第76話 そこが帰りたい場所

 街の景観は建造物によって形作られる。

 晟生が生まれ育った時代における共通した景観は、商店街やオフィスビル、建売住宅にマンションにアパートによって形成されていた。そこに全国展開した商社や小売店の看板が共通項として存在し猥雑なほど派手やかであったものだ。

 しかし、そこから大戦を経て二百年程も経過した時代においては、当然ながら全く別の、また新たな景観が確立されていた。

 この時代における各都市の共通点は旧時代の廃材を利用した小屋、階層を僅かに残し崩壊しかけたコンクリートビル、そして木造建築物の店舗や長屋などが並ぶ光景だろう。看板などは墨書された木製看板や壊れたネオン、錆び付いた金属プレートなど。それは輝かしく洗練された近未来的とは程遠く、黄昏期か薄暮期とでも言うべき雰囲気が漂っていた。

 とはいえ、ここに生きる人々は活力に満ちている。

 土を押し固めただけの道路を大八車が引かれ通過し、そうかと思えば一輪バイクが埃を巻き立てながら走り抜ける。少し先では敷設された線路を馬車鉄道がのんびりと荷を運ぶ。路上販売が呼び込みをかけ、リヤカーで引き売りがされる。

 誰もが目的を持って行動しており、かつての時代に見られた生きる事に疲れた姿は少しもない。

 もちろん晟生せおの元に駆けてくる少女も活き活きとしていた。

「あったー、ぼくの探してたマンガあったよーっ」

 あちこちの路上販売を覗き、どうやら目当てを発見できたらしい。初乃ういのは極めて上機嫌だ。戦利品を入れたトートバッグを何やら大事そうにしている。

「えっへっへ。ぼくのコレクションがまた一つ増えたよ」

「うんうん良かったね、されじゃあ艦に帰ろうか」

 適当にあやしながら歩きだせば、仲良し女の子が手を繋ぎ家路につく姿にしか見えなかった。この荒廃した世界において、特に余所からの来訪者と分かる姿は悪さをする地元の連中には、絶好のカモのはず。スリや強盗に遭う危険性は非常に高い。

 それを防いでいるのが、後ろで大剣を担ぐ彩葉の存在だ。絶対に守るとの決意と共に周囲へ目を光らせるため、やや混雑する道でも勝手に相手が避けていくぐらいなのである。ただし守られている側は、そんな事にも気付かず呑気なものであった。

「またコレクションが増えて良かったじゃないの。でもまあ、図書室に保管する事になったけど、初乃としてはそれで良かったかな?」

「もちろんだよ」

 初乃が趣味で集める本はあまりに古いものばかり。黴などが生じている場合もあって、健康を心配した晟生は別室に本置き場を設置するよう進言した。そしてトリィワクス艦内に図書室が用意され収集整理保存がされるようになったのだ。

 ただし一室を使う事から、部屋からの持ち出しは禁止されているが、誰でも読める事にもなっている。つまりマイコレクションを他の人に触らせ、見せねばならないという事だった。コレクターとしては難しいところだろう。

「ぼくとしては皆に読んで貰えるならさ、嬉しいもん」

「天使だ、天使がいる」

「神魔装兵のこと? ぼくはセクメトを使うから天使じゃないよ」

「ごめん意味が違うから。あー、何にせよ図書室を管理する事も考えないといけないね」

 昔の感覚で言った言葉が通じず、晟生は素早く誤魔化した。

「そうなると、さしずめ初乃は司書さんかな」

「へー、なにそれ」

「簡単に言うと本を扱うエキスパート? まあ、そんな感じだよ」

「ぼく司書で決定!」

 本好き――ただしマンガ――の初乃は即座に言った。きっと姉である愛咲あさきがいれば、声を揃えて答えていたに違いない。ただし今はトリィワクスに残り艦の護衛に努めている。本人は未練たらたらであったが、仕事を放棄するまでには至っていなかった。

「お土産も買ったし後は戻るだけかな」

「晟生は何を買ったの?」

「味噌」

「何それ」

「日本古来の調味料だよ。トリィワクスに届けて貰う手筈だから後で料理に使うよ。でも、何をしようかな。味噌か……楽しみだな」

 晟生がうっとりするのも仕方が無い事だ。

 トリィワクスの自動調理機は洒落たカフェメニューしか登録されていない。たとえ合成食材であろうとも、味噌や醤油を使ったメニューがないのは絶対に間違っている。

 ここオカサキでは天然材料を使用した伝統の八丁味噌を入手したのだ。それで何をするか考えるだけで楽しいぐらいだ。

「初乃は何か食べたいものがある?」

「美味しいもの!」

 初乃は即座に言った。その曖昧な回答は、家で母親相手に言えば、怒りを蓄積させること間違いない内容である。しかし晟生は素直に頷いた。何とか味噌の素晴らしさを広めるべく、腕組みしながら美味しいものを考えだした。

