第58話 見せたい場所が良い場所とは限らない

 愛咲は青のノースリーブ、紺のカーゴパンツ。護衛というよりはお出かけを楽しみにしている女の子といった様子で晟生の隣を歩く。心が弾む嬉しげな様子は足取りだけでなく、その仕草の全てに――背で揺れる長い髪にさえ――現れていた。

「次はどこに行きましょうか?」

 シズオカの市街は活況である。

 店の種類も数も多く、買い物をするには事欠かない。軒を連ねた店々には大勢の客が次々と入っていき、大きな荷物を持って笑顔と共に出てくる。

 そんな様子は、ドラマか映画のようにも見えてしまう。

 建物は木造瓦葺き、路上に出された看板は木製。土が剥き出しの道路を歩く人々は、靴を履く者は少なく裸足さえいる。二輪の荷車を人が引き、天秤棒を使って物が運ばれていく。まるで歴史資料館で見た江戸時代のような光景だ。

 さりとてしかし、時にはガソリン駆動の車両がクラクションを鳴らし通り過ぎ、コンクリート造りの建物やプラスチックの看板も存在する。

 いろいろな時代が混ざり合って構成された、何とも言えない景色だ。 

「港にでも行ってみようか」

「それは無理ですよ、立ち入りが規制されてますから」

「あれっ、そうなんだ」

「重要施設ですから港湾には近づけませんよ。どうしても見たいのであれば、そうですね。靄之内氏に許可を貰えば大丈夫かと思います」

「そこまでして見たいわけでもないし。それじゃあ……今度は愛咲の見たいところでいいよ」

 言って晟生は軽く頷いた。

 その姿は白い小袖を赤の腰帯で留め、下は赤のミニスカートで足下はブーツだ。和洋折衷と呼ぶ以上に混沌とした格好であるが、それが妙に似合っているのも事実。容貌も体つきも長い髪も、誰がどう見ても、凛とした雰囲気の女の子に見える。少しばかり目つきは鋭いが、この時代では普通の範疇だろう。

 そのため、道行く誰も晟生が男だとは気付かない。

「えっとですね、どうしましょう。彩葉は行きたいところあります?」

「うん? 彩葉さんですか」

 後ろを歩いていた女性はのんびりした声を響かせた。柔らかな声の主は、一人称から言うまでもなく彩葉。赤い瞳と褐色の肌、銀色の髪は先をリボンで縛っている。黒色のジャケットを羽織っているが、その前が開いているのは上まで留めると窮屈だからだろう。銀髪おっぱいの異名は伊達ではないのだ。

 しかし最も目を惹くのは、その肩に担いだ大鉈のような剣に違いないだろう。普通では持ち運ぶことさえ困難なそれは異彩を放っている。だが、何人が気付けるだろうか、それを運ぶ彼女の動きが少しも歪んでいない事に。

「思いつくのは……食糧の買い付け、衣料品と武器の確認、骨董品の見物、屋台で食事。当初の目的はほぼ網羅。彩葉さんの行きたい場所は特にない。後は目的もなくぶらぶら、歩いてる晟生君を見ていれば満足」

「それは私も同じなんですけど。どこかないです?」

「うーん……うん、ないかな」

「そうですか。あっ、そうです沖津副長はどうですか」

 愛咲がもう一人の同行者を振り向く。それで沖津は、ため息一つの後に皮肉げな笑みを浮かべた。

「やれやれ私はついでか?」

「すいません、そんなつもりは……」

「別に気にしてはいない。コミュニケーションの一環としての発言だ。それよりも、君の発言には留意すべき点がある。このような外部において役職名を附して呼べば、余計な情報が周知されてしまうだろう。それが原因で厄介事を招いてしまう可能性がある事に対する配慮が欠けている」

「あっ、はい」

「以後注意するように。では私の行きたい場所か……」

 副長である沖津は怜悧な顔にかかる眼鏡に触れつつ考え込んだ。細身のよく締まった身体は起伏に乏しく、同行する晟生にスタイルが近い。ただし晟生は男なのだが。

 黒シャツに赤ネクタイで白ジャケットを羽織り、灰色のスラックスと色気がなく隙のない姿だ。腰に小型銃器を装備している。当初は愛咲と彩葉だけが護衛の予定であったが、それでは不用心と沖津も参加してきたのだった。

