第71話 検査は下準備が面倒
「今日の午後にはアイチ県境に到着だろう? 入県審査の準備はどうなんだい」
和華代は堂々と艦長席に寛ぐ。
年齢は七十を越えたぐらいで、本人いわく正確な数字は忘れたらしい。顔に皺はあるものの、少しも年寄りじみた雰囲気はなかった。長い白髪を後頭部で縛り、背筋を伸ばし足を組む様子はまさに女傑といった風情だ。
艦橋内部の照明はやや暗く、周囲を景色を映し出したビューモニターの明るさが目立つ。戦闘時には全方向が表示されるのだが、今は必要最低限の水平方向のみとなっている。
「書類リストは適正に用意できております。今回の積み荷は靄之内グループが管理していただけあって、実数の誤魔化しも計量ミスもありませんでした」
「はんっ靄之内グループのトップ直々がお出ましだったからね。誤魔化すバカはいやしないだろうよ」
「それでも、やらかす者はやらかすと私は思いますね。さて、抜き打ちの私物チェックを行ったところ、各員の部屋から違法品や持ち込み禁止品の確認はできませんでした」
「まあ、うちの乗組員に素行不良はいやしないからね」
「ただし審査官が見たとしたら、怪しみそうな状態も幾つかありました」
報告する沖津は生真面目な様子で眼鏡に触れた。
トリィワクスの副長を務める人物だが、どうにも四角四面な性格だ。しかも本人もあえてそう振る舞い、乗組員から煙たがられる事を自らに強いているようなところがある。やはり根が真面目という事なのだろう。
「ミシェの室内に大量の鰹節が存在しています。これは少し問題です」
「別にそれぐらい大丈夫だろ」
「いえ、部屋の大半を埋め尽くした状態でして。まるで何かを隠しているかと思えるぐらいの量です。流石にこれは怪しすぎです。即刻回収しまして空知晟生の料理に使用しましょう。私が何か食べたいわけではないと申し添えておきますが」
「はいはい、可哀想な事は止めておきな。違法品じゃないだろ、ならいいじゃないか。審査官だって仕事をせにゃならん。ブラブラ艦内を歩いて終わるよりか、ちょっと怪しんで調べたくなるアラを残しといてやんな」
和華代は苦笑しながら手を振ってみせた。どうでもいい、といった態度がミエミエだ。それに対し沖津は少しだけ残念そうな顔をしつつ、すぐに表情を引き締め手にした資料を捲り続ける。
「次に愛咲と初乃の二名については、室内に大量に古書が保管されています。こちらも量が多すぎるため、この機会に片付けさせるべきかと思います」
「個人の趣味に干渉すんのはどうかねぇ」
「これは入県審査以外の問題でもあります。彼女たちが集める古書には、黴などが発生している状態にあります。そうした黴は気管支等に影響を与え健康を害するとの事で、同じ部屋で寝起きさせるべきではなく別室で保管すべきです」
「そうなのかい?」
「はい、空知晟生がそのように申しておりました。良い機会です。これは図書室と呼ぶそうですが、本を専用に保管する部屋を用意しましょう」
「分かったよ。物置のひとつを開放してやんな」
「了解しました。それから、やはり戦闘班の彩葉になります」
「おや、あの娘はそんな問題を起こすはずないだろ」
和華代は信頼する者の名前が出た事で意外そうな顔をした。しかし沖津は軽く頭を横に振る。
「実は部屋に白兵戦用大剣を持ち込んでおります。その他にも幾つかの武器類を置いている状態でして、さすがに看過できません」
「武器庫に置かせればいいだろ」
「それが以前のように生物兵器が侵入した場合、空知晟生を守るために必要だと主張しておりまして。なかなかに頑固で困ります。艦長より一言注意を促していただけますか」
「……入県審査の間だけ片付けるように言っておくよ。その後は好きにさせるしかないだろ。あの娘なりに考えての事なんだ」
達観した様子で頷いている。
白面という生物兵器に侵入された事は記憶に新しく、和華代自身も危機管理という観点から、どうにかせねばとは考えていた事項だ。
「分かりました。そうなると次ですが――」
「まだあんのかい!? うちの乗組員どもときたら」
艦長席の和華代は額を抑えて呻いてみせた。
◆◆◆
県境を越える。
もちろん明確な線が引かれているのでもなければ、正確な地図によって位置を確認しているわけでもない。この辺りが県境だろうと、概ね把握している地点に到達しただけだった。