「うーん、どうするかな……」

「その前に彩葉さんから報告ですが、前方に注意なのです」

「え?」

 言われて見れば、前方から重量のある車両が砂塵を巻き立て接近していた。重厚な装甲に覆われ足回りは履帯、旋回砲塔のある姿が低く重いエンジン音を響かせる。陸上艦であるトリィワクスや素体コアの変じる神魔とはまた違った迫力があった。

「うわっ、戦車だ凄い。軍隊って感じだよ」

「生物兵器狩りのハンターさんなのです。少し気が荒いので注意を」

 のんびりと構えていられたのはそこまでで、見る間に接近してくる姿に晟生は軽く後ずさった。

「ねえ、このままだと砂煙を浴びることになるんじゃ?」

「晟生くんの言う通りですね、はい」

「のんびり言ってる場合!?」

「彩葉さんとしては問題ないわけです。だって、また晟生君に洗って貰いたいのですから」

「それ艦長の許可制になってるから」

「えーっ……」

 彩葉は残念そうに項垂れた。しかし、晟生と初乃はそれどころではない。

 見る間に戦車が迫る。

 見る間に砂塵が迫る。

 見る間に人が逃げる。

 見るまでもなく危険。

「ちょっとさ、どうするのさ。ぼく砂まみれなんて嫌だよ」

「同じくそうだよ」

 素早く周囲を見回せば、通りから人の姿が消えていた。軒を連ねた店舗は尽く戸が閉ざされ、中に避難する事は出来ない状態になっている。その間にも轟音は迫り、辺りに積まれた桶や木造住宅が激しく振動しだした。二百年前なら間違いなくクレームの嵐といった状態だろう。

 戸惑う晟生と初乃がひょいっと持ち上げられた。

「はいはい、こっちに行くのです」

 言って彩葉は二人を抱えて走りだす。その足取りは少しも鈍らず素早いもので、戦車が到達する前に路地へと入り込む。背後の道を轟音と共に頑丈そうな金属体が通過し、景色が遮られるほどの砂塵が巻き上げられる。だが、晟生たちは見事逃げおおせた。

「ああ良かった。でも、戦車の人たち酷いよね。もうっ、頭きちゃう」

「仕方ないと言えば仕方ない。道路が舗装されてないんだ」

「あれ絶対に他の人の事なんて考えてないよ」

「どうかな? たとえばトリィワクスを考えてみようよ。かなりの砂を巻き上げ移動してるわけだからね、地上に旅人が居れば砂を浴びせているはず」

「うっ……」

 晟生の言葉に初乃は黙り込む。

 そんな二人の目線が同じ高さにあるのは、彩葉に担がれたままだからだ。お気に入りの両者を担いでスタスタ歩く様子は流石であった。こうした力がある点も、良きにつけ悪しきにつけ人の遺伝子が弄られ改良されたからなのだろう。

 だが、どれだけ弄られようとも人の心の有り様だけは少しも変わらない。

「ありがとうと言いたいけど、そろそろ降ろして」

「うーん、でも彩葉さんはこのまま運びたいのですが」

「それは却下」

「残念無念なのです」

 名残惜しげに渋々と地面に降ろされる。

 晟生は軽く伸びをして身体を解す。しっかりと抱えられていたが、やはり無理な体勢であったのは事実。首や肩に普段とは違う力が入っていた。

「ここって裏通りかな?」

 幅狭通路の両脇に壁のような建物が続き、そこに等間隔で戸と小窓が存在している。まるで長屋状態であって、実際にそうなのだろう。粗末で不便そうな居住環境は、プライバシーの確保は難しそうで衛生面も良くないに違いない。

 だが、少し先に見える開けた場所では小さな子供が楽しげに走り回り、井戸らしきものを囲んだ住民がのびのびとしながら笑っている。子供の頃に繰り返しドラマや映画で刷り込まれた古き良き時代、そんなものを感じてしまう光景だ。

 知らず郷愁を誘われ、切なさまでも感じてしまう。

「……ん?」

 袖が引かれ、小柄な初乃を斜め下に見やる。

「晟生ってば、どうしちゃったの?」

「んー、なんでもない。なんだか珍しく思えただけ」

「そうなんだ。ねえ、砂埃も収まったし戻ろうよ。お土産でも買ってトリィワクスに帰ろ?」

「帰る……うん、帰ろうか」

 自然と『帰る』という言葉が口をつく。

 その気持ちがわき上がるのは、それだけトリィワクスという場所を安心し寛げる場所だと認識しているからに他ならない。今はすっかりそこが家という感覚になっていたのであった。

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