第77話 ソウルフードは味噌の味

「毎度どーも、配達でーす。中身の確認をお願いします」

 届いたのは二斗の味噌樽。

 木製の樽にはタガが何重にも填められている。頭部には紙の封印がなされ、それを外すと上蓋に押蓋、中には七分目ほど味噌が入っていた。

 漂う香気に晟生はうっとりとする。格別に味噌好きではないが、やはり味噌は醤油と並ぶ伝統的な調味料。これなくして食を語れぬほどのものである。

「味噌、そう味噌だよ。やはり味噌汁が一番だけど、肉味噌とか葱味噌でお握り? それなら味噌焼きお握り。味噌の炒め系でなら麻婆豆腐もありかな。サバの味噌煮とか、いやもっと煮込むならおでんだよおでん。ちょっと待って味噌カツを忘れちゃいけないよ。あああっ、これは参ったなどうしようかな悩むよ」

「あのー、すいません。確認のサイン貰えます?」

 悶えて悩む晟生に恐る恐る伝票が差し出される。サラサラとサインをすると、配達に来てくれた味噌屋の店員は逃げるように帰って行った。超高級食品の買い手とはいえど、突然に語りだせば不審者扱いらしい。

 しかしながら、晟生にとって味噌はソウルフードである。ここしばらく口にしていなかったため、ついに入手出来た味噌が嬉しくて堪らないのであった。

「とりあえず厨房に運ぼうかな……うわ、重い」

 それはかなりの重量であった。持ち上げられないほどではないが、恐らくは途中で休み休み行かねばならないだろう。足下が怪しくフラフラとなって躓きそうになったところを、しっかりと抱き留められる。

 銀色の髪がさらりと視界に揺れた。

「大丈夫? 彩葉さんが運ぶので、お任せしておきましょうと提案です」

「あっ、助かるよ。ありがとう」

「晟生くんのためなら問題なし。最初から彩葉さんを呼んでくれると、もっと嬉しかったかな」

 銀髪おっぱいの異名を与えられた彩葉だが、軽々と味噌樽を持ち上げ、胸の前でしっかりと抱き締めた。その様子には少しも重たげな様子はない。

 これは晟生が軟弱ではなく、彩葉が怪力なのだ。下手をすると晟生と味噌樽を一度に抱えて運べるほどの力がある。これまでも何度となる助けられてきた。

「流石は彩葉ってところだね。頼りになる」

 自分よりも頭一つは背の高い相手をみつめ、晟生は微笑んだ。黒いジャケットを着た彼女は、年上の頼りになるお姉さんといった感じで、そばにいると安心できる相手への信頼であった。

「えっと、うん……晟生くんが、そう言ってくれると、彩葉さんも自分の力が好きになれるかな」

「それは今は好きじゃないって事?」

「はいなのです。これは彩葉さんのお母さんのお母さんのお母さん辺りで受けた遺伝子改造の結果でして、つまり遺伝子損傷の一つ。うん、お陰で総合遺伝子ランクはC。良くない評価なわけです」

 この時代では遺伝子を汚染・損傷・劣化の三項目で評価される。Dから始まってAになり、その上にSが存在する区分けだ。人は何かに付け優劣を決めたがるが、ついには遺伝子にまでそれを求めてしまったという事だった。

 そんな区分けなどバカバカしいと言いたいところだが、最高級のトリプルS遺伝子とされる晟生が言っても、上から目線としか思われないだろう。

「でも、彩葉に助けられてきたからね。その力も含めて彩葉が好きだよ。だから彩葉も自分の力を好きになって欲しいな」

 気取った台詞でウインクをしてみせた晟生は、言ってやったと調子よく歩く。男が希少な世界でそんな事をすれば、相手に与える効果が如何ほどかは、相変わらず何も考えていない。

 虚を突かれた様子の彩葉は緋色をした瞳で晟生を見つめ、しばし瞬きを繰り返す。徐々に口元を緩ませ、見る間に上機嫌となっていった。そして胸に抱えた味噌樽がミシミシと不吉な音をたてる。

「うわわっ、何か壊れそうな音が」

「えっと、はいすみません。これ大事」

 我に返った彩葉は申し訳なさそうな顔をするが、すぐに首を傾げだす。

「でも、これ変わった匂い。よく分からない」

「んっふっふ、これぞ味噌」

「味噌?」

 小首が傾げられると銀色の髪がサラサラ流れるように動く。

「万能調味料かどうかは知らないけど、いろいろ料理の幅が広がるよ。だから何をしようか迷っているぐらい。そうだ彩葉は何が食べたいかな? 日頃のお礼に、希望があれば対応するよ」

「んー、うん。晟生くんの料理なら何でもいいのですが……しいて言うのであれば。前に食べたラーメンみたいなのがいいかな」

「そうなると味噌ラーメンかな。でも、どうせなら準備万端で挑戦したいな……いや、待てよ……ラーメンでなくても麺類でもいいか。味噌で麺類と言ったらあれか、あれかー」

 呟く晟生は次第に笑いだす。

「それだよ、彩葉のお陰で決まったよ!」

「えっと、何かわかりませんが。でも、お役に立てたなら彩葉さんは嬉しいです」


◆◆◆


「というわけで、彩葉のために料理をしよう」

 晟生の宣言に助手一号と二号は微妙な顔をした。二人揃って上唇を噛み、姉妹ならではのシンクロ表情をみせている。食堂で待機する彩葉を見やり、それから物言いたげに晟生を見やった。何か言いたげだ。

