第60話 俺さまお前丸洗い

「どうやら空腹だったらしい。随分と人騒がせな事だ」

 冷たい口調で沖津は言った。

 だが、つい先程まではそうでもなかった事を晟生せおは知っている。トリィワクスに到着するなり移動車両を飛びだし、フーコを担ぎノンストップで救護室に駆け込んだぐらいなのだ。

 それを思い出した晟生はクスッと笑った。

「何がおかしい」

「いえ、何でもないです。でも、味見に買った牛乳があって良かったですよ」

「君が飲ませた牛乳の値段……艦の全員でパーティー出来そうな値段だった気が……まあ、いい。後で何か栄養のよい食事を食べさせてやりなさい」

「直ぐに用意しますよ」

「先に風呂だ。悪いが少し臭う」

 それはフーコの事だ。元から薄汚れていた事もあるが、沖津に銃を突きつけられ乙女の尊厳が決壊した事も原因である。救護室の薬品臭漂う中では、さほど気にならないが移動中の車内では少し臭った。

 晟生の視線に非難がましいものを感じたのか、沖津は鼻をならす。

「ふんっ、別に私は悪くない。それより早く風呂に入れるように」

「そうですね、では愛咲か彩葉に――」

「何を言ってる。君がやるに決まっているじゃないか」

「えっ?」

「二人とも荷物の片付けで忙しい。なにより、君は自分で面倒みると言ったではないか。そういった事も全て含め面倒をみるという事だ」

 正論である。

 面倒をみると言った以上、その世話も含め他人の手を煩わせる事はできやしない。かくして風呂場の暖簾は急遽男湯へと切り替えられたのだった。


◆◆◆


「かけ湯して、中に浸かってなさい」

 更衣室で服を剥ぎ取るとフーコを風呂場へと放り込んだ。相手は子供なので恥ずかしがる事は何もない。ただし、これが初乃ぐらいまで育つと恥ずかしいのだが。

 晟生は素早く服を脱ぐと、口にくわえておいた紐で髪を束ねた。一応は嗜みとして腰にタオルを巻いているが、ほっそりとした身体つきは女の子っぽいものだ。

「まあ、早くお風呂に入れるのはありがたいか」

 普段は皆が終わるのを待って遅めに入るため、何か特別な気分だ。

 子供の頃に旅館でワクワクした気分を思い出し風呂場に入る。中が広々としているため、なおのこと懐かしい気分がかき立てられる。凝った造りの、黒大理石調の壁や床に幾つも並んだ洗い場と、まさしく大浴場だ。

「あれ? お湯に入ってなかった」

 フーコは洗い場に入って直ぐ、放り込まれた時ままの四つん這いだ。滲むような光を放つライトの中で小柄な姿は固まっている。

「コレ、ゼンブオ湯……」

「そうだけど。いいや、ほら先に洗おうか。悪いけど少し臭う」

「フーコ、クサクナイ!」

「少なくとも漏らしたぶんは……まあいいや、とにかく洗うから」

 ひょいと持ち上げ小脇に抱えると、洗い場に幾つも並んだ固定式のバスチェアへと置いて座らせる。

 そのままシャワーを取り手で温度を確認した後に、頭から湯をかける。

「フギャアア!」

 熱くないと確認したはずなのだが、フーコは悲鳴をあげた。じたばたと暴れ逃げようとさえしており、押さえ付けねばならないほどだ。

「こらっ動かないの」

「熱イ熱イ熱イ!」

「まだ温い方なんだけどね、いつもどんな温度で風呂に入ってたわけ?」

「川デ洗ッテタ」

「……だから髪の間から石が出てくるわけか。まあ熱いのには慣れようか」

 一瞬の憐れみを気付かせぬようシャンプーを使い髪を泡立たせていく。もちろん、そんな事は初めてらしく当然ながら悲鳴をあげる事になった。

「目ガ、目ガアアッ」

「ああもう、目を閉じておかないから。ほら直ぐ洗い流すから瞬きして」

「モウ嫌ッ、嫌ッタラ嫌ナノ」

「だったら沖津副長と変わるけど」

「…………」

 その瞬間、フーコは黙った大人しくなった。どうやらよっぽ恐かったらしい。軽く身体を強ばらせた様子は、皮膚の動きでよく分かった。

 その隙に頭洗いを再開。リズミカルに洗うと、手に堅いものが当たった。

「ん?」

 円錐形をした乳白色の角だ。

 先端は丸味を帯び、表面は滑らかでしっかりした堅さがある。細からず太からず、ちょこんと髪の間から出ている程度だ。触ると少し嫌がる。さらに声をあげようとする口には牙があるため、どうやらそれで喋りにくいらしい。

「触ラナイデ」

「はいはい、いいからじっとして。すぐ終わるから」

 変異を気にする様子は、どこか怯えがある。どうやら、これが原因で苦労してきたに違いない。人は他人の気持ちなどお構いなしに心ない言葉を放つ。むしろ、傷つき悲しむ様子を喜ぶ者さえいる。

 フーコもそうした悪意に晒されてきたのかもしれない。

 だが、下手な慰めは逆効果。

 晟生はあえて気にせず、それについては無視する態度をとった。気遣う事も遠慮する事もせず、無頓着に髪を洗っていく。最初は抵抗したフーコだが、怯え戸惑い様子を窺い、そして安心していった。

