第56話 皆の海の魚の港の未来

「しかし、ここの連中はよく食べる」

 全員の食事が終わり、ようやく一息ついたところで靄之内もやのうちは言った。

 感心したような呆れたような口ぶりである。結局、皆の迷惑そうな視線はものともせず最後まで居座ったのだ。今も椅子にふんぞり返り、メイドの用意した紅茶を啜っている。この図太さは見習うべきかもしれない。

 厨房で残りの作業をしていた晟生は意外そうに声をかけた。

「えっ、そうなの? ここの皆って、小食だと思ってたけど」

「いや多いぞ。しかしそれも、我が友の料理と俺の用意した食材あっての事だろうな。つまり二人の共同作業が引き起こした愛の奇跡」

「また何か馬鹿なこと言ってる」

 晟生せおも靄之内相手では普段と口調が異なり態度も雑だ。ただし、嫌っているわけでも軽く扱っているわけでもない。同じ男という事から来る気安さであった。

 そんな様子が分かるのかメイドたちは何も言わず、むしろ感極まった様子で涙ぐむ者さえいる。靄之内に友人が出来たという事を喜んでいるのだろう。とりあえずそう思いたい。

「さてと、それでは食事にしようかな。やっと食べられるよ」

 晟生が呟くと愛咲あさき初乃ういのはゲッソリ項垂れた。

「すみません。なんだか、お腹いっぱいの気分です」

「ぼくも同じくだよ。食欲なくなっちゃった」

 つまりは料理のしすぎで気分だけが満腹――とくに海老は見たくもない――状態になってしまった様子だ。ずっと晟生の側で手伝い続けたので無理もない。

 しかし晟生は余裕の笑みをみせる。

「そこは任せて。そんな気分でも食べたくなるものを用意するからね。簡単で悪いけど、鰤の照り焼きにするよ。後はやるから座って水でも飲んでいて」

 鼻歌交じりで厨房に立つ。

 鰤をフライパンで焼き、最後にタレと絡め煮詰めただけの照り焼き。それにご飯と味噌汁という簡単なものを用意する。すごく簡単だ。

 助手一号二号は少しを口にすると、失せていた食欲が舞い戻ったらしい。

「くうっ、これ美味しいよ。パリパリの皮にふっくらな身が最高なのさ!」

「ご飯です、このままご飯を……」

 悶える初乃に、大急ぎで白米を頬張る愛咲。どちらも幸せ一杯の様子だ。

 晟生も同じく鰤の照り焼きに取りかかるのだが、焼き加減が絶妙。微かに焦げ香ばしい甘口のタレが絡み、ご飯と最高に合う。たちまちご飯を平らげ、お代わりに立とうとするが、それを微苦笑するミヨAKが制し動いてくれた。

 その間に味噌汁を味わう。

 魚のアラを煮ておいたものを味噌仕立てにしておいたもので、魚の旨味が全て溶け込んでいる。しかも味噌加減が最高で、天然の旨味が脳天にまで突き通る。シビれるほどに美味かった。

「はぁーっ、我ながら凄く美味しいものをつくってしまった……」

 自画自賛しているところに、ミヨAKがお代わりご飯を運んでくる。山盛りだ。

「ご飯でございます」

 置かれるとドンッと音がする様子に靄之内は苦笑した。

「おい、流石にそれは多すぎであろう」

「若様ご覧下さい。流石に私、予想外でございます」

「おおうっ」

 唸りをあげるのは、その山盛りご飯が消えていくからだ。一心不乱に食べる晟生の姿に靄之内たちは驚きを隠せずにいる。同席する愛咲と初乃が気にせぬのは、よくある事であるし何より自分たちの食事に忙しいからだ。

「おい、こやつ本当に食べきりおったぞ」

「私、悪ふざけのつもりでございましたが。斜め上を行かれました」

「なんたる食事量。うむ、惚れ直した」

 横の雑音に晟生は眉をひそめた。せっかく美味しく味わっているところに、一滴の不味さが入り込んだ気分なのだ。

「うるさいな、これぐらい普通でしょ」

「どこがだ。おい、腹は大丈夫か? 苦しくないのか?」

「腹八分目ってあたり」

「信じがたい……」

 その言葉に靄之内は響き……晟生はこんなやりとりを以前にもした事を思い出した。そう、それはトリィワクスに来たばかりの時だ。どうやら、新しい姿のこの身体は標準より少し多めに食べるらしいと晟生は知った。


◆◆◆


「でもさ、美味しい魚だったね」

 初乃はまだウットリとしている。ちょいちょいと指先で皿に触れ、そこに残ったタレを行儀悪く舐めていたりする。横の愛咲が注意せぬのは、自分もそうしようか葛藤しているからだろう。

