第64話 スクランブルにステキはいらない

 シズオカの漁港は多くの人で賑わっていた。

 遠くまで見通せる海面は穏やかで、眩い日射しを反射しキラキラ輝く。そこを漁から戻る船が大漁旗を掲げ、しかも一隻も欠けず戻ってくる。帰りを待つ人々の喜びと期待の歓声は、普段以上に大きい。

 誰もこれから起きる出来事を想像さえしていなかった。

 まず、一隻が揺れた。

 波による揺れが少し大きかったと気にもされず、しかし次の揺れで歓声に戸惑いが混じる。さらに揺れは止まる事なく続き、遂には戻る事なく傾いでいき、そのまま転覆。残りの船も同じ運命を辿る。一隻二隻と傾いでは転覆していく。

 その原因は、横腹に張り付いた白く長く太い何かだ。

「なんなの?」

 あ然とする人々の前で、海面を割り何かが姿を現す。半透明の半円形をした存在だ。その表面から海水が滝のように流れ落ち、周囲に水しぶきがあがる。何本もある触手が、船を転覆させた原因であった。

 上部には人の姿が何体も確認できる。

 ただし、それは人に似た姿と言うべきだろう。白や青や銀をした肌が見られ角や棘といったものが見られる。その時点で、ようやく集まっていた人々は理解した。

 自分たちの目の前に出現した存在が何であるかを。

「海棲生物の襲撃!? どうしてここに!」

 大戦時に放たれた海洋生物兵器が港付近に出現するなど、かつてない出来事だ。

 接近する姿に、ようやく人々の間から悲鳴があがり一斉に逃げ出し始めた。警報が鳴りだしたのは、それから少し後となる。


◆◆◆


「靄之内より緊急連絡」

 トリィワクスの艦橋に通信担当の鋭い声が響いた。雑談していたクルーは即座に黙り、艦長席で瞑目していた和華代は静かに目を開く。

 既に雰囲気は戦闘モードだ。

「海棲生物がシズオカ市街に上陸。よって当方と緊急随契を結び、神魔装兵の出撃を依頼したいとの事です。市民の救助が第一、次に海棲生物の撃退。戦闘による市街への被害について責任や賠償は問わず、独自判断で行動して欲しいとの事です」

「相手の規模は?」

「情報がありません。保有する全装兵の出撃を希望されています」

「ふむ……副長?」

 唸った和華代は傍らに声をかけた。

 それだけで、副長である沖津は問われているであろう内容を理解している。長年の付き合いだけでなく、彼女の有能さも大きい。

「海棲生物は陸上でも活動可能です。個体によっては強力な存在もいますが、海中でさえなければ神魔装兵の脅威とは言えません。ただし問題は数で、最悪は海中に引きずり込まれる可能性も充分にありえます。出るのであれば、常に複数で行動するべきでしょう」

「なるほど」

「現状の艦運営費は潤沢ではありますが、万全とまでは言い切れません。リスクは低く、一方で報酬は期待出来る。ここは受けるべきと判断いたします」

「…………」

 腕組みする和華代に皆の視線が集中する。指先を忙しなく上下させつつ黙考するのだが、その判断に艦と何十人もの仲間の運命がかかっているのだ。読めない部分は幾つもある。

 しかし――和華代は力強い眼で皆を見回した。

「靄之内に受けると伝えな。艦内に第一種戦闘配備を通知、神魔装兵の全機はスクランブル。艦は陸港を出て近郊に移動、機関アイドリングで待機。レストアが完了した機動兵器は甲板にあげ防御にあてる」

 つらつらと指示される言葉に、打って響くようにクルーが動きだす。それぞれが、それぞれの役割を果たすべく行動し、トリィワクスの艦内はにわかに騒々しくなった。


◆◆◆


 時間が少し遡った食堂。

「どうぞ、ステーキでございます。ミシェお嬢様」

「よしよしなのニャ。おっと、食べる前に水のお代わりが欲しいのニャ」

「畏まりました」

 恭しく言った晟生が合図をすると、愛咲が大急ぎで水差しを運んでくる。さっと受け取り、これまた丁寧な仕草で注いでみせる。まるで出来る執事のような様子であり、実際にそれを努めているのだ。

 食堂に来たミシェであったが、初乃がチヤホヤされる様子に加え鳥雑炊が既に食べ尽くされていた事で、打ちひしがれ拗ねていじけてしまった。仕方なく自動調理機で一番高いステーキを奢ってやる事になったのだ。

 それでも拗ねるため燕尾服――誰がどうして持っていたのかは謎だ――まで着て執事の真似事までして御機嫌取りだ。何故にこんなにも気を使わねばならぬのかと、晟生は不思議でならない。

