第5章

第55話 お客様はどなた様

「美味い! 美味いぞぉ! 俺は感動した!」

 朱塗り風の椀を手に靄之内もやのうちは声を張りあげた。赤アロハのシャツにカーキ色のハーフカーゴパンツ姿で、強襲揚陸艦トリィワクスの食堂に居座り騒々しい声を響かせている。

「これが海老汁なのか、うむ実に美味い! この濃厚な海老味わい、うま味たっぷりすぎだ。よし、これまでの料理人はクビだな」

「するな!」

「いでっ」

 そんな靄之内に不機嫌顔の少女がお玉の一撃を食らわせる。

 目元のきりっとした透明感ある顔立ちに華奢な体型。ワンポイント刺繍のひよこ柄エプロンで腕組みする姿は誰がどうみても女の子だが、ここに居る全員が知っている。この空知そらち晟生せおは男だと。

「その料理人は一生懸命頑張っていたわけでしょ、なのに感謝しないでどうするの。それに、クビにして明日からの食事はどうする気なの」

「問題ない。我が友よ、お前を雇う」

「いやだ」

「くっ、料理人と雇い入れ、少しずつ距離を詰め心を通わせ、いつか結ばれる二人。この俺の完璧なハッピーエンド計画が一蹴されただと……」

 何か馬鹿なことを呟いている。

 半ば呆れた晟生は肩をすくめ息を吐いた。どうにも妙な奴に気に入られてしまったものだ。

 同じ男という事で友人感覚なのだが、靄之内が同じように思っているかは自信がない。今し方聞いた呟きが本気という可能性もありそうで恐い。最近は鏡でも見慣れてきたが、晟生自身も今の自分がかなりの美少女顔と思えるのだから。

「では、すまんが我が友よ。おかわりをくれぬか」

「あのね、一杯だけだって言っておいたよね」

「我が友よ、それは無理というものだろう。こんなに美味いのだ、一杯などで我慢出来ぬ。こんなものを食べさせて、なんという事をしてくれたのだ。ああ、俺はこれからこの味を求めて耐えねばならんのか? 責任を持って末永く毎日味噌汁をつくってくれい!」

「嫌だ」

「むう、つれないな」

「レシピは教えておくから、専属料理人につくって貰えばいいじゃないか」

 そもそも、そこまで凄い料理ではない。

 伊勢エビの頭を出汁でじっくり煮ておき、途中で身を入れて軽く煮る。それから葱を入れ味噌で味をつけ整えただけなのだ。あとは海老や魚の刺身を用意してあった。

「そもそもこれはトリィワクスの皆にお詫びでつくった料理なの。押しかけてきたあげく騒ぐな文句を言うな。分量が減って、それでも皆は我慢してくれてるから」

 その言葉に周囲から恨みがましい視線――ややもすると殺気すら交じる――が向けられた。

 晟生が攫われた事で皆に面倒をかけたため、礼として精魂込め料理を作り振る舞う最中なのだ。どこからどう聞きつけたのか、靄之内たちは完成直前にやって来たかと思うと、ちゃっかりとご相伴に預かっている。それでお代わりの要求をするなど、あまりにも図々しい。

「だが待ってくれ、材料は俺が提供したのだぞ」

「知らない。欲しいと言ったらくれただけじゃないか」

「うぐっ、悔しい言い返せない。これが惚れた弱みか。だが、俺はお前の料理が食べたい。お前のつくったものなら全て平らげてみせる。そしていつかは、お前を味わ――」

「いい加減にしろ」

 スパンッと靄之内の頭を叩いたのだが、本人も気にしなければ周囲のメイドも気にしない。

「よし、いいよ。もうこうなったら特別料理を用意してあげよう」

「おおっ、さすがは我が友。これがツンデレというものか」

「言ってろ」

 軽く口をへの字にした晟生は調理場に戻った。

 そして鼻歌交じりで靄之内提供の伊勢エビをぶつ切りに。それを軽く揚げながら、ニヤリと笑う。少し人の悪い顔だ。さらに幾つかの食材を加え、味付けしながら炒めていく。

 完成したひと皿を靄之内の前に持って行く。

「伊勢海老の唐辛子炒めだよ。さあ、お食べ」

「うっ、これは食べて良いものなのか……」

「もちろん遠慮しないでどうぞ。さっき全部平らげると言ってたよね?」

「男に二言はない!」

 叫んで一気に行った。

「辛い!」

「頑張れー、靄之内の良いとこ見てみたい」

「もちろん見せてやろう。美味い! 美味いが辛い! 美味い辛い美味い!」

 覚悟を決めた靄之内は一気にいった。

「うわっ、本当に唐辛子食べてる」

「からいからい海老きた。ひどい辛いなんで囓ってうまかっです。から、うま……」

 真っ赤になった顔の額には汗がふつふつと現れ、それをメイドがハンカチで拭くものの直ぐにまた汗が出る。味覚ではなく痛覚を刺激される靄之内だが箸を止めず食べ続けていた。その様子は鬼気迫るものがあり、最初は笑って見ていたトリィワクスの乗組員たちも引き気味だ。

