第68話 別れは新たなる始まり

「ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ」

 晟生せおの足にしがみつくフーコは同じ言葉を繰り返す。

 あまりにも連続するため、ヤダと言っているのかダヤと言っているのか分からなくなるほどだ。一気に言って呼吸が苦しくなったのか、ついにはゼエゼエ喘ぎ肩で息をしだす。

 久杜ひさもり和華代わかよの率いるトリィワクスは次なる地を目指しシズオカの地を発つ事になったのだ。

「あっ、あのさ晟生ってばさ。フーコを連れてくとか駄目?」

「出来るわけない。たとえば初乃ういのが、トリィワクスから降りて残るように言われて出来る? 出来ないし周りだって許さないでしょ。それと同じ事だよ」

「……うい」

 仲良くなったフーコに残って欲しかった初乃は悲しそうに項垂れた。

 晟生も拾って世話をするつもりであったフーコと分かれる事は寂しい事だ。けれど、ようやく再開できた母親と引き離す事など出来るはずもない。

 ここで別れる事は仕方がない事だった。

 だが、フーコは全く聞き入れようとしない。

「海ニクル。フーコ世話スル」

「そういう訳にもいかないから。ごめんね」

「ヤダァーッ!!」

 大きく叫んでついには泣き出してしまった。まるで子供だが、実際に子供なのだから仕方がない。困り果て周囲を見回すが、愛咲も彩葉も困った顔をするばかりで助けになりそうな様子はなかった。

 そもそも、この件に関しては晟生がどうにかせねばならない事なのだ。拾った事に対する責任の一環でもある。

「フーコガ嫌イニナッタノカ? イイ子ニスルカラ、イッチャヤダ」

「そうじゃないんだ。そうじゃなくて……」

「イッチャヤダ……」

「ごめん、行かなきゃ駄目なんだ」

 残って海辺で暮らすという方法もあるが、それは選択肢にはできない。

 晟生にも自分の身体の変化や素性、元の時代との繋がりを調べる目的があるのだ。そして何より、今ではトリィワクスを住居と思い仲間たちとも離れたくない思いもある。

 フーコの母親ケーフが何か事情を知っていそうな気配もあるが、恐らく彼女は喋らないだろう。嫌がらせや意地悪としてではなく配慮が――何か理由は分からないけれど――あっての事らしい。

 しかし、それは苦痛だ。

 答えを知って教えてくれない者の側に居続ければ、答えを調べようとするより、答えそのものを聞き出そうとする方に意識が向いてしまう事は間違いなかった。しかも、苛立って思い詰めれば最終的には何をするか分からなくなる。それであればケーフの側に居ない方がマシだ。

 とはいえ、そんな理由をフーコに言うこともできない。

 晟生はそっとしゃがみ込むと、頭を撫でてやる。

 何度か手入れをしてやって髪は滑らかさを持ち、すっかり手触りが良い。そこにある小さな角を触っても嫌がる素振りは少しもなかった。

 短い付き合いであったが、すっかり懐かれてしまっている。

 別れを思えば、晟生だって胸が締め付けられるような寂しさを感じていた。

「でも、必ず戻ってくるから」

「…………」

「必ず戻ってくるから待っていて」

「…………」

 返事はない、しゃくりあげて泣くだけだ。

 屈み込んだ晟生は視線を合わせ、その小さな身体をぎゅっと抱きしめてやる。痩せた背中を軽くトントンと叩いてやるが、今はそんな慰め程度しか出来なかった。

「……ホント?」

「本当」

「ホントノホント?」

「本当の本当」

「ホントノホントノホント?」

「本当の本当の本当」

 辛抱強く晟生が応えると、フーコは少し身体を離し下唇を噛みしめた。そのまま、じっと目を合わせて見つめるのだが、少しして頷いた。どうやら嘘ではないと納得してくれたらしい。

「マッテル、ズットズットマッテル」

 そしてフーコは晟生の頬を両手で挟むと、顔を近づけ軽くキスをしてみせた。

 可愛らしい子供のキスで微笑ましいもので――とりあえず背後で低い唸り声が聞こえた事は気のせいに違いない。何にせよ、今は絶対に振り向かない方が良いだろう。間違いない。

 微妙な空気の中で靄之内が大声で笑う。

「はっはぁ! 良いではないか良いではないか、我が靄之内でも面倒を見ておく。偶に来て会って可愛がってやれい。うむ、現地妻というのも乙なものであるぞ――ぐふぉっ!」

 靄之内はミヨAKの会心の一撃を腹に貰いぶっ倒れた。そこに助走をつけたフーコが跳び蹴りでトドメを入れる。なかなかの連携だ。これならば靄之内グループで教育やら何やらを受けても安心に違いない。

