第67話 陸と海の仲介役

「ママ!」

 走って来た娘は海棲生物の胸に飛び込んでいった。探している娘の特徴を聞いてから僅か五分かそこら後の再会だ。具体的にはトリィワクスに行って戻って来た程度の時間である。

 つまり探していた娘とはフーコであった。

 破壊された港湾部に海棲生物たちは集まり、再会の様子を凝視している。人間に近い姿形の者は嬉しげな表情だが、多くは表情が分かりづらく分からない。だが港湾に浮かぶ巨大海棲生物は触手をウネウネと踊らせているので喜んでいる筈だ。おかげで磯臭さが、どうにも強い。

 そして陸上側は微妙な顔だ。

 海棲生物を刺激せぬ程度に人が集まったメンバーは、油断なく相手を見やっている。何かあれば即座に動けるようにと、靄之内の親衛隊や愛咲たちトリィワクスの戦闘班は素体コアを着用した状態だ。ただし晟生は相手が襲ってくる事はないと判断し、あえて素体コアを除装している。

 そして――。

「うむっ感動であるな! 俺はこういうのに弱いのだ……」

 靄之内もやって来て、母娘感動の再会の横で鼻水をすすり、雰囲気をぶち壊しにしている。遅れて到着したミヨAKが素早く鼻紙を差しだし、メイドの仕事を立派にこなしていた。

「出会えて良かったですね。ええっと……」

 晟生が言葉を濁したのは、目の前の海棲生物の名前を知らぬためだ。察した相手は頷く。

「私ノ名ハ、ケーフ」

「そうですか。良かったですね、ケーフさん」

「ヤハリ空知晟生ハ頼リニナル」

「…………」

 何を知っているのか尋ねたかった。

 ケーフは晟生の姿が変わった理由や、空白の期間の事を間違いなく知っている。だが、問いかけに対し応えてやれないと明言されているのだ。それを蒸し返し頼んだところで徒労に終わるどころか、相手の機嫌を損ねむしろマイナスでしかない。

 あえて話題を変えておく。

「でもどうしてフーコは、シズオカの街に一人で居たんだ?」

「陸見テタラ、ミンナ消エタ。泣イテタラ誰カガ街ニ連レテ来テクレタ」

 フーコは晟生を見上げながら言った。

 まるで他の者が勝手に居なくなった口ぶりだった。もちろん間違いなく迷子なのだろうが。

 それなら海に行けばよいと思った晟生であったが、直ぐに気付く。港湾部は出入りが規制されて近づけず、街も生物兵器の襲撃や不法侵入に備えフェンスなどで囲われているのだ。つまり中途半端に親切でお節介な誰かのした事は、フーコをシズオカの街に閉じ込められたに等しい。

「とりあえず、めでたしめでたしかな?」

「我が友よ。しかし、事はそう簡単ではないのだよ」

 大きく鼻をかんだ靄之内は赤アロハのシャツにハーフカーゴパンツ姿で偉そうに言った。太い腕を組みつつ、困り顔で前に出る。海棲生物へと平然と近づくため、メイドたちは咎めようとするもののミヨAKに制止され誰も何も言えない。

「ここからは外交だ。悪いが襲撃されて、はいそうですかと終わらせる事はできんのだよ。確かに娘を探しての行動かもしれぬ。だが、周りを見るといい」

 大仰な仕草で周囲に腕を振り向ける。殆どの建物は倒壊し瓦礫と化しており、何もかもが滅茶苦茶だ。その何割かは愛咲たちの戦闘が原因で、賢いトリィワクスのメンバーは黙りを決め込む。

「この通りに施設の被害は甚大、係留中の船も多数が沈没。幸いにして死者は出なんだが、怪我人は多数という有り様だ」

「何ガ望ミダ?」

「うむ、まどろっこしい駆け引きは面倒。単刀直入に言おう、我らは不戦協定を結びたいと考えている。そちら中で意見を調整し、出来るだけ早く回答が欲しい」

「ソノ協定ヲ承諾シヨウ」

 あっさりと言ったケーフに靄之内は当惑を隠せない。

「随分と早いな。本当に大丈夫であろうな?」

「私ガ群レノ長デ、私ノ意思ハ全テニ優先スル。問題ナイ」

 あっさりとケーフは言った。

「タダシ海ニハ我ラ以外ノ勢力モ存在スルガ、ソチラハ知ラヌ。ソレカラモーヒトツ、協定ノ仲介トシテ空知晟生ヲ指定スル。彼ノ者ノ名ガアレバ、私ハ陸ノ者ヲ信ジヨウ」

「おう、それは良い考えだな。俺も晟生と名を並べたい。ふふふっ協定書を婚姻届風にするのも良いではないか。良いではないか」

「コイツ大丈夫ナノカ?」

 ケーフはとても不安そうで、晟生は高笑いをする靄之内に蹴りを入れて黙らせておいた。下らぬ事を言ったからではない。こうして怒って止めておかねば、本当にやりかねないのだ。怪しげに改悪された協定書にサインするなど、絶対に避けたい。