 すっかり仲良しな初乃とフーコは、テーブルにかぶり付きで羨ましげに見ている。ただし初乃は執事ごっこで、フーコは食べる方に対してだが。

「ニャハッ、そんならステーキを食べるのニャ。こりゃまた最高なのニャ」

「普段から食べてなかった?」

「もちろん、そうなのニャ。でも、これはそんじょそこらのステーキと違うのニャ。奢りの上に、晟生の奢りなのニャ。もう存在価値からして違うわけなのニャ。分かるかニャ?」

「分かんない」

「ニャーッ、これが分からんとは修行が足りないニャね」

「あーそう」

 良く分からない晟生は適当に返事をするが、しかし周りの女性たちはミシェの言葉に分かる分かると頷いている。どうやら修行が足りないのは晟生とフーコぐらいのようだ。

 ミシェは上機嫌にナイフとフォークを手に取り――艦内に緊急放送が流れる

『総員、第一種戦闘配備。装兵乗りはスクランブルせよ。総員、第一種戦闘配備。装兵乗りはスクランブルせよ』

 食堂の空気が変わった。

 和やかな雰囲気がピリッと引き締まり、周りで寛いでいたクルーたちは厳しい顔で食堂を飛びだしていく。見る間に人の数が減り、もちろん戦闘班では愛咲と初乃は先頭に立っている。

 だが、彩葉はまだであった。

「ミシェ、行くのですよ」

「せめて一口! せめて一口だけでも、ニャー!」

「うん、だめです。スクランブルが優先ですので、撤去します」

「イヤニャー!」

 叫ぶミシェだが連れ去られる寸前に一切れをフォークに突き刺す。彩葉に引きずられながら食べて見せた。何と言う食への執念、いじましさ。

 それを見ていた晟生だが、のんびりしていたわけではない。燕尾服の上を脱ぎ捨てたところで、残していくフーコをどう扱うべきか迷っていたのだ。

 幸いにも救護班の女の子が預かりをかって出てくれた。

「よかった助かるよ、ありがと」

「はい、お任せを! しっかりお預かりしますです」

 今にも舌を噛みそうな様子に上擦った声。緊張しきった様子の相手に一抹の不安はあるが、感謝してフーコを預けておく。何か寂しそうな様子で、それでも大人しくされるがままの姿を後ろに走りだした。

 出遅れた分を取り戻すべく、晟生は通路を疾走する。

 忙しげな数人とぶつかりそうになりつつ、拝むように謝りつつ通路を走り抜け格納庫に到着。ちょうどパイロットスーツ風に着替えた愛咲たちが、走ってくるタイミングであった。

「着替えますか? 手伝いますが」

「このままで大丈夫」

 晟生は返事を待たず、ハンガーにかけよりタラップをあがり純白の素体コアへと入り込んだ。装着プロセスで足が固定され腕が固定される。さらに胸面部がスライドしながら閉じ、身体感覚が広がるように装甲と一体化しだす。

「あーあ、あちしのステーキが。戻ったら、もう一回頼むのニャ」

「確かに気の毒だよね。うん、気持ちは分かるよ。だけど断る」

「鬼、悪魔、晟生なのニャ……」

 ぶつぶつ言うミシェの言葉を聞き咎めたのか、出撃準備の補助をしていたリーヌがケットシーの素体コアをスパナで叩いている。もちろん何のダメージも与えてはいないが、それでミシェは静かになった。

 隣のハンガーで愛咲は笑っている。

 ヴァルキュリアの素体コアは装甲が身体を覆うと同時に、愛咲の体つきを胸の膨らみに腰のくびれまで忠実に再現。背面の翼状ユニットは畳まれた状態で武装のランスも背に装着された状態だ。

「仕方ないですよ。そもそもミシェはお肉ばっかりですから、野菜を食べましょうよ。そうです晟生さん、戻ったら何かサラダをお願いしたいです」

「サラダとかなんて、あちしは興味ないのニャ。だったら仕方ないのニャ。港で見つけた美味しそうな珍しい果物を出すのニャ。それで何か頼むのニャ」

「珍しい果物ですか?」

「そうなのニャ。なんでもパイナッポーとかいう甘い果物らしいのニャ」

「でしたら間を取りまして、そのパイナッポーでサラダというのは――」

 これからスクランブルで出撃だが明るく楽しげだ。むしろ、危険が待っているからこそ軽口を叩いているのかもしれない。

 網膜に何かの数値パラメーターと起動プロセスが表示され、赤の項目が全て緑に変じる。ハンガーのロックが解除され、両足で格納庫の床を踏み締めた。前に出ようとするが、彩葉の大きなサイズの素体コアが滑るように前に出る。

「お先に失礼なのです」

 割り込んだようだが、恐らくそれは違う。スクランブルという状況下で、まず先に自分が出て状況を確認する。そうした考えの出来る女性なのだ。

 今は出遅れているが、もちろん愛咲も同様の事をするに違いない。

 出撃用ハッチで少し並び、彩葉に続き晟生も飛び出す。そしてトリィワクスに所属する素体コアは次々と発進していった。

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