 晟生は仕方なさそうに息を吐くと、靄之内のため牛乳を用意する事にした。本当は水を出し、さらなるエンドレス激辛に落としてやるつもりだったが、流石にそれは止めたのだ。

 ノースリーブにエプロン姿の初乃が報告してくれる。

「晟生ってばさ、そろそろ次の入れ替えタイムだよ」

「あれっ、もうそんな時間だった? ありがと、それじゃあ皆のお見送りするから。先に準備を進めておいてくれる?」

「ういうーい」

 勢いよく頷いた初乃はとことこ厨房に向かった。


 食堂スペースは広いが、一度に全員が食べられるわけではない。そのため、時間を決め入れ替わり制となっていた。もちろん料理する側の手間や忙しさからすると丁度良い。

「食べてくれてありがとね。いろいろ、迷惑かけてごめんね。ありがと」

 女性たちの間を回り、一人ずつにお礼を述べる。さらに握手をしたり、手を合わせたり。次をお願いされたり、感動を伝えられたりしながら笑顔で応えていった。

 そうやって全員を送り出していく晟生を、靄之内は不思議そうに見つめる。大量の唐辛子を食べた事で真っ赤な顔で汗をかき、牛乳をちびちび飲み舌を出しひいひい言いながら尋ねてくる。

「我が友よ、なぜそうも女どもに下手なのだ」

「下手? 別にこんなの普通でしょ、迷惑をかけたのは事実だから謝る。何かして貰ったら感謝して礼を言う。ただそれだけじゃないか」

「……お前は正直者だな」

「うん? なにその評価は」

「正直とは、現実をありのまま受け入れ相手を慮って行動する事だ。どうだな、今のお前に相応しい言葉ではないか」

 真面目な顔で言った靄之内であったが、すぐに嬉しそうに笑う。

「ふっ、我ながら良い事を言ってしまったな。これは惚れられてしまうかもしれんな。なあ、そうであろう」

「若様、その通りでございます」

 応えたのは誰あろうミヨAKであった。

 彼女はトオトミ側に与した敵……ではなかった。実は靄之内の両親に雇われ浜樫ひんかし側に潜入しており、そこで浜樫に雇われ靄之内の側に潜入する事になり、さらに靄之内に雇われメイドをしていたという事だ。

 浜樫が靄之内の攫う計画を知り、あえてそれに荷担する事で安全に留意しつつ計画を破綻へと導く予定であった。トリィワクスが強襲をかけねば、シズオカの大部隊が攻撃をしかける手はずになっていたらしい。そして全てが終わり、今は再び靄之内の側に仕えているのだった。

 ただし晟生まで攫った事はミヨAKの趣味であるし、ヴァルキュリアと激しく戦った事も彼女の楽しみのためだったそうだ。何ともお騒がせメイドである。

「若様に惚れた晟生様。そして二人はベッドの上で組んず解れつ――」

「そこの人、晟生さんで変な想像しないで下さい!」

 青エプロン姿の愛咲あさきが走って来ると、さっと間に割って入った。

 金色の髪に強い眼差し、そして青エプロン。まるで顕現したヴァルキュリアを連想させる姿であり、今はそれに通じる迫力を備えている。なお、先程から皿運びを頑張っていた。

「出ましたね久杜ひさもり姉」

「当然です。私は晟生さんの助手一号にして、専属護衛なのですから」

「さようでございますか。それで何がご不満なのでしょうか」

 ミヨAKは頬に指を当てつつ不思議そうに聞く。もちろん知っていて言っているのだが。

「晟生さんに、そのあの……変な事をしたからです!」

「変な事でございますか。まあ、それは困りましたわ。具体的にどのような事か説明していただきませんと分かりませんが」

「だから、つまりあの」

「はい、何でしょうか? それでは私、分かりません」

「このっ……」

 ぐぬぬっと唸る愛咲は唇を噛みしめた。きっと言いたい事がいろいろあって、しかし結局何を言ってよいのか迷って言えなくなってしまったに違いない。

 もちろん変な事とは、捕らわれの晟生がミヨAKにされた事だ。黙っておくつもりだったが、靄之内が喋って、あっさりバレた。先程の激辛料理は、その仕返しの一環である。

「とにかく駄目は駄目で駄目なんです」

 ついには両手を握り悔しそうに声をあげだした。普段よりも、ずっと子供っぽい様子なのは、よっぽど悔しかった似違いない。

「以外に駄々っ子っぽいね」

 晟生は軽く腕組みすると、横に来た初乃に尋ねる。なお、こちらは純真無垢で晟生がされた事を大して理解しておらず気にもしていないようだ。

「ういうい、愛咲姉って本当はあんな感じだよ」

「なるほど。まあ、それも愛嬌があって可愛いかな」

「それ愛咲姉に言ってあげてよ。きっと機嫌が良くなるからさ」

「うーん……恥ずかしいから、また今度」

 可愛らしい顔で言った晟生は、次のメンバーの歓待準備に取りかかった。

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