第72話 もしもしが通じない

 素体コアを着装した晟生せおはトリィワクスの甲板にドンッと着地した。

 傷がついてやしないかと心配になり、そっと足をあげてみる。だが、少なくとも今の衝撃で傷ついた様子はなかった。ただしもっと細かな傷やへこみなどは多数ある。更には焦げたように変色した箇所も存在し、この強襲揚陸艦の歴戦ぶりを物語っていた。

 実を言えば、こうして甲板に出るのは初めてで物珍しげに周囲を眺める。

 幅広で比較的平らとなっており、思い切り走れるだけの広さだ。ただし航行する艦の上という事で吹き付ける風は強く、しかも端部に安全柵などは存在しない。間違いなく運動をするには向いてない。

「それでは整列しましょう」

 続けて甲板に降り立った愛咲あさきが指示する。初乃ういのにミシェに彩葉いろは、そして晟生も加えたトリィワクスの素体コア全てが勢揃いしている。これから入県審査が行われるため、ここで待機という事だ。

「こんな事をする意味って、あるのかな」

「何故ですか?」

「敵意がない証明で甲板に勢揃いするわけだよね。それだったら誰も着装してない状態で並べればいいのでは? この状態なら、あまり意味がないと思うけど」

 晟生の疑問に愛咲は不思議そうな顔をした。

「それでは我々の方が危険になってしまいますよ」

「入県審査だよね、そんな危険なんてないでしょ?」

「拿捕され艦を奪われる可能性や、強制的に県境警備隊に組み込まれる事がありえます。ですから、お互いの妥協点として、こうやって姿を見せるわけです。いざとなれば戦えると姿勢を見せておく事が大事なのですよ」

「そんなまさか……」

 平和な時代に生まれ育った晟生には、不平不満こそあれど公共的な存在に対する無意識の信頼がある。基本的に味方寄りの中立者で敵になるとは少しも思っていないのだ。

 しかし、荒野の時代で生まれ育った愛咲たちは仲間として認めた者以外には常に警戒し不信があるらしい。思い出してみれば靄之内との会談でも常に武器は身につけていた。

 まさしく常識が違う。

「まーったく晟生は甘すぎるニャ」

 へらへらと笑いながら言われると、流石にムッとする。だが、それを気にもせずミシェは踊るように手を振った。

「世の中ニャんて酷いもんニャ。隙をみせれば奪われる、油断すれば奪われる。襲われないためには力がある事を見せないと駄目ニャ。生き物に角とか牙とか爪があるのは戦うためだけじゃないのニャよ」

「うわっミシェが……案外とまともな事を言ってる……」

「なんニャそれは!?」

 憤慨するミシェを彩葉が大型マニピュレーターでもって押さえて留めている。そうせねば、きっと列を乱して晟生の元に詰め寄っていたかもしれない。

 前方に数隻の艦が現れ、速度を落とし停船したトリィワクスへと接近してくる。

 長大砲やCIWSを幾つも備え、いかにも戦闘用の艦といった武装。そびえ立つような艦橋には幾つかの機器が設置され、きっとレーダーや通信機器に違いない。実際には分からぬが、そういったものが相場なのだから。

 そちらに注視すれば、直掩ちょくえんに付く何体もの素体コアが確認できる。戦力としてはかなりのものだろう。

 後方に砂塵が盛大に巻立っている。吹き付ける風にも少し砂が含まれているので、この付近の土地は砂分が多いという事らしい。

――髪が傷まなくて良かった。

 そんな事を思った自分に晟生は密かに苦笑する。まるで女の子の発想だと思ったのだ。

 晟生の着装する素体コアは全身を覆うタイプのため影響を受けないですむが、しかし他の者たちは違う。たとえば愛咲の場合は髪が外に出てなびくため、後の手入れが大変そうだ。

 もちろん戦闘などになれば髪など少しも気にしないだろうが、今のような場合は違うらしい。嘆くように小さな息を吐いている。

「ううっ、髪がゴワゴワになりそうです……」

 晟生はそっと慰めた。

「今日のお風呂でしっかりケアすれば大丈夫だから。我慢しようよ」

「そうですよね。では、お願いしますね」

「うん分かっ……それはちょっと……」

 思わず頷きかけてしまった。

 この前に図らずも一緒のお風呂になってしまった時を思い出す。いろいろ見て見られてしまったが、だからと言って慣れたわけではない。

「ちゃんと自分でやらなきゃ」

「でもですね、フーコちゃんを洗った時は上手でしたから。晟生さんなら任せられます」

「そういう問題じゃなくって……洗うとか……」

 晟生が黙り込むのは初乃が足を踏みならすためだ。素体コア着装状態のため、ガンガンと鳴り響きトリィワクスの装甲に細かな傷が幾つもついていく。きっと、一番しょうもない理由でついた傷に違いない。