そこはシズオカ沿岸付近を西へ進み巨大な湖を通り過ぎ少し進んだ辺りとなる。
他にもアイチに入県するルートはあるものの、大半は山地や起伏の大きい地形。交易品を詰んだ運送会社が移動するには、山賊やら生物兵器などリスクが大きすぎた。シズオカ内部に靄之内の権勢が鳴り響いていようとも、絶対に安全というわけでもないのが今の時代だ。
「ここまで順調で助かったってもんだよ。前なんぞは三回も盗賊に襲われただろ」
「確かにそうです。恐らく失脚した
「だろうね。そうやって不正蓄財してたって事だろ。バカな女だよ、長い目で見れば損しかないだろうに。うちみたいな運送会社が寄りつかなくなったらどうすんのかね。そういや、どうなったか聞いてるかい?」
「逃げ延びて行方不明だそうですが、賞金首に指定されたようです」
「そりゃ楽しみだ。いつか捕まえてやろうじゃないか」
和華代と沖津はそれぞれの席でのんびりと話す。
アイチに入ったからと言って、それで直ぐに県境警備隊がやって来るわけではない。外部を映したモニターを見れば分かるように、周辺地形は細かな起伏が連続し艦の航行に適した地形は自ずと決まっている。
そうなると、県境警備隊にとって都合の良い地形で待ち構えているというわけだ。
シズオカに入県した時のような砦がないのは、アイチとシズオカは潜在的警戒はあるものの比較的友好関係にあるためだろう。もちろん、間に巨大な湖がある事も影響しているに違いない。
「そろそろかね……」
「そろそろでしょうね」
和華代と沖津のやり取りを待っていたようなタイミングで広域通信が入電した。
通信担当の少女ニホが応答を行う。
「はいもしもし。こちら久杜運送会社所有のトリィワクスです――はい、アイチへの入県はナコヤ商工会議所との取引で、これは商工会議所からの依頼があっての事です――はい、了解しました」
予め想定されていた内容であった事もあるが、的確に返答をするニホの能力もあって無事に通信が終わる。そのまま手際よく動き、即座に操舵手へ内容を伝え艦内に情報を流す手筈まで整えてしまう。
それは見ていて小気味良いぐらいの仕事ぶりだ。
最後に椅子ごとクルリと振り向いたニホは、砕けた態度で敬礼をしてみせる。
「艦長ー、少し行った丘で審査官が入艦っす。その際の処置っすけど、機関は稼働状態のままで問題なし。ただし素体コア甲板に上げて整列、艦の砲塔は空に向けておくようとの指示っす。まあこれは、いつも通りっすよね」
沖津は良い顔をしないが、和華代は気にもしない。やる事さえこなせば格式張った事など意味がないと考えているのだ。
「相手はどの隊か分かるかい?」
「第八警備隊の連中だと思いまーす。あの通信手の声は覚えがあるっすから」
「そうかい、第八かい。そんなら今回の入県審査は楽なもんだ」
「そっすよねー」
馴れ馴れしさ漂う口ぶりに沖津は軽い咳払いで注意を促してみせる。だが、通信担当の少女は気にした様子はなかった。もちろん和華代も同様。そうなると副長としては何も言えやしない。少しふて腐れたのか声が低くなる。
「第八となりますと、あそこの艦長は甘味類が好みでしたね。贈答品として何か菓子類を手配するとしましょう」
「それ、やっときましたよー。晟生君がつくった特製プリンも用意しておくっす」
「バカなっ、あのプリンを出すというのか――」
呻く沖津であったが、皆の前という事で咳払いをした。
「いや、別に私が食べたかったわけではない。皆がとても楽しみにしていたものだと記憶しているだけの事だ。そうか……プリンを出すのか……では、そうなると戦闘班に甲板へ移動する指示をしておきます」
「それ艦長名でやっといたっす」
「おいニホ。気が利くのは良いかもしれないが、しかし勝手に艦長の名を出して指示を出すことは越権行為となる。虚偽の命令を出すなど許しがたい行為だ――」
険のある声で注意されたニホは和華代に視線をむける。
「事後報告っすけど、艦長名にて戦闘班への指示をしといたっす」
「そうかい、以後気を付けるんだよ」
「はいでーす」
形だけ注意した和華代と気軽に答えるニホ。やはり自分がしっかりせねばトリィワクスの規律は保てやしない。沖津は改めて気を引き締めるのであった。
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