第61話 熱ものに懲りてフー×2

 目を閉じるだけで褐色の肌が脳裏に浮かび、手には感触が蘇る。もうゴールしてもいいのではないかと、何度思ったか分からない。なんとか思いとどまったのは、やはり自分の身体がこうなった理由が分からないからだ。

 遺伝子上はトリプルSとはいえ、子供にどんな影響が現れるか分かったものではない。あと、ギャラリーがいた事もある。

――なんとか調べて後顧の憂い断たないと。

 晟生せおは厨房にて決意を新たにした。

 湯上がりで料理をするのは、もちろんフーコのためだ。牛乳は飲ませたが、一度は空腹で倒れている。滋養のある食事を用意してやらねばならなかった。

 軽く湿りを残した髪を後ろに束ね、白の襟ありシャツに着替えたエプロン姿。軽く腕組みしながら頬に手をやり、何を作ろうか考える。

「それだったら、あれにするかな……手伝ってくれる?」

「あっ、はい。助手一号スタンバイ完了してます。指示をどうぞ」

「ありがと」

 何故か慌てた様子の愛咲あさきに不審はあるが、あまりマジマジとは見つめない。それは風呂場で見た裸身――黄金の髪をまとった白い肌は、どこまでも滑らかで輝くように美しかった。思い出すだけで気恥ずかしくなるほどだ。

 なお、愛咲の方も似たような状況で正視できない状態だったりする。

「よっし! 決めたよ。消化が良くて身体に良い雑炊にしちゃおう」

 晟生の言葉に愛咲は、きょとんとしている。湯上がりで上気した肌は血色が良く健康的だ。念入りに乾かした髪はさらさらで、小首を傾げる仕草にあわせ流れるように動いた。

「雑炊?」

 愛咲は呟いた。

 それも無理なからぬ事で、トリィワクスの自動調理機のメニューは洒落たカフェ系統が完備されている。米を煮込むような料理は存在しない。そんな環境で育ったのだから知らないのも不思議ではなかった。

「雑炊とは聞いた事のない料理です。でも、晟生さんがつくる料理なら間違いなく美味しいのでしょうね。今から楽しみです」

「今回は強い味でなくて、染みるような味を目指すとしよう」

「染みるのですか? 歯に染みる?」

「違う違う、身体に栄養が染み渡るような味ってこと」

 厨房から食堂を見やると、彩葉がフーコをあやしている。片手で持ち上げ高い位置にしているだけなのだが、何やら大喜び状態だ。しかし、その身体は見るからに痩せ気味である。救護室で栄養剤を投与されてはいるが、やはり食事が大切だ。

 食事しながら美味しいと思って自ら栄養を取り込む事こそが一番栄養になる――生理学的にも科学的にも根拠などないが晟生はそう思っている。

「鶏ガラスープは前につくっておいたから……これで米を煮てしまおう」

 まずは手鍋に沸騰させたスープへと生米を投入してしまう。

「えっ、今の固い状態ですけど大丈夫です?」

「お粥風になるけどね。この段階からしっかりと煮た方が味が良いんだよ」

「そうですか美味しい事は大事ですよね。食材は何を使いますか」

「鶏肉少しと、あとは塩胡椒だけだよ」

「ええっ……それだけですか」

 愛咲は何かガッカリした様子だ。

 もっと沢山の具材を使った、何かゴージャスな料理を想像していたのかもしれない。軽く残念そうなションボリした顔になっている。

 だが、晟生はにやっと笑う。

「文句は食べてから言ってみようか」


◆◆◆


「私は間違っていました。これは美味しいです。凄く優しい味で染みてきます。ああああっ、これが身体に染みる感覚なんですね」

 愛咲は感嘆した。

 熱さを堪えつつ、深皿に入った鳥雑炊をせっせと食べている。それは米が形を崩したぐらいの状態にまで煮込まれており、口に含むと鳥の旨味がまず広がり続いて米の甘みが後に続く。ふわりと広がる味の中に胡椒が微かに効いており、全体の味わいを邪魔しないまま引き締めている。だからこそ、鳥の味わいが飽きることなく染みいるのだろう。

 はふうっ、と息を吐く顔は満ち足りている。

 それは幸運にも居合わせた女性クルーたちも同様。熱さに目を白黒させながら食べ続けている。もはや自動調理機では満足できない舌になっており、晟生に感謝しつつそんな舌にした少し事を恨めしく思っていたりする。何にせよ、彼女たちの手は止まらない。

「彩葉も熱い内に食べてよ」

「うん、ありがとなのです。でもフーコが食べていない事を配慮して、様子を見ている状況なわけですよ」

「そっちの面倒は見ておくよ、だから食べて」

「はいなのです。ではでは、頂きます」

 小さくすくって口に含む。それだけで彩葉の笑顔は、更なる笑顔へと変化した。

 それを見届け――晟生はフーコに目をやる。

 今は横縞模様の半袖ワンピース姿。多少サイズが合っていないのはご愛敬といったところか。それは初乃のお古という事だが、今の時代は服は必須品ながら貴重品。古着とはいえ、新しい服にフーコは大喜びをしていた。

