのフォトフレームを手に取った。

 優しげな童顔の美人――こちらはかつての時代で好まれた幼さを残したアイドル顔――で、身体にぴったりしたパイロットスーツを着ている。どうやら装兵乗りらしい。和華代の若い頃に似ているが、それ以上に愛咲と初乃に似ている。

「あたしの娘の結芽だよ。まあ言うまでも無く見りゃ分かってただろうけどね。本当に良い子だったよ。トリィワクスを護るためにヴァルキュリアを駆って、そりゃもう鬼のように強かった。遺跡の発掘も得意でね、古い本なんかを土産に持ってきたものさ」

「もしかして、それで愛咲と初乃は本集めを趣味に?」

「そうかもしれないね。ああ、いけないね。呼び出しておいて昔話ばっかりだよ」

「構いませんけど、遺跡と言えば……前に回収したデータの中身はどうでした?」

 それは晟生と彩葉が持ち帰ってきたものだ。

 トリプルSランクの人間を培養ポッドで誕生させていたような、厄介な情報が含まれていそうなデータである。あまり知りたくはないが、回収してきた以上は興味ぐらいあった。

「手こずってるね。どうもね、セキュリティ対策より面倒なデータさね」

「面倒とは?」

「規定のアプリケーションプラグラムでしか中身が確認できない上に、それが特定のオペレーティングシステム上で管理されてんのさ。つまり表示させるためのプログラムを解析して、そのプログラムを動かすためのシステムをつくんなきゃ駄目なんだよ」

「なるほど」

 晟生はかつて自分が使用していたパソコンを思い浮かべ納得した。どうやら技術の進歩によって新たなシステムがメインとなり、さらには大規模な戦乱と荒廃によって古いシステムは完全に忘却されたという事だろう。

「まあ、目処はついたからね。もう少しで中身は分かるってもんさ。さてと、いい加減に呼び出した件の話をしないと駄目だね」

 和華代は銀色をした髪の毛をわしわしと掻いてみせた。そうして決意をした様子で口を開く。

「これから向かう先だが、どうやら少し危険らしくてね」

「だから機動兵器で戦力を増強ですか」

「神魔装兵には勝てないにしても、あれはあれで役に立つからね」

「そうですね。それで……もしかして危険なので何か制約がつくわけです?」

 ずばり聞いた事は晟生自信に関する事だ。

 この時代において男の存在は希少である。しかも晟生の場合はそれだけでなく、遺伝子が無汚染、無損傷、無劣化のトリプルSの最高ランクと極めて貴重な存在だった。過去にはSランク一つ持ちの男を入手するため虐殺まで起きたぐらいだ。

 隔離され管理され、飼われながら遺伝子採取をされる日々でもおかしくはない。

 それが自由に生活できるのはアマツミカボシの装兵乗りである事と、何より和華代の方針によるところが大きい。

「別に無理を言うつもりはない。安心しな」

「それでしたら安心ですけど」

「焦らすつもりはないが、前置きが長くってすまんね。実は入県審査で古馴染みから聞いたがね、これから向かうナゴヤでタイニィっていう傭兵隊が幅を利かせてるらしいんだよ」

 和華代は冷めたお茶をすすり言葉を途切れさせる。

「そこは男がトップを務めているらしいのさ」

「随分と珍しい。靄之内みたいにお飾り?」

「さあねえ、そんな感じではなさそうだよ。ただ問題は、そいつの名前をソラチって言うらしいんだよ。空知晟生の感想はどうだい?」

「…………」

 晟生は驚くよりは戸惑いが大きい。

 自分の名字が極めて珍しく、かつての時代でも僅かしか存在しない事は知っていた。それが今の時代となれば、更に珍しいであろう事は想像に難くない。

 単なる偶然か。

 それを否定する気持ちは確かにある。自分が特別と思う年齢ではないし、勘違いしたまま成長したわけでもない。だが、二百年という時を超えた事や姿が変わった事、白面や浅海棲物に名前を知られていた。

 ここで現れたソラチなる存在を偶然と片付けるには、あまりにも様々な出来事が起きすぎている。

「何とも言えませんね」

「そうさね。あたしに出来る事は戦力を整え万一に備える事だけさ」

「争いになると?」

「場合によってはね。そのソラチとあんたが何か関係あるかもしれないし、ないかもしれない。だけど商工会議所が何か企んでるのは間違いないんだよ。心構えだけはしといておくれ、難しいとは思うけどね」

「…………」

 難しい事を言う、と晟生は思った。

 これでは想定外を想定させようとするぐらいの無茶ぶりだ。しかし和華代の懸念も分かるため頷くしかない。もし何か起きるのならば、間違いなくトリィワクスも巻き込まれる。

「ああ面倒な話は終わりだよ、やれやれ。ところであんた食堂から来たのだろ、またぞろ美味いものでも料理してたのかい?」

「え? ええ、オカサキの街で味噌が手に入ったので味噌煮込みうどんをつくってました」

「ほほう、うどんは知ってるけどね。味噌煮込み? そりゃ美味そうじゃないかい。あたしにも食べさせとくれよ、艦長として試食しとかないと駄目だからね」

 和華代はニンマリと笑った。そこには悩む晟生を気遣う様子が多分に含まれている。ただし、自分が美味いものを食べたいという気持ちも存在しているようだが。

「麺の予備はあるので大丈夫ですよ。でも時間が経ったので、誰かに食べられている可能性もありますけど。たとえばミシェとか」

「そりゃいけないね、早いとこ食堂に行くとしようか」

 大急ぎで立ち上がる和華代に促され晟生は部屋を出るのであった。

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