第48話 回避すべし人生の墓場

「俺はこいつを妻とする。誰にも文句は言わせない!」

 靄之内靄之内は太い腕を一振りし力強く宣言した。その様子は決意に満ちており、嬉しそうでもある。そして黒の半袖シャツの大柄な姿は暑苦しさ満点だ。

「「「若様、おめでとう御座います」」」

「ありがとう! ありがとう!」

「それではお父上とお母上に連絡いたしましょう。式の日取りと場所、それから招待リストの作成をせねば。引き出物関係と料理の調整もございます。これは忙しくなりますわ」

「うむ、良きにはからえ。もちろんベビー用品は最高級のものを揃えてくれい」

「流石にそれは気が早いかと思います」

「むっそれもそうか、はっはっは!」

 靄之内とメイドたちは楽しげに笑い声をあげた。窓の外に見える青く素晴らしい景色と同様に、最高の気分という状態らしい。

 蚊帳の外に置かれた晟生せおは靄之内に蹴りを入れ注意を促す。

「誰も承諾してないし、承諾する気もないけど」

「些細な問題だ……」

「どこがだよ。そもそもね、なんでいきなり結婚とか言い出すかな?」

「伊達や酔狂だけではないぞ。お前は靄之内グループの秘匿する油田の情報も知っている。食事の仕方に料理への造詣の深さには、教養と教育が見て取れる。さらには、このシズオカないで何の背後関係もなければ、権力抗争にも影響しない。どうだ、何一つ文句がない」

「文句は大ありだけど」

 晟生は言って仁王立ちしながら腕組みした。

 すると靄之内は少し黙り込み、真摯な顔で口を開く。

「いきなりで悪いとは思うが、俺の心はお前に奪われてしまった。何一つ不自由させない、必ず幸せにする。だから俺と共に人生を歩んでくれ」

「だーかーら、断ると言ってるじゃない」

 強固に嫌がる晟生に靄之内は軽く傷ついた顔だ。

「何故だ何がダメだというのだ」

「だって、男だから」

「俺が男なのは仕方ないことだろう?」

 晟生は自分自身のつもりで言ったのだが、靄之内は別の意味にしか理解できなかったらしい。それは無理もないことで、晟生は誰がどう見ても女の子なのだ。

「そうじゃなくって、こっちが男だっての!」

「…………」

 室内に沈黙が訪れた。完全な静寂は、外の風や波の音が聞こえてきそうなぐらいだ。日が陰ったせいか、調度品のほとんどない室内は天井や床の灰色さ加減が急に目立った。

「はっはっは、これが男だと? なかなか面白い冗談だと思わんか」

「「「若様の仰るとおりで御座います」」」

「そうだろう、そうだろう」

 靄之内とメイドたちは揃って笑い声をあげた。

「あのね、本当なんだけど」

「ふむ……流石にもう笑えんぞ」

「だから男だって言ってるのに。なんで信じてくれないんだ」

「鏡を見ろ」

「……いやまあそれは」

 晟生は今更ながら自分の姿を思い出し口ごもった。確かに今の容姿に体つき、そして何より服装は完全に女の子のそれだ。

 何とも言い様がなく困っていると、顎に手をやった靄之内がニヤリと笑う。

「では確かめるしかないな」

「は?」

「男か女か確かめるしかなかろう」

 にじり寄りだした靄之内を前に晟生は身の危険を感じ後退る。

 そのまま部屋の角に追い詰められるが、壁も床もガラスのため空に放り出されたような状態だ。トリィワクス艦橋の周辺ビューモニターよりも臨場感がある。

「これのどこが女の子でないか俺に確認させてくれ。さあ、さあ! さあぁ!」

「ぴぃっ!」

 瞬間、焦る晟生は隙を突いて駆けだした。

 靄之内の魔手をすり抜けソファーを踏み、テーブルを跳び越え次のソファーを踏み……メイドたちに阻まれた。柔らかな女性たちに捕まり、優しくはあるがしっかりと拘束されてしまう。

「来るなっ、怒るぞ!」

 晟生は拘束された状態から足蹴りで威嚇し、がうがうと唸りまであげた。しかし、その姿はちょっとヤンチャな女の子の威嚇にしか見えず、恐いより可愛らしさが先に立つ。お付きのメイドは萌えを感じたのか、黄色い悲鳴をあげるぐらいだ。