 だがしかし、極めて上機嫌な晟生は全く気にしない。

「ついに時は来た。待ち望んだ味噌。麗しにして懐かしき味噌、これぞソウルフード。今回はその中で八丁味噌となります! うん、味噌を用いた記念すべき一品目。味噌様の時が来たれり」

 かつてなくハイテンションな晟生に愛咲と初乃は顔を見合わせた。

「えっとさ、あのさ。愛咲姉ってば、晟生はどうしちゃったの」

「もしかすると、これは日頃の疲れが出てしまったのかもしれません」

「そんな、ぼくたち晟生を疲れさせてたの?」

「ええ、反省せねばなりませんね」

 項垂れる二人であったが、その肩が覆い被さるように抱かれた。

「元気がないけど、どうしたの。元気があれば何でもできる」

「「わわわっ」」

「つまり、味噌があれば何でもできるってこと。二人の力を貸してね」

 とりあえず二人は不安を忘れた。

「さてと、これより我は修羅に入りて味噌料理に取りかかる」

 やっぱり二人は不安になった。

 味噌と呼ばれる茶色をした奇妙な調味料を見つめる。これまでトリィワクスのメニューには存在しないため、味どころかどんなものかすら知らない。何か危ない成分でも混じっていやしないかと疑うぐらいだ。

 ただ結局は嬉しそうな晟生の様子に、ほっこりしだすのだが。

「どんな料理をするのですか」

「ずばり、味噌煮込みうどん!」

「晟生さんの様子からすると美味しそうですね」

「違う違う、それは凄く美味しいから」

 晟生は慣れた手つきで味噌と出汁を混ぜ、少し寝かせる間に用意した生地を伸ばしていく。伸ばし棒は格納庫から持って来た鉄パイプだ。折り重ねた後は手早く包丁をいれる。湯を沸かして貰い麺を茹で始めると、手早く出汁入り味噌を溶いて汁を作り煮立ったところに茹でた麺を投入して更に茹でる。

「はい、完成。土鍋がないのが残念だけど仕方がないよね」

 まるで見事な演舞のような動きに見とれていた二人は、ようやく我に返った。

「えっと、あれ? もう完成ですか!?」

「見てる間に終わっちゃったよ」

 感心される前で、晟生はエプロンを外す。それから席に着き、そろって手を合わせ頂きますと呟く。熱々をスプーンで飲み舌鼓を打ちだした。

「ああっ、これこれ。これだよね!」

 腰の強い麺の固さと、しっかり絡む汁。程良い濃さの味噌と、良く効いた出汁の味わいが口の中に広がる。熱々が喉を通過し胃に落ちていく感覚は最高だ。

「どう?」

「美味しいですけど……熱すぎですよ」

「そこが良いんだけどね」

 舌が焼けるほどの熱々。

 自動調理機の料理は熱くはあっても、口中を火傷しない程度に設定されていた。利用者を傷つけないがための措置なのだろうが、しかし時として熱々の焼けるほどで食べたい料理だってある。今回の味噌煮込みうどんが、まさにそれだ。

「今日はそうでもないけど、寒い日に、こんな熱々を食べられたら最高だと思うよ」

「いえ、トリィワクスの中は一定温度ですから……」

 愛咲は熱さに苦戦しながら、スプーンにちまちま麺をのせては食べている。どうやら、自動調理機の温度に慣れて熱々が苦手らしい。

 もちろん初乃も涙目で水を飲んで口を冷やし、それでも食べている。

「美味しいよ。美味しいけどさ、ぼくには熱すぎ」

「そっか……まあ、あまり無理せず食べてよ」

「うん、でも美味しいと思うのは本当だからね」

 平気そうなのは彩葉ぐらいだ。ボコボコ沸騰するぐらいの熱々は控えておこうと晟生は思った。やはり料理は美味しいと思って食べて貰う事が一番なのだ。独りよがりで自分の美味しいと思うものを押しつけては良くない。

 熱々を楽しみ、うどんをすすっていると放送が入る。

『空知晟生さん、空知晟生さん。艦長室までお越し下さい。繰り返します――』

 艦内放送に名を呼ばれ晟生は顔をあげた。

「呼び出し? 何かしたっけ」

「えっと、うん。きっと至急なのですよ。というわけで、彩葉さんが晟生くんが食べているうどんを頂きましょう。大丈夫、ちゃんと全部食べておくので」

「至急とは言ってないから。食べてから行くよ」

「残念。でも、熱々美味しい」

 言った彩葉は熱々でも平気そうに食べていた。今回は自分のために晟生が用意してくれた料理という事で、極めて上機嫌でニコニコとしっぱなしだ。

「でしょう。彩葉は分かってくれて嬉しいよ。やっぱり彩葉が一番だよ、うん」

「ふふっ。晟生くんに褒められました、万歳」

 姉妹二人は熱々の味噌煮込みうどんを食べだした。それは涙ながらで必死に健気ささえ感じるほどに。

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