「なにそれ、ぼく聞いてないよ。晟生ってばフーコとお風呂入ったの?」

「あれっ言ってませんでしたか? フーコちゃんを洗うという事で、私と彩葉も晟生さんと一緒にお風呂に入りましたよ」

「それいつ!?」

「はい、そうですね。ちょうど初乃が初めてのお仕事をしていた時です」

 装甲に刻まれる傷は増えていくばかりだ。どうやら拗ねモード突入らしい。

「酷いよ。ぼくが頑張ってる時にそんなのってないよ。しかもだよ、フーコだけ洗って貰ったなんて! ぼくも!」

「うん、それ違う。だって彩葉さんも洗って貰ったのです」

 きっと彩葉は慰めるつもりだったのだろう。しかしそれは火に油を注ぐようなものだ。装甲に穴でも開けるつもりとなった初乃の代わりに、目を好奇で輝かせるミシェが身を乗り出す。

「どこまで洗って貰ったのニャ!?」

「ほぼ全部なのです」

「ニャー! ニャー! そりゃいいのニャ、堪らんのニャー!」

 彩葉が自慢げに胸を張れば、ミシェは聞こえよがしに羨ましかり晟生の元に詰め寄る。両手を組み合わせ、目を煌めかせるつもりなのか、何度も瞬きしながらお願いのポーズをとる。

「あちしも洗って欲しいのニャ」

「ちょっとさ、それ駄目だよ。だって、ぼくが先なんだからさ」

「二人とも駄目ですよ。私もまだなんですから」

 喧々囂々と顔を合わせ騒ぐ様子は、まるで内輪もめでもしているかのようだ。遠い目で彼方をみようとした晟生は、入県審査で接近中の艦が僅かに速度を落とした様子に気付いた。相手素体コアの動きも代わり、様子を窺う雰囲気がある。もしかしなくても、警戒されている。

「おーい、落ち着こうよ。前、前を見て……って聞いてないし」

 なんとか宥めたいところであるが、手の付けようのない状態だ。大人しくさせるには、三人とも洗うしかないのだろうか。三人を犬かネコのように並ばせ洗う光景を想像すると、ちょっと興奮――。

『いい加減におし。真面目にやんな!』

 鋭く一喝するような通信に全員が思わずトリィワクスの艦橋を仰ぎ見た。そこに姿こそ見えないが、目を怒らせ仁王立ちとなる和華代の様子が幻視できてしまう。

 素体コアを着装した全員が揃って首を竦めた。

『よその艦からも見えてんだ、うちの恥を晒すんじゃないよ』

「申し訳ありません、お婆様ばばさま。いえ艦長殿」

『あんたは戦闘班の班長だろ。部下をいさめないでどうすんだ!』

「すいません! 以後、気を付けます! 戦闘班再整列、入県審査に備えなさい」

 了解の返事をしながら晟生たちはそそくさと並び直した。

 目の前には艦が迫っており、はためくえんじ色の県旗まで見えていた。向こうは向こうで甲板に素体コアが整列されており、そこから値踏みするような視線を感じる。

 それを眺める晟生は安堵した。

 とりあえずこれで助かった――と、思っていた。

『言っておくけどね、晟生に風呂で洗って貰えるのは功績のあった者だけだよ』

『艦長、それ本当っすか!?』

『料理だけじゃあ寂しいからね、そういうのもありって事さね』

 何かとんでもない発言がなされている。

『凄いっす、それなら艦内に連絡しとくっす。きっと皆、期待するっすよ!』

『おや、そうかい。そりゃ仕方ないね』

『仕方ないっすよね』

 さらに何かとんでもない発言がなされている。

「ちょっと勝手に何を決めてるんですか艦長。艦長? もしもし艦長応答して下さい! もしもし!? ちょっと、もしもーし!」

 制止しようとする晟生であったが、その通信は完全に黙殺されてしまう。

「もしもしってさ、何だろね」

「きっと、何かの暗号ニャ」

「うん、それ違うと彩葉さんは思います」

「小説でも偶に出てくる古語ですね。主に通信の頭に付けられているようですから、何かの符丁に違いありませんよ」

 もしもしとは何かで皆は盛り上がり、晟生の言葉に耳を傾ける者はいなかった。

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