第59話 罪と罰と拾い物
世の中の現状を改めて認識させられた
何をどうすべきか、自分に求められている事は分かっている。しかし、それを躊躇するには理由がある。この身体が本来の状態ではないという事だ。
遺伝子的にはトリプルSでクリーンかもしれないが、変わってしまった事による何かがあるかもしれない。それが分からなければ――。
そのとき、腹部に軽い衝撃を受けた。
立ち止まり下を見れば、自分の腹に顔をぶつけた小さな姿がある。
どうやら、走って来た子供と衝突してしまったらしい。自分だけでなく相手も悪いのだが、しかし晟生はしゃがみ込んだ。そして目線を合わせ優しく微笑む。
「ごめんね、大丈夫だった? 痛くないかな」
相手はか細い存在であったからだ。
痩せ気味であるし服も粗末で薄汚れている。小さく開いた口には牙があり、しかも額に小さな角が生え変異体である事を示している。そうなるとイロイロ苦労している事は想像に難くなかった。
「…………」
少女は面食らった様子で後ずさり、身を
「副長、苛めたらダメですから! こんな小さな子になんて酷い事を」
驚いた
「役職で呼ぶなと言ったはず。そして、勘違いはしないで貰おう。これはスリだ」
「えっ?」
「空知晟生、貴重品を確認しなさい」
「えっと……」
言われて晟生は自分の懐を探った。貴重品となると、持っているものは財布だけ。二百年の時を共に越えてきた品であるため、常に身につけ大事にしている。だが、それはどこにもなかった。
「あっ、財布がない」
「そういう事だ。そこのお前、盗んだ物を出しなさい。出さないのであれば、死体から回収する」
「死体って……」
「私は本気だ。なんであれば実証してみせようか」
沖津は腰の銃に手をかけた。眼鏡の奥にある目は刺すように鋭い。
地面に手を突き身を起こした変異体の少女は、震える手で粗末な服の下から財布を取り出した。黒革のゴツイつくりのそれは、まさしく晟生のものである。ぶつかった一瞬で場所を確認し、さらには抜き取りまでしたのだから驚きの早業だ。
沖津は財布を取り上げた。
清めるように払ってみせ、差し出す手つきは意外に丁寧だ。
「油断大敵だな。この者が刃物を持っていれば、今頃はどうなっていたか」
「いやそんな、まさか」
「そう思うか? ならば君は、とんだお気楽者だ。そして――」
鋭い目線は愛咲と彩葉に向けられる。
「浮かれるばかりではなく、周囲に目を配り把握せねば何の為に居るのか分かったものではないかな。一緒に居るだけが護衛ではない」
「「…………」」
「もちろん、私も大きな事は言えない。事前に阻止できなかったのだから」
厳しい口調に晒され、愛咲と彩葉は肩を落とし沈んでいった。
今の言葉にショックを受けているのだ。しかも、沖津はスリを見抜く事が出来たが二人は見抜けなかったのだ。果てしなく落ち込んでしまう。
沖津は言うだけ言って、幼い少女に視線を戻した。
「賢いな、逃げようとすれば撃とうと思っていたのだがな」
少女は地面にペタンと座り込んでいた。その感情は恐怖に支配されているようだが、同時に諦めの色があった。その年齢に相応しくない絶望感がある。
「何にせよ、処分される事は変わらないが」
「そんな事をする必要ないですよ。警察に引き渡せばいいじゃないですか」
「その警察というのは、古い時代にあった治安組織の事かな? 随分と物知りだ」
「えっと……」
言葉以上に何かを言いたげな沖津の前で、晟生は軽く口ごもるしかない。
二百年前の人間という事は和華代と愛咲と初乃しか知らない事だ。しかし、この副長は何かに感づいているのかもしれなかった。
「君が見てきた場所はともかくとして、ここシズオカにはそのような組織は存在しない。自警団が司法の全てを司っている」
「だったら、その自警団に引き渡しましょう。処分だなんて――」
「確かに自警団で処分して貰った方が簡単だ。後始末の手間が減る。この者は姿を消し、街の治安は良くなり、我々は幾ばくかの報奨金を得られる。とても簡単だ」