 悶えるバカな男の巨体を眺め、とりあえずシズオカは大丈夫だと晟生は思った。

 初乃も加わりフーコと一緒に靄之内を踏んで遊んでいるが、その姿にメイドや海棲生物たちからは拍手と歓声がわき上がっているのだ。この調子であれば陸と海は、きっと手を取り合い協力していけるに違いない。

 馬鹿の末路を美しい結論に結びつけていると、海棲生物の間からケーフが現れフーコを大事そうに抱き上げた。

 我が子に愛おしげに頬ずりする様子は、人のそれと少しも変わることはなかった。青白い肌、黒目だけの眼や青白い肌、珊瑚枝のような角、羽のような鰭があって姿は異なれど、心は同じ人間なのだ。

「空知晟生ヨ、ソナタニ感謝ヲ。アリガトウ」

「別に大した事はしてませんよ。いろいろと偶然が重なっただけですから」

「ダガ助ケラレタ。サテ、助言ヲ覚エテイルカ?」

「もちろん」

 それは『お前はお前でしかなく間違いなく空知晟生だ』といった意味の分からぬ内容だ。確かに姿形が変わっていようとも、自分は自分である。その事は間違いのない事だ。

「モウヒトツ助言ヲシヨウ。一度故郷ニ行ッテミルノダナ」

「え?」

「ソレデ何ガアルトハ知ラヌガ、昔聞イタ話デナラ行ッテミルノモ悪クナイハズ」

「聞いた話って……」

 戸惑う晟生が聞き返そうとも、ケーフはそれ以上は何も言おうとはしなかった。固く口を閉ざす様子は、喋りすぎたと反省している様子にも見える。何としても聞き出してやりたいと、少しだけ強引な気持ちが思考を掠めた。だが、すぐに仕方が無いと諦める。

 行けと言われたなら言ってみるしかないだろう。

 時間も距離も遠く離れた故郷に思いを馳せていると、復活した靄之内が立ち上がった。多少蹌踉めきはするが、あれだけ踏まれてなかなか頑丈な男である。

「我が友よ、必ず帰って来い。我が靄之内はお前をいつでも歓迎する。そして、お前が留守の間にこの地を少しでも栄えさせておこう。海産物もどっさりになるだろうからな、また美味いものをつくってくれい」

「分かったよ」

 差し出された手を晟生は握り返した。

 それに応える靄之内は力強く真面目な表情を見せる。しかしそれも直ぐに、にやけた笑いに変じてしまう。あげくに、手を包み込みすりすりまでしだすではないか。

「もちろん俺の隣の席は空けておく。お前をいつまでも待つぞ、フォーリンラブ」

 晟生はさっさと手を振りほどき、汚れを落とすように服でこすっておいた。

「誠に申し訳ありません。我が主に変わりまして私、謝罪致します」

「気にしなくていいから。こういう生き物だって理解してるから」

「ご理解頂き、誠にありがとうございます」

 恭しく頭を下げるミヨAKであったが、艶然とした表情を浮かべてみせる。唇は艶やかで色っぽく、囚われの時に襲われた事を思い出し晟生は赤面した。その考えを読まれでもしたのか、メイドは小悪魔的な微笑みを浮かべている。

 ささっと愛咲が間に入りミヨAKを両手で押して晟生から遠ざけた。

「はい、お別れですから。さようならです」

「まあ可愛らしい。私、微笑ましく思いますわ」

「このっ、人を馬鹿にしたような態度……」

「いいえ、とんでもありませんわ。よいですかうぶなお嬢さん、女は度胸なのです。手に入れたければ、攻める時に攻めて行きましょう。私、お節介ながら助言させて頂きます」

「な、なんでしょうか」

「良いですか、まず晟生様をベッドに縛り付けます。上に跨がり自分の手で――」

 ねっとりと説明しだすミヨAKに晟生は教育的指導による蹴りを放つ。さすがにそれは、見事に回避されたが黙らせる事に成功。

 ちらりと見れば愛咲は顔を真っ赤にしながらぷるぷる震えていた。何かを想像し悶えているらしいが、それが何か追及はしない方が良さそうだ。

「とりあえず、出発しようか。これ以上、艦の皆を待たせられないから」

 装甲車両へと向かい、フーコと別れの挨拶をした初乃が駆けてくるのを待って乗り込む。エンジンが始動、始めはゆっくりと次第に速度があがっていく。

 見送る人々に手を振り応えながら、徐々に遠ざかっていく姿を眺め続ける。箱のような形状をした艦――トリィワクスへと近づいていく。

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