第52話 愛の逃避行ドライブ

「それにしてもトリプルSの遺伝子美味しゅうございました」

 ミヨAKの言葉に晟生せおは目を見開く。

 まさか気付かれているとは思いもしなかったのだ。もし浜樫にまで気付かれているとしたら大変な事になってしまう。さすがに、あの女性にまで襲われるとなれば、もはや自害するしかない。

「どうしてそれを!?」

「あら、やはりトリプルSで御座いましたか」

「え?」

「実は今の、カマかけでございます。ギンザに現れた美しい姿をしているという噂。それに対しギンザから来られたトリィワクスのメンバーという事でしたので。ご安心を、ここの主はそうした不確かな噂は無視する方ですので。トリプルSですから美味しいのでしょうか?」

 問われた晟生だが、もはや何も言えやしなかった。完全にミヨAKの掌上で遊ばれている。

「ほほうトリプルSとは、あのトリプルSの事なのか。我が友よ凄いではないか」

 靄之内もやのうちは、まじまじと晟生を見つめた。

「俺の妹をやろうではないか。我が友が我が義弟となる上に、我が妹も幸せたっぷり。おおっ、我ながらナイスアイデアである。素晴らしいと思わんか」

「うるさい馬鹿、話しかけるな」

 晟生は塩対応であるが靄之内に効果はない。それどころ椅子に縛られたまま移動する方法を編み出したらしく、身体を揺らしながら近づいてくる。意外にバイタリティのある男だ。

「どうした何を悄気ているのだ」

「うるさい、人の醜態を見物しておきながら!」

「醜態? この程度別に普通であろう。俺など集めたメイドたちの前で、お気に入りと公開――」

 その時、建物が揺れた。

 地震ではないのは断続的ではあるが何度も揺れるからだ。さらに唸るようなサイレン。

 勝手に晟生の髪を梳かすミヨAKであったが、耳元を抑え軽く頷いている。前に出て姿勢を正すとメイド服をぴしっと正す。恭しく頭を下げる様子はどこまでも優雅だ。

「どうやら、お二人のお迎えが手を組んで参られたようでございます」

「うむ、悪い事は言わぬ。そろそろ俺と共に逃げてはどうだ」

「お誘いありがとうございます。しかし浜樫様も入念に準備され、戦力を整えておられますので今少し」

「さようか」

「はい、さようでございます。それでは私、出撃せねばなりませんので失礼します」

 ミヨAKは晟生に向かって軽くウィンクをしてみせると、スタスタと出入り口に向かう。扉が開き閉まると、重々しい施錠の音が響いた。

 そうなると部屋には靄之内と晟生の二人っきりとなる。

 サイレンの音も収まり、微かに爆発やエンジンの音が響くが妙に静かだ。

「こういった事は電撃戦が基本だが、今回の救出行動はいつもより早いな」

 頷く靄之内に晟生は訝しげな目を向けた。

「今回は?」

「うむ、俺が攫われるのはよくある事でな。その度に、我が護衛どもはしっかり俺を救出してくれるのだ。どうだ優秀な上に頼れる連中であろう」

「本当に優秀なら最初から防ぐと思うけどね」

「そうかもしれんな。はっはっはぁ」

「…………」

 晟生の冷ややかな目も気にせず、靄之内は腹から声を出し笑っている。どうにもそれが勘に障ってしまう。この男に関わってからというもの、物事が上手く運ばない。逆に言えばトリィワクスでの生活は、それだけ周囲が気を遣ってくれていたと言う事なのだろう。

「だが俺とて何度も攫われているのだからな、こんな芸当もできる」

 言って靄之内は縛られていたロープから抜け出た。何をどうしたか不明だが、どうやら縄抜けの方法を会得しているらしい。そんな小技を覚えるのであれば、もっと他にやるべき事があるはずだろう。間違いなく努力の方向性が少しズレている。

 そして靄之内は晟生の戒めも解いてしまう。

「さて、手に手を取って逃避行といこうではないか」

「表現は気に入らないけど仕方ないね」

「そうであろうそうであろう、いざ行かん!」

「うるさい声が大きい。黙れ」

 晟生の蹴りが放たれるのだが、それは靄之内を喜ばせるだけであった。


◆◆◆


 どうやら浜樫の部下たちは迎撃に駆り出されたらしい。屋敷内は殆ど無人になっており、さしたる問題もなく移動する事ができた。やはり組織にとって人手不足は最大の問題に違いない。

 この場所に来たことがあるという靄之内の誘導によって地下駐車場に移動。そこでようやく一台の車を見つけた。しかし――。

「むう、いかんな。せっかく車を見つけたというのに、これでは動かせんではないか」

 モスグリーンの丸みを帯びた車の運転席で靄之内は頭を抱えてしまう。

 地下の駐車場には時折振動が伝わり、天井からパラパラと埃が落下していた。どうにも戦闘は激しさを増しているようで、これは少しでも早く逃げた方が良さそうだ。

「なんで? 燃料も入ってたでしょ」

「その通りだな。しかし見るがいい、これはな非常に古い時代の車で操縦者が自ら減速比を変更せねばならぬ手動変速機方式なのだ。俺も一台持っておるが、エンジンからして上手くかけられぬ」

