第73話 一寸先はもう老後

「こんなしがない運送会社の艦にようこそ。第八警備隊の艦長様直々にお出まし頂けるとは、あたしゃ嬉しいね」

 皮肉にも聞こえる言葉であったが、和華代の顔には友好的な笑み――ただし見ようによっては人の悪い類のもの――が浮かぶ。意気軒昂な様子で手を差し出せば、乗り込んで来た第八警備隊の艦長はそれを握り返した。

 そちらも和華代と同じぐらい歳をとった老婆だ。手を握ったまま引き寄せ感慨深げに肩を抱き、親愛のハグをしながら背中を軽く叩いている。

「どの口で言いますか。あなた、顔を出さないと後でうるさいではありませんか」

 随分と気安い様子である。

「はっはぁっ、この歳になると昔馴染みの数も減る一方さね。会える時に会わないと、ぽっくり逝って二度と会えなくなっちまうだろ」

「まあ、そんな歳になりましたものねぇ。あなたもシズオカでは随分と大変な目に遭われたようですし。靄之内の内紛に巻き込まれたり、海棲生物の襲撃に遭遇したりで大変だったでしょう。でも、たっぷり儲けて喜んでいたりします?」

 第八警備隊の艦長は平素な口ぶりで言った。

 シズオカを出立して、さして日が経っていない。どうやらトリィワクスの注目度も高いという事で、それを暗に伝えてくる友人に和華代は苦笑した。

「当たり前さね、搾り取れるだけは搾り取ってやったよ」

「さすがは久杜和華代と言ったところですね」

「積もる話もあるからね、あたしの部屋に行って茶でもどうだい。あんたの好きな菓子が用意してあるんだがね。今回はびっくりするぐらい美味いものだよ。後で土産にも持たせるけど、先に食べさせてあげるさ」

「おやまあ、それは楽しみですね」

 両艦長が肩を並べ歩きだせば、数人がそれに付き従う。

 残るのは実務担当の副長クラスだ。

 互いに真面目な顔で視線を交わすと、キビキビした仕草で必要な書類資料を確認、違法品や禁止品が輸入されていないかを審査する。それが終わると目視と感知機を手にトリィワクス内部の調査が始まった。

 しかしながら、艦長同士が顔なじみで親密な様子を披露した後のため、そこまで厳しい雰囲気はない。審査担当が無茶を言ったり賄賂を要求する事も当然なかった。


◆◆◆


 トリィワクスの和華代の自室。

 スペースは他の士官用のものと大差ないもので、置かれた家具類は華美でもなければ豪華でもない。しかし、丁寧に使い込まれた品々は独特の風合いを持って落ち着きがある。

 小さな仏壇と位牌の他に目立つのは、壁に飾られたフォトフレームで、家族や友人といった体の表示画像がスローペースで切り替わっていく。一番目に入る場所に画像が全く変わらぬものがあり、若かりし頃の和華代と穏やかな顔つきの男が並んだ様子を表示していた。

「ギンザ方面へと向かったわりには、随分と早いお戻りでしたね。あなたが下手を打つとは思いませんし、あちらの居心地が悪かったのです?」

「事情を正直に言うとね、どうにも商工会議所の差し金さね。運んでた荷物に素体コアがあって、それを餌として何かさせたいらしいのさ」

「商工会議所ですか……なるほど、その素体コアというのは上に並んだ中の白いタイプですか?」

「そうだよ。乗ってるのが、新しく入った子さね。素性はちょっと特殊で込み入ってるんでね、あんたにゃ悪いけど話せないけど」

「興味はありませんので、お構いなく。それよりも赤いのは初乃ちゃんでしたね。すっかりまあ、大きくなりなすって。ついに孫の二人とも装兵乗りですか。母親の夢実さんにも似てきて、良い女ぶりですね」

 途端に和華代は相好を崩した。孫を褒められて嬉しくない祖母などいない。

「自慢の孫どもさ」

「羨ましいですね。うちの孫どもときたら、もう駄目駄目ですのに……それに比べて二人ともしっかりしたお嬢さんで羨ましい限りです。そうですわ、なんでしたら良家の男性を紹介しましょうか」