「えっと、この子はどうなるの?」
「それを聞くとは空知晟生……なかなかに酷い」
ほっそりとした指を頬にあて、沖津は小さく唸る。
「だが、待ち受ける運命をあえて認識させ恐怖させる。そういう手も。ありかな」
「ええっと、なんですかそれ」
「気にするな。どうなるかという答えだが、まず一回目なら鞭打ち、皮膚が破れ肉の弾ける激しい苦痛を受ける。その状態で放り出されるため、何らかの感染症にかかるか衰弱死する。それを生き延び、懲りずに二回目となれば鞭打ちに加え手首が切り落とされるだろう」
沖津が淡々と告げる言葉に少女はガタガタ震えだした。口元でカチカチ鳴るのは、その牙が細かく触れているからだ。
「そんな可哀想でしょ」
「可哀想? 君は何をもって可哀想と言うのか。この者はリスクを勘案し、スリという行為を実行した。自らの行動には責任が伴い、それ相応の結果を受けるのは当然のことではないか」
「でもだからって、こんな子供に酷すぎますよ。財布も返ってきたので、見逃してあげましょう」
「この者が次に罪を犯せば君に累が及び、引いてはそれは我々にも及ぶかもしれない。犯罪者を見逃したとなれば、トリィワクスの評判が傷つく。それであれば、今ここで始末するべきと思う」
腰の銃が抜かれ突きつけられると、幼い少女はガタガタ震えだした。その下に染みが生じるのは、乙女の尊厳が決壊したからだろう。それほどまでに沖津の目は冷徹であり本気であった。
助けを求めた晟生が愛咲と彩葉を見やるが、両者とも暗い顔だ。落ち込んでいる事もあるが、それと同時に沖津の言葉に同意気味らしい。
晟生は少女を見やった。
幼い顔の表情には恐怖と同時に絶望と諦めが存在している。そんな顔を見てしまうと――晟生は間に割って入った。
物問いげな目を見返し宣言する。
「でも更正の余地はあると思います。だから、連れ帰って面倒みる」
「君にそれを決める権限はない」
「だったら個人で雇いますよ、それならいいでしょ。ほら靄之内だってメイドさんがいるでしょ、あんな感じで」
晟生はきっぱりと宣言した。
路上で繰り広げられる押し問答に、通りかかった者は好奇と興味の目を向ける。だが誰も関わろうとはしない。この程度の揉め事は珍しくないのか、それとも他人関わりたくないのか、どちらなのかは分からない。
「目についた者だけ手を差し伸べる無慈悲さに、自分本位な気紛れ。随分と不遜なものだが、それでこそ神魔を操る存在として相応しいのかもしれない」
散々な事を言う沖津であるが、銃を元に戻し鋭い目を幼い少女へと向けた。
「お前、名前は? 名乗りなさい」
厳しく冷徹な眼差しに少女は震えあがった。
「……フ、フーコ」
「はっきり言いなさい」
「フーコ!」
「よろしい。このような事は最初が肝心だ。いいか、この空知晟生がお前の面倒をみるそうです。だだ甘の者とは思わず感謝し、決して甘えぬように仕えるように……返事は!?」
「ハイッ!」
上手く喋れないが条件反射的に腹から声を出している。
「ではトリィワクスに戻りましょう。まずは、この者を風呂に入れ着替えさせる必要がある」
背を向けた沖津は平然と言いながら歩きだす。やはりそれは、他の者が付いてくる事が当然のような態度だ。
しかしフーコは付いていけなかった。
トサッとあまりにも軽い音をたて、その場で倒れてしまったのだ。どうやら緊張が解けた反動と、なにより身体的な限界であったのだろう。改めて見れば、体つきは細すぎるほどに細かった。
気付いた沖津は直ぐに駆け寄る。服が汚れる事にも構わず抱き上げ手つきは、案外と優しい物だ。しかし、振り向いた目つきは鋭く厳しい。
「トリィワクスに戻り治療をする。総員、駆け足」
残り三人は大急ぎで走りだした。
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