第6章
第69話 枯れ尾花が正体であれ
「ふああああぁぁ……」
晟生は大きな欠伸を可愛らしく披露する。
本人にそのつもりがなくとも、外見がそれを裏切っているのだ。伸びをする腕も身体も、何より容姿が女の子と見紛うものであるのだから仕方のない事だろう。
シズオカを発って数日、順調に航行するトリィワクスのエンジンは低く静かに響いている。
ベッドの上で軽くストレッチをしだすが、その仕草には気怠げな眠気が残っていた。それでも睡魔を振り払い、首を回し腕を広げて胴体を回す。ようやく目が覚め、最後に両手で頬を叩き小気味よい音を響かせる。
「うーん、でもまだ眠い……顔でも洗おう」
のそのそと部屋に備え付けられた洗面台へと向かった。だらしなく乱れた長い髪に眠たげな眼、軽くはだけた寝間着から肌が見える。その姿は絶対に男とは見えないものだ。
本来は寝起きの良い晟生であったが、このところはそうでもない。
毎夜布団に入ってからあれやこれやと思い悩み考え込み、寝たか寝てないか分からないまま朝を迎えてしまう。おかげですっかりと寝不足。そして朝もすっきり起きられないでいる。
「ふぅっ……」
顔を洗うと、ようやく気分がすっきりする。そしてタオルで水気を取りつつ鏡を眺め、そこに映る姿――少し目つきの鋭い凛とした雰囲気の顔をした少女を凝視する。もちろん、それは自分だ。
「…………」
眠れなくなる悩は、ケーフに言われた言葉が発端だ。
まずケーフは間違いなく、素性を含め空知晟生の事を知っている。最初の反応からすると、知っていたのはこの姿ではなく元々の姿で間違いない。だが、違う姿を目にしておきながら直ぐに理解して納得していた。それは何故なのか。
どうして海棲生物であるケーフと知り合いなのか。さらに考えれば生物兵器である白面が何度か助けてくれた事とも関係があるのか。
故郷に帰ってみろとは、どうしてなのか何故なのか。
考え出すと思考が堂々めくりしてしまい夜も寝付けず、かくして寝不足なのである。案外と単純な、何でもない答えなのかもしれないが、とにかく今は分からない事こそが辛い。
「ああ、これは駄目だ。よしっ悩むの終了! 物事はなるようにしかならない!」
晟生は大きく言って再度両手で頬を叩いた。
今回はかなり強くで、しばらく両頬がジンジン痛くなってしまうほどの力だ。見ると少し赤くなっているほどだった。ただし、ここまで含めて毎日の繰り返しであったりする。
今回も仮初めの気分転換には成功。少なくとも表面上はすっきりした顔を取り戻す。
そのまま歯を磨き服を最近お気に入りの、白い小袖と赤帯に赤のスカートに着替えブーツを履く。脱ぎ捨てた寝間着はランドリーボックスに放り込むが、これは後で艦の生活班に洗濯してもらう事になる。旧態依然とした方式だが、どれだけ技術が発展しようとも、こうした部分は変わらない。
長い髪は適当に頭を振るなど揺らしていると、何となく良い状態となる。
「さてと、そろそろ……」
言ったところでドアがノックされた。その落ち着いた響きと音の具合に間隔。それで誰が来たのか分かるぐらい慣れ親しんだ音だ。
時間的にそろそろ来ると予測していただけに、晟生は落ち着いて反応する。
「どうぞ」
「お邪魔します」
応えた声にAIが反応し解錠されると、早からず遅からずのタイミングでドアが開かれる。入って来たのは予想していた通りに愛咲であった。その背中に張り付き、ひょっこり初乃も顔を出す。
「おっはよー、朝だよっ。ご飯に行こうよ!」
「食事に行きましょう」
楽しげな姉妹の様子に晟生は頷いた。
毎朝の事とはいえど、やはりこうして女の子が起こしに来てくれる事は嬉しい。今度こそ完全に悩むことを止め、二人と共に食堂へと向かった。
◆◆◆
「もうちょっと進むとさ、ハマコーって大きな湖があるんだよ」
食堂で初乃は明るい声を張り上げた。
ミディアムショートな黒髪に幼さを残した顔立ちで、緑色した瞳が活き活きと輝く。白に赤の入った制服に半ズボンで、椅子に座りながら軽く足をぶらつかせている。
シズオカでフーコと分かれた後は少し気落ちしていたものの、今ではすっかり元通りだ。
「ハマコー? もしかして浜名湖かな」
「へぇ、そんな名前なんだ。晟生ってば知ってるんだ」