 それは最大限の好意の表れに違いない。

「嬉しいけど必要ないさね。二人ともすっかり、ぞっこんの相手がいてね。毎日が小春日和でお花畑気分さね」

「まあ余計なお世話でしたか。曾孫が生まれましたら、是非に見せて下さいな」

 入り口のドアがノックされ、和華代が軽く手を挙げる。感知したAIによって解錠されると、お茶とお菓子が運び込まれた。給仕担当が一礼して出て行くと、会話が再開される。

「ほら来た、これがびっくりするぐらい美味いものさね。話は後にして食べようじゃないか」

「ひょっとしてプリンですか?」

「その通りだよ。あんたは昔っからお菓子類にはうるさかったけどね、ちょいとこれを食べてみなよ。なんと自動調理でなくって正真正銘の手作りプリンさね。きっと満足する事は間違いないよ」

「そうですか……」

 黄色がかったものが湯飲みの中に入っている。自動調理機で製造されたものであれば、表面は綺麗で潤いがあって滑らかなのだが、目の前にあるプリンは表面に気泡痕があって見た目が悪く、しかも少し固そうであった。

「おっと感動が少ないね。まあいいさ、食べれば分かるってもんさ」

「では遠慮なく」

 スプーンは抵抗もなく入り込み、軽くすくい上げたものを口に含む。

 それはプリンと言うには、あまりにも違った。甘さ控えめ、濃厚な卵の味が楽しめる。表面の固そうな部分はクニュクニュとして、むしろ食感として楽しめる。さらに、すくい上げた下から黒味を帯びた液体が湧き出てくる。カラメルソースが固まっていない事を不満を思ったのも束の間。プリンと共に口に含むと衝撃的であった。少し焦げた風味と苦みを含んだ甘さが、全体の控えめな甘さを絶妙に引き立てるのだ。

「これは美味いですね!」

「そうだろ。メインでつくっちゃいないけどね、うちの孫どもも手伝ったのさね」

「うん、これは良いものです。最近の子ときましたら、お菓子を甘ければいいと思い込んでまして。おかげで自動調理機の設定も甘さが強くなる一方なのですよ。でも、本物のお菓子とは甘さと味わいの両立が大事なのです。これこそが、お菓子ってものです」

 嬉しそうに蘊蓄をたれる旧友の姿に和華代は懐かしげな顔をしてみせた。こうして語り合いものを食べ酒を飲んだ日々は遠い昔となり、二人とも年老いては別々の道を歩んで異なる行き方をしている。変わらぬ友情はありこそすれ、互いに譲れない立場も出来てしまった。

 だが、やはり変わらないものはあるという事だ。二人は昔話に華を咲かせ和やかなひとときを過ごすが、全てはプリンのお陰に違いない。

「――どうやら入県審査は無事終わったらしいね」

 内部回線で報告を受けた和華代は言った。

「楽しい時間はあっという間ですね。もちろん人生もあっという間ですけれど」

「ああ、本当にね。さて、しばらくはアイチにいるはずなんでね、機会があったらまた会おうじゃないか。昔みたいに飲んで夜を明かす……のは難しいかもしれんが、ゆっくり話をしたいよ」

「昔馴染みでしぶとく生き残った者が何人かもいますので声を掛けるとしましょうか。皆、偉くなってますが日程は調整してみます」

 立ち上がり見送りに出ようとした和華代の前で、旧友はふいに振り向いた。

「そうそうタイニィという名の傭兵隊がおりますが、知ってますか?」

「あ? 少数精鋭ながら実力はなかなかの連中だって話だね。そいつらがどうかしたってのかい」

「県政の上層部にも食い込み、新たな事業を始めつつあるのだとか。それも商工会議所を通さずにだそうです。県都に行くのであれば注意すべきでしょうね」

「なるほどね……」

 漠然とした依頼の目標が漠然と見えてきた和華代は小さな頷きを繰り返した。

「そりゃあ注意しないとね。でもまあ、そんな連中だとは思わなかったよ」

「少し前にトップが男の方に変わりまして。存外にやり手だったようですね」

「へえ男がかい。そりゃ珍しい」

 男は貴重、貴重なものは保管される。このトリィワクスにいる空知晟生のように、神魔装兵に乗るような男は例外中の例外。あの靄之内グループの総裁を務める男とて、殆どはお飾り状態で実権はさして持っていなかったりする。

「なかなか面白い事になりそうじゃないか」

「あまり男だからと甘く見ない方がいいでしょうね。随分と厄介ですよ、あのソラチという男は」

「ソラチ? 空知だって!?」

 和華代は普段の腰が据わった様子はどこへやら、驚愕した様子で目を見開いた。

 何かあると察するまでもない様子だが、旧友は軽く意外そうな顔をしたのみで何も言及しない。それ以上の言葉を控えると静かに部屋を出て行った。

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