「ああ、マニュアル車なんだ、だったら――」

 車の中を覗き込んだ晟生が言いかけたとき、屋敷から駐車場に入る扉がバンッと勢いよく開かれた。そして、ドヤドヤと武装した女性たちが何人も入り込んでくる。その先頭には特徴的なたこ足型に髪を広げた女性の姿があった。

「あーたたち、お待ちなさい! 逃がさないだわさ」

「げっ、浜樫が来た」

 振り向いた靄之内が嫌そうな声を出しているのだが、しかし晟生はその肩を押した。

「助手席に行け、早く」

「なんだと?」

「いいから早く!」

 晟生の強い声に従い動きだすものの、靄之内は大柄だ。運転席から助手席への移動は困難を極め、なかなか終わらない。いらいらする程の遅さに対し、走り寄る集団の足音が迫る。

「早くして!」

「分かっているが、しかしだな」

「ああっもう、どいて!」

「止めろ痛い」

 悲鳴をあげる靄之内を押しやり、運転席に乗り込む。ギアをニュートラルにしクラッチを踏み込むキーを捻る。辿り着いた女性がドアに手を伸ばしてきた。アクセルを踏み込み固めのギアを叩き込むようにローに入れ半クラとする。ガツンッとした衝撃から走り出した車に周囲から悲鳴があがった。

「あーたたち、運転席の小娘を撃つだわさ!」

 バンッと音が響きサイドミラーが吹っ飛んだ。

 止まるように命じる声が聞こえたが、これで止まる馬鹿はいまい。晟生はそのままギアを変えつつ、ハンドルを動かし車体を左右に揺らす。タイヤを激しく鳴らし、駐車場出口へと車を突進させた。そのまま浜樫たちを後方に置き去り猛スピードで脱出する。

 外に出た瞬間、一気に視界が広がり眩しい日の光に目が眩んでしまうほどだ。

「我が友よ、どうしてこれを動かせるのだ!?」

「これでもマニュアル免許持ちなんでね!」

「なに?」

「シートベルトしといて!」

 晟生は激しい運転をしながら器用にシートベルトを装着。しかし靄之内は猛烈に揺れる車内で頭をぶつけ、苦労しながら何度目かの挑戦でようやく装着した。

 この時代の道は舗装されている方が少ないぐらいだ。

 実際に浜樫の屋敷を出た先は未舗装道路で地面は凹凸が激しい。

「出たはいいけど、どっちに行けば?」

「とりあえず適当に走らせてくれい。俺の身体には発信器が埋め込まれているんでな、直ぐに誰かが駆けつけてくれる」

「ねえ、何度も攫われてるって事は。それ、敵にも知られてない?」

「……かもしれん」

「そこで降りろ、一人で逃げるから」

 言いながら晟生はアクセルを踏み込み加速。車内はガタガタ激しく揺れ、時折大きく上下する。

「無事戻ったら発信器を取り替えておこう」

「そういうのはもっと早く――」

 気付け、と言いかけた時。衝撃が走り、同時に車体に何かが叩き付けられ金属がひしゃげた。それも全方位からだ。さらにガタガタした振動が止まり、エンジンの回転数だけが猛烈に上がっていく。

「浮いてる!?」

「捕まったのだな。これは浜樫の乗る大型神魔装兵スキュラだ」

「あの人って装兵乗りなの?」

「そこから成り上がったのでな、うちの武闘派筆頭に収まっておる」

「やっぱり一人で逃げるべきだったよ……」

「我が友よ、つれないことを言わんでくれい」

 フロンドガラスの向こうには、くすんだ藻色の肌をした女の姿がある。上半身は半裸で趣味の悪いハートのブラをしている。そして下半身はタコのような触手。そんなスキュラの顔立ちは確かに浜樫の名残があった。

「ううむ、これは少しマズイな。誰ぞ助けに来てくれぬものか」

「向こうで戦闘中だよ」

 持ち上げられた車体は遠くまでが見通せる状態だ。

 ずっと前方ではヴァルキュリアを始めとしたトリィワクス所属の装兵四体と、バフォメットにウンディーネの姿がある。対するのは、ヤクシニーを始めとした十数体の装兵群であった。さらに上空を飛翔する巨鳥ルフの姿もあった。

「浜樫のやつめ、傭兵どもを雇って戦力を揃えおったな。なるほど思った以上に不正蓄財をしていたのか、いやそれとも資金の私的流用やもしれん。困ったもんだ」

「ちゃんと管理しないから、今ここで困ってるわけなんだよね」

 晟生はいらだたしげに呟いた。

 爽快ドライブから一転して再び捕らわれてしまい、最高にウンザリとした気分だ。

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