「多少はね。確かウナギの養殖で有名だったような、あとは忘れた。いろいろ勉強した割には、たいして残ってないんだよね」
学校教育で必死に知識を学ぶものの、社会人になれば必要となる知識だけに特化していき、大半は忘却してしまう。ただし世の中全体では、その知識を持っているという前提で話が進められるため、知識を身につけてなければ大恥を掻くことになるのだが。
「勉強とは、どんな事を学んだのですか」
興味をそそられたのは
青い瞳の優しそうな顔立ちで不思議そうに首をかしげ、白に青が入った制服にスカートで行儀良く座り朝食のパンをかじっている。
「うん、基礎を全部」
「全部?」
「必要となる知識の基礎全般だよ。言語に計算に歴史に地理、科学とか物理法則でしょ。それから絵とか音楽とか芸術方面に、スポーツとかの運動もあったよ」
晟生が二百年前という時代をコールドスリープで越えた事を知るものは少数。トリィワクスの全員には知られていない事である。だが、食堂は賑やかに雑談に興じているため、声をひそめ気味にすれば聞かれる事はなかった。
「いろんな事が学べてなんて羨ましいですね。それに、伝えられるだけの知識が世の中にあったという事も羨ましいです」
愛咲が羨ましがるのも無理なからぬもので、世界は荒廃し生きる事に注力せざるを得ない時代だ。知識は特別なものとなって、料理すらも特殊スキルとされる時代だ。学ぶという事は貴重にして贅沢な事になっていた。
「でもまあ、当時は学ぶ事の価値が低下していたからね」
「そうなんですか。なんだか勿体ないです」
「今にして思えばそうだけどね。いろんな原因もあるだろうけど、思うに教育が無料になった事が一番の原因かな。無料になれば、それだけ価値が下がるから」
晟生もパンを口にする。
朝食は洒落たカフェのようなセットで、パンとサラダにハムと卵といったものである。自動調理機で製造されたもので、全て合成食品。不味くはないが、食べているとどうにも微妙な違和感を感じてしまう味だ。
「ねえ昔ってどんなだったの?」
「初乃、声が大きいですよ」
「あ、ごめん」
両手で口元を隠した初乃が周りを見回しているが、むしろその姿の方が怪しい。いかにも、何か聞かれてはマズい事を言ったという仕草であった。
晟生が微笑したのは、それを可愛らしいと思ったからだ。
「昔ね。うーん平和だったかな、平和すぎて刺激がなくて退屈かな」
「それは私からしますと――」
「分かるよ贅沢な話だって事はね。平和で安全な方がいいって事は当然だと思うよ。でも社会全体に閉塞感と言うか……うん、行き詰まった感じがあったかな」
頑張ったところで報われない、または努力をしたところで評価されない。容姿や性格の時点で評価が決まってしまう現実があった。それでも成功する者は成功したが、その背後には同じ舞台で夢破れた無数の者たちが存在する。
コップの水に映る自分の姿に晟生は自嘲的に笑う。もし、当時に今の容姿であれば人生の成功はきっと約束されていたはずだ。
「もしかしてさ、ぼく思うんだけどさ。大戦が起きた理由ってそれじゃないの?」
「うん?」
「だってさ皆が不満だったわけでしょ。だから不満がいっぱいのいーっぱいになって抑えられなくなったかもだよ。それで喧嘩みたいに大戦が起きたのかも」
「…………」
初乃の言う事は無茶苦茶かもしれないが、考えてみれば大国同士の摩擦を掘り下げれば、案外とそんな事が発端かもしれない。世の中とは案外と単純なものなのだから。
「でもさ晟生ってば、アマツミカボシを着装してコールドスリープだったでしょ。案外と大戦に関わってたりして」
「初乃っ!」
愛咲の叱責は鋭い。雑談していた皆も何事かと驚き、食堂の中が静まり返った。失言に気付いた初乃はショックを受けた顔をとなって下を向いている。
「あっ、ごめんなさい……」
「気にしなくていいよ。うん、確かにそうかもしれない」
「ごめん、ぼくそんなつもりじゃなくて」
「分かってるよ。気にしてないから、初乃も気にしないでおこう」
明るく言った晟生ではあったが、心の中では忘れていた悩みが復活。そこに新たな悩みも加わっており、今夜も寝られなさそうな予感がしていた。
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