「髪はこれでよしかな、そうなると……」

 フーコは身体も汚れている。軽く指でこすると、水が薄茶色になるぐらいだ。恐らくは水を浴びる程度だったに違いない。実によくない、不衛生である。

 晟生は凝り性ではないが、一度しっかり洗う必要性を感じた。腰布一枚の姿だが、腕捲りをするような仕草をして気合いを入れる。

「こうなったら徹底的にやってしまおう」

「痛イ痛イッ、痛イノイヤッ」

「はいはい。すぐに終わるから我慢しようね。慣れると気持ちよくなるから」

「嫌アアアッ」

「沖津副長呼ぶよ」

「…………」

 ぴたりと静かになる。恐怖を利用するなど本当は良くない躾かもしれない。しかし、今は話して聞かせても理解できる状態ではないのだから仕方がなかろう。とにかく沖津副長をナマハゲ級に恐れているのだ。

 身体洗い用のスポンジにしっかりと泡をのせ、力を込めこすりだす。

 逃げようとする処を掴んでこすり、さらに逃げようとする処を押さえ付けこすり、暴れるところを足で挟んでこする。身体を引っ繰り返しこすり、上下逆さにしてこすり、手を持ち上げこすり、足を持ち上げこすり。引っ張り広げ、とにかく全身くまなく隅々まで洗いあげた。

「ウウッ……シドイ」

「ふう、我ながら良い仕事をした」

 満足した晟生は額の汗を拭い、洗い場の床でぐったりうつ伏せになるフーコを見やった。もし晟生が過去の姿であれば問題のある光景だっただろう。だが、世の中は見た目が全て。今の美少女風外見の晟生であれば、きっと誰かが見かけても何も文句は言うまい。

「お疲れ様です」

「えっと、でも耳の後ろ。もう少し洗った方がいいかと彩葉さんは思うのですよ」

「確かにそうですよね。それと仕上げでリンスをつけてあげた方が良いかと。髪の傷みが酷いようですから」

「うん、賛成。せっかく晟生くんが綺麗にしたのですから。仕上げは手伝うです」

 晟生は目の前にある鏡に目をやった。

 湯気に曇ったそこには、ぼんやりとした人影が見えるだけだ。それでも形良い胸が堂々と存在を主張している様子ぐらいは見て取れる。

 ここは風呂場。

 そう風呂場なのである。

 湯気立ちこめるこの場所には、どんな格好でくるだろうか。振り向かない方が良いと思いつつ、しかし好奇心や欲求には逆らえず、そっと振り仰ぐ。

 左を見ると彩葉がいた。右を見ると愛咲がいた。

 もちろん風呂場という場所で、お風呂に入るに相応しい姿だ。張りある肌は蒸気でしっとりして艶やか。髪の色というものは頭髪以外も同じ色なのだと、晟生は改めて認識した。

 大急ぎで前を向くと前を押さえながら前のめりになる。

「なんで二人が!?」

「うん? 言質とったのに、晟生君がずっと洗ってくれなかったからなのです」

「え……」

 戸惑う晟生は、目を反らせないまま思い出した。

 以前に遺跡探索の中で、そんな事を話した覚えがある。ただし、それは素体コアを綺麗にするつもりが、彩葉本体を綺麗にする話だったというものだ。流石にそれはと困ってしまい、有耶無耶にしていた。

 だが、彩葉は忘れていなかったらしい。

「えーと……だったら愛咲は?」

「私は晟生さんのお世話係と付き添いですから、お手伝いですよ」

 言いながら愛咲は傍らで膝を突くと、フーコを起こしてやっている。目の前に真っ白な肌に金色の髪が眩しく動く。斜め後方から見れば、ちょうど胸の膨らみが二の腕の向こうに見え、むしろ全容を見るよりも想像をかき立てられる角度だ。

 一方で彩葉はそそくさと、晟生の前でバスチェアに座った。褐色をした肌はどこまでも滑らかで柔らかげ、軽く一つにまとめられた銀色の髪は肩口から前へと流されている。

「ではでは、約束通り彩葉さんを洗って下さい。念入りでお願いします」

「えっ、洗うの?」

「はい、洗うのです」

「本当に?」

「本当にです」

 言いながら彩葉は両足の間に手を挟み、軽くバスチェアを押さえる。何か小さく歌を口ずさみ上機嫌な様子で頭を揺らしているが、もう洗われる気いっぱいで待ち構えているぐらいだ。

 そのうなじも、鎖骨も肩も柔らかそうな胸も全てが曲線で構成されていた。

 晟生は固まっている間に、介抱されたフーコは疲れた様子で目を開ける。

「ウッ、酷イコトサレタ」

「勘違いしては駄目ですよ。晟生さんはフーコさんを思っての事ですよ」

「デモ酷イ、止メテト言ッタノニ」

 文句を言いたいフーコは睨むように晟生を見やり――目がまん丸とした。何か信じられぬものを見たように瞬くと、問いかけるように愛咲の顔を見上げ、また晟生を向く。

「……ナニアレ」

「えっとですね、つまりですね。晟生さんは男性ですから、はい」

「アレガ男」

「見ちゃ行けませんです、はい」

 身を乗り出すフーコを咎める愛咲であるが、あまり説得力は無い。なにせ頬を染め肩や胸部なども紅潮させ、恥ずかしそうに目を逸らしつつも、目だけはチラチラと見ているのだから。

 ほどけた腰布が落ちずに引っかかっていると、晟生が気付くのは少し後となる。

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