第62話 褒めて伸ばして宥めて誤魔化せ
食堂内には困った雰囲気とでも言うべきか、何とも言えぬ空気が漂っている。とても静かな状態で、べたっと張り付いたテーブルに頭を載せた
とりあえず泣き止んではいるが、ミディアムなショートの黒髪の下でエメラルド色した目には力がない。それを
食堂にいた他のクルーたちは心配げに様子を見守っている。
だが野次馬や物見遊山ではない。皆にとって初乃は妹的存在で心配をしているのだ。その証拠に目配せから身振り手振りでまで、晟生に早くなんとかしろと合図を送ってくる。
晟生は小さく嘆息するしかなかった。
面倒をみるフーコの紹介をしただけで泣かれ、あげくに悪者扱いまでされているのだ。これを理不尽と言わずに何を言うのだろうか。
「えーと、お腹空いてるでしょ。何か食べる?」
「…………」
こくん、と小さく頷いてくれた。
安堵した晟生は、これで助かると調理場にいそいそ向かう。鳥雑炊を温め、少しだけ味を調え初乃好みに胡椒を利かせ、熱々を持って来る。
「さあ、どうぞ」
とりあえず助かった――と、思ったのだがそれは早計であった。
初乃は食べようとしないのだ。
頭を抱えた晟生が助けを求め周囲を見回すと、向こうで女性クルーたちが身振り手振りで合図をくれた。まず一人がフーコを指さし、もう一人が手にしたスプーンを隣の口に近づけ、その一人が初乃を何度も指さす。
言わんとするところは分かった。
「ほら、あーん」
助言を元に行動するのだが――初乃はちらっと見て少し考えたものの、ぷいっと横を向いてしまう。どうやら、まだ何かが足りないらしい。
晟生は顔を上げ片眉をあげてみせる。
その助けを求める様子に、今度は別の者が手を挙げた。そして隣の者を抱え、抱えられた者が自分の膝を叩いているではないか。
言わんとするところは分かった。
なんと面倒くさいことかと、全ての事情を察した晟生は目を上にやった。
「よいしょっと」
背中を丸めた初乃の両脇に手を差し込み抱き上げ、そのまま椅子に座って膝に載せてやる。正しくは載せるのではなく跨がらせた状態ではあるが、とりあえず膝の上に載せる事が重要だ。
そのまま、お腹に腕を回し引き寄せながら抱き締めると、鳥雑炊がささっと運ばれて来る。スプーンですくってやり初乃の口元へと近づける。
「ほうら、美味しいから食べて。これは初乃の好みに味をつけなおしたからね」
「……ぅぃ」
「食べてくれて嬉しいね。美味しい? もっと食べる?」
「……ういうい」
「そっか、どんどん食べてね」
これ幸いと、フーフーと冷ましてやっては食べさせていく。その一口毎に初乃の様子が変化し元気を取り戻していった。どうやら全ての課題をクリアし、正解への扉を開いたらしい。周りで応援していた女性たちは手を取り合い喜び、小さく拍手する者までいた。
「美味しいか?」
「うん、美味しい。晟生みたいに優しい味がする」
「何それ変な表現だね」
「いいの、そうなの」
はにかむ初乃と話をしていると、そこにフーコがやって来た。側に立って、じぃっと見つめだすが何やら不思議そうな様子だ。対して初乃は不機嫌な顔で見つめ返す。
周囲が固唾を呑んで見守り――。
「がおーっ!」
初乃があげた威嚇の声に、フーコは跳び上がると大慌てで彩葉の元へと逃げて行った。飛びつくようにしがみつくと、そこから威嚇し返している。それに対し初乃が威嚇を続け……まるでファーストコンタクトに失敗した猫同士のようだ。
がっかりした雰囲気の中で晟生は止めた。あまりにに大人げない。
「こら、止めなさい」
「だってさ、だってさ。だってさ……」
「よしよし。ほら初乃は可愛いなぁ、今日もお仕事頑張ったよな。良い子良い子」
ここで泣かれて堪るかと、晟生は強引に褒めて撫でて誤魔化しにはしる。
そうしてさえいれば機嫌は良くなるはずで、なんとか有耶無耶の内に仲良しになって欲しいと願う気持ちだ。
「フーコは街で拾ってきて、これから面倒をみてく事になってるから」
「…………」
「喧嘩したりしないで仲良くね。分かった?」
「……うん」
不満そうな初乃の元へと、彩葉がフーコを運んできた。両脇に手を入れ持ち上げ、そっと近づけさせる。ただしフーコは目を動揺させ、そこには怯えの色が浮かんだ状態だ。