 しかし今は彩葉との間にちょこんと座り、少しばかり周囲の様子を窺う様子だ。

 どうやら、ずっと警戒しながら生きて来たため簡単には気が抜けないらしい。ついでに言えば、晟生に無理矢理丸洗いされた事も多少は影響しているかもしれない。なんにせよフーコは熱々の雑炊を睨んだまま手が出ないでいる。

「食べないの? せっかくつくったから、ちゃんと食べて欲しいな」

「熱イノ嫌ナノ」

「猫舌って事かな。うーん、仕方がないね」

 言いながら晟生はスプーンを手に取った。

 そして、それから取った行動――何気なく顔を向けた愛咲は動きを止め、至福の顔が固まってしまう。つられた彩葉も同様で、ご相伴に預かっていた女性クルーたちもまた同様。気付けば食堂の中が静まり返っていた。

「どうかな美味しい?」

「ンッ、オイシイ。ツギ食ベル。デモ、マダ熱イ。モット冷マシテ」

「やれやれ我が儘な、お嬢さんだこと」

「熱イノ苦手ナノ」

「はいはい」

 優しく言って晟生は熱々の雑炊をスプーンですくう。

 そして、ふーふーと何度か息をかけ冷まし膝の上のフーコに食べさせてやる。それこそが、周囲を硬直させている行動なのだ。

 食堂に集う女性たちは固唾を呑み食い入るように見つめている。

 男が希少な世界でそんな事をすればどう思われるか、やっている晟生は少しも気付かない。フーフーしながら、せっせとフーコに食べさせている。案外と面倒見が良いのであった。

「あ、あれ? 皆どうしたの」

 顔をあげた晟生は思わず身を退いてしまう。

 なにせ食堂の全員が自分を見つめているのだから。慌てて食事に専念しだす女性たちであったが、真正面に座る愛咲だけは動揺しながら返事をする。

「べ、別になんでもありませんです。はい」

「そうなんだ。それよりどうかな、鳥雑炊もいいものでしょ」

「あっ、はい。凝った料理も美味しいですけど、こちらの方は別種の美味しさかと思います。こんな美味しさもあるのですね」

「料理って難しいよね。いろんな味を複合させるのも美味しいけど、その素材本来の味を引き出しても美味しい事もあるわけだから。うん、本当に奥深いよね。んっ? ああ、はいはい」

 最後の言葉は袖を引かれ催促されたためである。

 食べさせて貰っているフーコはすっかり安心した顔であり、来たばかりの時のような怯えた様子はない。手荒とはいえど風呂場で洗われ文字通りのスキンシップが行われた事に加え、美味しい食事で餌付けされたからだろう。

 それでようやく突っ込んだ確認ができる。

「身内は居ないって聞いたけど、本当に誰も居ないの?」

「分カンナイ。コッチ来テ、街ミテタラ皆キエタ」

「……なるほど」

 連れて来られて置き去りにされたようにも聞こえるが、どうにもフーコの方が迷子になったように思える。もし後者であれば、家族はきっと心配しているに違いない。しかし痩せ気味の様子と、街中でスリをはたらいていた状況からすると、家族と別れてかなりの時間が経過しているだろう。

 そうなると探すのは難しいかもしれない。

 晟生が考えていると――。

 ドヤドヤと足音が響き、勢いよくドアが開いた。皆の注目を集め飛び込んで来たのは、誰あろうか初乃だ。身体にぴったりしたパイロットスーツスーツ風の姿を見ると、どうやら帰艦と同時にそのまま食堂に来たらしいと分かる。

「お腹空いた、ごっ飯ごっ飯。愛咲姉、婆っちゃへの報告はミシェに任せてあるからさ、ぼくは先に食べるから。でね、聞いてよ、なんとね凄い事になったんだよ。あっ、晟生もいるよね。聞いてよ聞いて――」

 はしゃいだ様子の初乃であったが、ふいに口を閉ざす。その目は晟生に向けられている。正確には、晟生の膝の上に座るフーコであったが。

「その子、誰?」

 初乃の様子をたとえるのであれば――自分の大好きな飼い主の膝上に見知らぬ仔猫を見つけた先住猫のようだ。

「お疲れ様だったね初乃。ご飯食べる?」

「その子、誰?」

「今日から世話する事にしたフーコだよ。仲良くしてやってね」

 振り向いた晟生の手元では、見知らぬ存在が美味しそうに食事中。しかも食べさせて貰っている。

「…………」

 何かを言いかけた初乃の口元は、その度に何も言わず閉じられる。だが、やがて口元がわななきだし――泣きだした。

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