「我が友よ酷いではないか」

「煩い黙れ。それより協定書はいつ結ぶの? トリィワクスが駐留している間しかいられないからね。あまり長引くと知らないよ」

「安心するがよい。我が靄之内グループの事務方を舐めてくれるな、協定書の文案など明日の朝までには完成させてくれるはずだ。間違いない」

「さらっと徹夜仕事を決めるとは……邪悪なブラック経営者だね」

「のーのー、それ違う。正当な対価として特殊勤務手当を弾むからブラックではないのだ」

 賑やかしげに騒ぐ晟生をケーフは静かに見つめる。その様子は優しそうでありながら、同時に憐れみも漂うものだ。そして何も言わず自分の娘を強く抱き締めた。


◆◆◆


 靄之内グループ事務方の尊い犠牲があって、協定書は一晩で完成した。それを成し遂げた事務方は、今頃は爆睡して夢の世界に違いない。

 ちゃんと真面な書式で整えられた協定書に靄之内とケーフの署名がなされ、間に晟生の名前が書き入れられ協定書調印は完了した。そうなると、後に待っているのは――祝賀式だ。

 会場には人に近い姿の海棲生物たちが揃っているものの、仲間で固まって動こうとしない。昨日の敵は今日の友とは言うものの、流石に直ぐさま交流が図られるわけではなかった。もちろん人間側も同様で、遠巻きにして眺めるのみだ。

 ただし一部を除く。

「どうだ、これを食べると良い。我が友の料理だが、辛い美味いで最高なのだ」

「ムッソウナノカ」

「おうよ、これを食べるとやみつきになってしまうぐらいに美味い。さあ、思い切っていけ」

 すっかり伊勢海老の唐辛子炒めが気に入った靄之内はケーフにもそれを勧めている。下手すれば結ばれたばかりの協定が破棄されかねない事態だ。しかし、周囲が止める前にケーフは食べてしまう。ひと口して目を見開き、さらに食べて頷き後はバクバク食べだした。

「不思議ナ味! コレハ凄イ、身体ガ熱クナル」

「そうであろう、そうであろう。我が友の料理は世界一いいぃぃ!」

「コレ、モット食ベタイ」

 お代わり所望のケーフは唐辛子まで全て綺麗に食べ尽くしている。その様子に他の海棲生物も生唾を呑み、同じ料理を要求しだした。その過程で少しではあるが、人間との会話も生まれている。

 かくして晟生は泣きながら伊勢海老の唐辛子炒めをつくり続けるはめとなった。


「ああもうっ、酷い目に遭ったよ。おのれ靄之内め……」

 晟生はぐったりしながら呟いた。 

 酷い目とは、激辛料理の蒸気を浴び目や顔がヒリヒリしている事だ。氷を入れた袋に顔を載せながら休憩。やり遂げた感はあるものの、それ以上に大量の料理で疲れきっている。

「でもニャ、あちしが思うに最初に晟生がそんな料理を出すのが悪いと思うニャ」

「…………」

 晟生は無言でミシェを掴むと、その口に唐辛子を放り込んでやった。悲鳴など一顧だにすらしないのは、人は誰しも都合の悪いところを指摘されると怒ってしまうからだろう。

「空知晟生、美味シイ食ベ物ヲ感謝スル」

「いえどうも。あっ、そうだ。それよりあの大きい生物を倒してしまった事だけど……」

「アレカ? アレハ構ワナイ。他ノ連中ノ餌ニナッタダケダ」

「ああ、そう……」

 まるで共食い容認の言葉だが、そこは文化と言うべきか考え方がまるで違うのだろう。もしかすると、あの巨大生物兵器は人間で言うと家畜のような存在かもしれない。きっとそうだと思う事にした。

 話をしようとしていると、フーコがケーフの膝から移動してきた。式典に参加という事で、お洒落なワンピースを着せられているが台無しだ。それを片手で直してやりながら会話を続ける。

「これで近辺が安全になれば、食材も安く手に入るよ。ありがとう」

「ダガ海ニハ我ラ以外ニモ勢力ガアル。必ズシモ安全トハ限ラヌ」

「そっか海は海で縄張り争いがあるんだよね。確かに陸の上でも、お互いに争う状況だし当然と言えば当然って事なんだね」

「ウム、コノ辺リノ縄張リハ我々ガ持ッテイルガ安全デハナイ」

「ふーん……そうだ! 靄之内に雇われる気ない?」

 晟生は腕組みして頷いた。そして、ポンッとフーコの頭を叩いて笑顔をみせる。

「ナンダト?」

「なんだと?」

 戸惑いの声は二カ所からあがった。

「ケーフの仲間に護衛して貰いながら漁をすれば安全でしょ。でもってケーフたちは委託金が稼げて、それで陸上の食糧や食事を買えばいい。お互いにメリットがあると思うけど」

 不戦協定をさらに推し進め、陸と海との交流。いきなりの突拍子もない意見だが、靄之内もケーフも真剣に考えだす。

「委託のお金ガアレバ、コンナ料理ガ食ベラレルノカ?」

「シズオカの料理人に頼めば大丈夫だと思うけど……あと、これが気に入ってくれたのならレシピを渡しておくよ。もっと美味しく料理してくれるはずだから」

「ソウカ……デハ、ソノ話ヲ受ケヨウ」

 かくして靄之内と海棲生物の取引は、晟生の言葉一つであっさりまとまった。

 これがシズオカの地を発展させ、引いてはこの荒廃した世界の復興と発展に影響を与えるのだが、それはまだ少し先の事だろう。

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