「ほら仲直りで、撫でてあげようか」
「うーっ、分かったよ。ぼく撫でるよ、撫でればいいんでしょ」
「そうか初乃は偉いなぁ」
「もぉ仕方ないから――いだっ!」
突然初乃が悲鳴をあげるのは、伸ばした手をフーコが噛んだからだ。怪我はしてないが、しばし痕が残り赤くなる程度には強い。もちろん怯えから来る行動であったが、噛まれた初乃からすると堪ったものではなかった。
「がおーっ!」
「フシャーッ!」
引き離された両者は互いに威嚇し合う。
残念そうな沈黙が食堂に立ちこめた。どうにも相性の悪そうな雰囲気なのである。晟生は深々と息を吐き、この反応には困り果てるしかない。
先程から姿を消していた愛咲が戻って来た。
「はい、どちらも落ち着きましょう」
両手に持ったコップを机の上に置く。
「二人とも、これを飲みましょうね。蜂蜜シロップシュワシュワジュースです」
押しつけるように持たせ、飲むように促す。
フーコは軽く鼻を近づけ細かく跳ねる水に驚いた様子であった、軽く舌をつけ甘さと刺激に目を見開き飲みはじめた。そちらを見やり険しい目つきをする初乃も飲みだす。
そのまま愛咲はさっとフーコを持ち上げ、ややもすると強引に初乃と並べてしまう。ぎょっとするのは初乃だけで、もう一方は初めての飲み物に夢中である。
「フーコさんは小さいですから、初乃も少しだけ我慢してあげましょう」
「でもさ――」
「ここはですね、初乃がお姉さんとしての役割を果たすところですよ」
「ぼくがお姉さん……」
「そうですよ、初乃はお姉さんですから」
「お姉さん……」
たちまち初乃はパッと明るくなった。その顔は、少し悶える種の笑顔でさえある。これまでトリィワクスの中で最年少だったのだ。初めてできた年下の存在に興奮気味という事らしい。
「ぼくがお姉さんか、もうしょうがないなぁ」
さすがは実の姉で妹の扱いを心得ているらしい。
周りで見守る者たちは、微妙な気分で初乃を見やりチョロいと思ったに違いない。もちろん晟生もそう思っている。
フーコは夢中でジュースを飲んでいたが、ようやく自分の居る場所と隣の初乃に驚いた顔をする。案外と鈍い。これでよく世間の荒波を生きて来たものだと感心するぐらいだ。
「ほらフーコさんも恐がらない。初乃お姉ちゃんは味方ですから」
「恐クナイ?」
「もちろんですよ。そうですよね初乃お姉ちゃん?」
後半で同意を求めると、当然と言わんばかりの反応があった。
「もちろんだよ。ぼくが面倒みてあげるからさ」
「イヂメナイ?」
「もちろんだよ。さっきは、恐がらせてごめんね」
「……カンデゴメン」
「ぼくもごめんね」
「ヨロシク。初乃オ姉チャン」
その言葉に初乃は陶然とさえしている。傍に居る晟生には、お姉ちゃんという言葉を呟く初乃の声が聞こえた。どうやら、これで一安心らしい。
「ぼくがフーコの面倒みてあげる。だから、何でも言って相談してね」
「分カッタ。オ姉チャン」
とりあえず両者の間で会話がなされ、友好が結ばれた。ほっと安堵する晟生だが、そろそろ二人には膝から降りて欲しいところだ。軽いとは言えど二人分の体重は辛い。ただしそれを重いと言わず耐えるだけの分別と賢さが晟生にはあった。
「それよりそうだよ。何か凄い事になったとか言ってなかった?」
「あっ、そうだったよ。実は僕とミシェはね――」
そのときであった。
食堂の外からドドドドッと足音が響き、勢いよくドアが開く。皆の注目を集め飛び込んで来たのは、誰あろうかミシェだ。身体にぴったりしたパイロットスーツスーツ風の姿だが、どうやら帰艦した後は着替えずにいたらしい。
「ニャッハー、艦長への報告も終わったニャ! ご飯ニャ、ご飯ニャ。今日はひさびさ真面目に頑張ったんで、お腹ペッコペコだニャ。思いっきり食べてやるのニャ。おっと晟生もいるニャ――――」
はしゃいだ様子のミシェであったが、ふいに口を閉ざす。その目は晟生の膝に載る二人に向けられている。
「何してるニャ」
面倒くさい事になりそうな気配に全員がため息を吐いていた。
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