 さらに靄之内は込み上げるものを堪える様子で、ハアハア言いだす始末。好感度パラメーターが上昇しただけなら良いが、何か別のものまで上昇していそうだ。

「むむむっ、そこまで嫌か」

「あたりまえだ! 分かったら解放しろ!」

「だが、俺にはお前が男とはどうしても信じられぬ。俺はお前を嫁にするつもりであるし……うむ、仕方があるまい。メイドたちよ、俺の代わりに確認してくれる者はいるか」

 もちろん全員が希望した事は言うまでもない。


◆◆◆


「僭越ながら、私めが確認させて頂きます」

 熾烈なジャンケンを制したメイドがスカートの両端を軽く摘まみつつ、お辞儀してみせた。ショートボブのスラリとした体型で、表情が緩んでさえいなければ所作も含め出来る女といった様子だったに違いない。

 確かめるとなれば当然ながらなにがあってないかを物理的に探られるわけだが、もはや背に腹は代えられない。靄之内に確認されるよりは、美人な女性の方が百倍マシという事だ。ただし、メイドたちの熾烈な争いを見せられ、逆らうという気すら起きないほど怯えているのだが。

 しかし、それでもメイドのほっそりとした手がスカートの中へ更に下へと潜り込み、晟生は小さく悲鳴をあげ制止した。上から軽く触るだけの思っていたのだ。

「ちょっ!」

「直に触りませんと確認できませんので」

 嬉しそうなメイドの様子は職責を尽くそうとするよりは、もっと別の何かを感じてしまう。思わず押さえた晟生の手をやんわりと退かし、そのまま潜り込んでくる。

 観念した晟生は目を瞑り、彼女のひんやりした感触の手にサワサワされ、ニギニギされ、グイグイされた。それだけで反応してしまう自分が哀しかった。

「ううっ、誰にも触られた事なかったのに……」

 晟生の呟きはメイドを喜ばせただけだ。堪能しきった彼女はきりりと顔を引き締め、真面目な様子で敬礼までしながら靄之内に報告する。

「間違いありません。本物がついておられました」

「ばかな、これで本当に男だと言うのか!」

「ちなみにかなりご立派かと」

「なん、だと……」

 その言葉に動揺する靄之内、驚愕するメイドたち。

 なんという羞恥プレイだろうかと、ざわつく室内で晟生は居たたまれず視線を外に向けた。強い日差しに映える青空と青海が心に染み入る。空を飛ぶ鳥のように、どこかへと飛び去りたい気分だ。

「お前、本当に男だったのか……そうか、そうなのか……」

「分かったなら帰っていいよね」

「だが……男でも構わん! 俺はお前に惚れた、どうか側にいてくれ」

「うるさい!」

 ついに怒った晟生は何度も床を踏みしめた。大事なところを握られた羞恥も含め、やり場のない怒りと発散できぬ鬱憤、思い通りにならぬ状況。激しく渦を巻く感情の命じるまま、腰の入った掌底を靄之内の腹へと叩き込む。どんっと鈍い音が響く。

「ぐおっ!」

 靄之内は尻餅をつき腹を押さえた。

 主が暴力を振るわれるものの、メイドたちは痴話喧嘩を見ているかのように微笑ましげだ。実際のところ、靄之内自身も大したダメージを受けてないらしく表情に余裕がある。そこは体格差の影響が大きいのだろう。

「どうしても嫌なのか……」

「あ、た、り、ま、え、だ!」

 かつてないほど感情を高ぶらせた晟生は、腹に力を込めひと言ずつ告げた。それでも頬を膨らませた姿は可愛らしいもので、迫力など少しもない。

 メイドの一人が――それは晟生のスカートに手を突っ込んだメイドだ――すっと前に出た。

「若様、ここは発想を逆転させては如何でしょう。つまり、攻めがダメなら受けもございます」

 その言葉は靄之内にとって天啓に等しかったらしい。感銘を受けた様子で口を開き、一瞬固まったかと思えばポンッと両手を打ち鳴らす。

「……そうか! その通りだ、俺が嫁になればいいのではないか」

「若様の花嫁衣装……良い。これは至急用意せねば」

「はっはぁ、まさか俺がブーケを投げる日が来ようとはな。しかも入れる方が入れられる方になろうとは。だが男は度胸、何でもためしてみるのだ。ほら、遠慮しないでカモン――」

 倒れたままウェルカムな体勢をとった靄之内がハーフカーゴパンツを脱ぎだすのだが……そこで晟生の怒りは頂点に達した。

 鋭い蹴りが靄之内を捉える。

 バタリと倒れた背を踏みつけると僅かに四肢を動かし悶えている。さらに何度も踏みしめていく。メイドたちが動かないのは、今度は晟生の怒りっぷりがあまりにも激しいせいだ。

「むぐうっ」

「いい加減にしろ、勝手な事ばかり言って!」

「あひんっ、止めてくれ痛い……あっ、何か新しい自分に目覚めそう」

「勝手に目覚めるな!」

 ついには靄之内の上でジャンプまでした晟生であった。

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