「やっぱり天然は違うんだね、もっと安かったらいっぱい食べられるのに」

「確かに昔の事を考えると……あっ、これは何かの資料を見ての話という事だけど。魚ってものは安い食材だったね。しかも骨があるからと人気も低かったよ」

「うわ、信じらんない」

「まあ確かに信じられない違いだよ」

 呟く晟生だが、それは今の時代の状況についてだ。

 二百年という時の流れで、こうまで変わろうと誰が思っただろうか。だが考えてみると、晟生が本来生きていた時代とて、その二百年前と比べれば全く変わってしまっている。

「ところで靄之内が手配した魚だけど、この辺りで獲れたものだよね」

「うむ、我が領内の誇るシズミの漁港で水揚げされたものだ」

「もっと水揚げ量を増やせば安くなりそうなものだけど」

「実を言えば、それが悩みどころなのだ。最近はどうにも海棲生物の襲撃が激化して――」

 靄之内は渋い顔で口を開く。

 船を出せば大戦時に放たれた海洋生物兵器の海棲生物に襲われる。その為、護衛艦が必要となるのだが、トリィワクスのような陸上艦とは異なり重油を使用する。相良油田のおかげで燃料自体は確保できるが、採油から精製に運搬までのコストが馬鹿にならない。

「しかもだ、その燃料輸送さえも護衛が必要になるのだな」

「護衛って、陸上なら襲って来る敵なんていないでしょ」

「いるぞ。取り締まりは随時して山狩りもしておるが、あの辺りや途中の経路でも山賊盗賊が出没するのだ。どうも浜樫が手を貸していた形跡もあるのでな、多少はマシになるだろうが。しかし、居なくなりはしない」

「世紀末か……いや世紀末だったね」

 この場合は暦上の節目ではなく、荒廃した世界という意味で世紀末だ。

「だったら、油田の近くにある港をメインにすればいいのに。今はどうか分からないけど、昔は近辺に幾つか港があったはずだよね」

「港の規模、周辺の発展具合い。しかも防衛までも考えるとメインはシズミ以外に考えられない」

「なるほど海棲生物に山賊盗賊の襲撃を考えるとか……」

「それもあるが、この場合はむしろ他県だな。県間戦争が勃発すれば、港は真っ先に狙われる重要拠点だ。それを考えればシズオカの中心付近にある方が防衛しやすいのだよ」

「ああ、そう……」

 かつての平和な時代ではなく、今は群雄割拠の時代。下手に港を整備し規模を大きくすれば周囲から目を付けられ侵略戦争の発端ともなりかねない。または大規模な盗賊団による襲撃という可能性もある。

「案外と大変なんだね」

「分かってくれるか。この俺の苦労を分かち合う気はないか?」

「一人で苦労してろ」

「それは残念、俺はいつでもウェルカムだ。それはそれとして、実を言えばシズミの港は未だ完全ではない。あまり大規模に改修をするのはいかんが、大戦で破壊された箇所の復興が完了すれば、今より漁獲量も増える事だろうな」

「そうなると魚介類も安くなると」

 晟生は嬉しげに頷いた。自分が食べたいという理由もあるが、これで少しでも世の中がマシになると思ったのだ。愛咲と初乃も揃って頷いているが、どういった理由でなのかは不明である。

「うむ、今よりは安くなるな。しかし問題は山積みだ、作業をするには人手がいる。しかし人を集めれば衣食住が必要なるし治安も悪化する。それだけ他県からの圧力も増加するであろうから軍備の増強も必要となる。もはや十万単位で金を投資せねばならん。百万あって足りるかどうか……」

「なるほど、若様も悩んでおられたのですね。私、知りませんでした」

「悩みを気取られては男の名折れ。はっはっはぁ!」

「若様の場合は中折れ――」

「おっと、それ以上は言うでない」

 横で馬鹿なやり取りをしているのをスルーしつつ、晟生は財布を取り出した。

「あっ、じゃあまずはこれ渡しておくよ」

「ん、なんだ……ふぁーっ!」

 無造作に取り出された十枚の紙幣に、靄之内は目を見開いた。

 さしものミヨAKも動揺が隠せず言葉を失っているぐらいだ。十万円ともなれば百億円近い価値になり、それが雑談中にシレッと出てくれば誰だって驚くに違いない。

 その様子を愛咲と初乃は懐かしげに見ている。それは二人がかつて通り過ぎた地点なのだ。

「なんで出てくる、なんで出てくる!? しかも全部一万円紙幣ではないか! おい、なんて金額を持ち歩いておるのだ!」

「まあ入り用になった場合の為とか?」

「そんな場合があるものか!」

「今あったじゃないか。なかなか使い勝手が悪いんでね、ちょうど良い機会だね」

「なんて奴だ……」

 靄之内は頻りに紙幣を眺め仔細に確認をするのだが、その手が震えだす。

「むうっ! 馬鹿な信じられぬ。これは全部E号券ではないか……」

「うん?」

「E号券はプレミア価値で現存数が殆どない。しかも、これだけの美品。オークションにかけたら幾らになるか……分かったもんじゃないぞ」

「えーと、もしかして倍になったり?」

「いや十倍でも欲しがる奴はいる」

 横で聞いていたミヨAKは、ごふっと奇妙な息を吐いた。そろそろ許容オーバらしく、流石に気の毒になった愛咲が差し出した水を貰い、礼を言いながら飲み干している。

「じゃあ頼むよ。売れたら、そのお金全部で漁業関係に投資しといてくれる?」

 晟生はさらっと言った。それが県政を動かし一大事業を進めさせる事とは思えない程の気軽さであった。

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