「行きたい場所ではないが、見せたい場所はある。それでもいいかな」

「見せたい場所ですか。私は構いませんけど、いいですか?」

 愛咲の最後の問いは晟生に向けられた。

 しかし沖津は眼鏡の奥で鋭い目を光らせる。

「そこで確認する必要はないはずだが。特に行く場所がないと本人は言って、君に選択を任せた。そして君は私に尋ねた。よって選択権は私にあるのではないかな」

「は、はあ……」

「つまり私の回答に従い行動すべきだ。さあ移動しよう、付いて来なさい」

 すらすらと述べた沖津は先に立って歩きだした。

 他の者が付いてくるのは当然といった様子で振り返りもしない。晟生と愛咲は顔を見合わせ互いに首を竦めあうと後に続く。そんな様子を眺める彩葉は嬉しそうだ。

 沖津が副長であるのは、厳しく理論理屈があって行動力があるからだろう。

 同時に、自分の意見が正しいと信じ他者への配慮がないので副長なのだろう。

 組織に必要な存在だが、同時に煙たがられる存在でもある。上に抑え役があって場を用意されるからこそ、能力を発揮できるタイプだ。

「空知晟生、私がどこに向かうか分かるか?」

「えっ? えーっと、たとえばヌイグルミ屋さんとか」

 振り向いた沖津の目には険がある。

「なぜそう思った、言え」

「特に理由もなくてギャップ萌えとかあったら……す、すいません」

「随分といい加減なものだ。ギャップと発言するところからすると、この私にはヌイグルミなど似合わぬと思っているという事か。つまり可愛い品など寄せ付けぬ冷徹な性格だと言いたいわけだ。なるほど、君の私に対する評価を理解した」

「そこまで思ってませんよ。ただ、ちょっと思っただけですから」

 晟生は迂闊に答えた自分に後悔しつつ、歩きながら身振り手振りで一生懸命に否定する。そのため沖津の反論が妙に強いという事には少しも気付かない。

「根拠のない発言には注意なさい。そもそもヌイグルミ屋といった店舗の存在はなく、ヌイグルミは玩具屋にて売られるものだ。そうした点からも君の回答は、随分と的外れだ」

「なるほどなるほど、彩葉さんはヌイグルミ屋があると思ってましたよ。沖津さんは、とっても詳しいですね」

「……一般常識だ。目的地はもう少し先になる、各員とも足を早めるように」

 不機嫌そうな沖津は速度をあげた。

 細身の身体はセカセカ足を動かし進んで行くが、晟生と愛咲は困った様子で後を追う。背の高い彩葉は少し歩幅を広げるだけで充分であった。


 見せたい場所は、それほど遠くはなかった。

 次の角を曲がり少し歩き、早足で息を乱すよりも早く到着する。

「ここだよ」

 指し示された堅牢な建物は銀行に思えた。看板には小さな天使とハートに二重らせんを重ねた意匠が小さくあしらわれバンクとある。

「見せたい物って銀行ですか?」

「違う、ここは精子バンクだ」

 戸惑う晟生に沖津は平然と言った。

「希少な男性たちから買い付けた精子が、ここで冷凍保存されている。もちろん、あの靄之内氏のものもあるだろう。ランクや来歴、提供時の年齢も含め値段が付けられ販売されている」

「これを見せて……どうしろと」

「どうもしない。この現実がある事を君に見て欲しかった。人類の大半は女となって男は希少、女同士で結ばれここで精子を買い付け子供を残す事が一般的になっている。下手をすれば本物の男を見ないまま一生を終える女も大勢いるだろう」

「…………」

 ここで冷凍保存された精子が販売され、それを女性たちは購入し注入しては子を授かる。そうやって人類は命脈を保っているという事だ。確かにこうした設備がなければ、この男が少なくなった世界では人口を保つ事は難しかろう。

 眺めている間にも、楽しみ顔で入っていくカップルや、相手を気遣いながら出てくるカップル。何かクレームでもつけたか追い出されるカップルの姿がある。もちろん全て女性だ。

「そうした面で我々は恵まれていると言える。同じ艦の中に、普通では出会えない者がいてくれるのだから。誰もが喜び歓迎している。それはもちろん私もだ」

「…………」

「だが同時に、目の前に美味いものをぶら下げられ、お預け状態であるのも事実。それがどれだけ残酷な事なのか、君はよく考えて欲しい。少し言い過ぎた感があるな、すまない許してくれ」

 謝ってみせる沖津だが、それは言葉だけのもの。腕を組む態度の中にはその気配は少しもなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る